続けて春團治師匠を聴く

池田のまちは、むかしから落語の舞台になっているそうな。
その縁と、桂春團治師匠の出身地という両方で
市を挙げて、「春團治まつり」を開催している。

風の強いゴールデンウィーク、
京都の駅や梅田あたりは人でいっぱいだったが
ここまでくるとさすがに観光客の姿はなく
地元のひとないしは近くのひとばかりのようである。

石橋の駅前にはずらりと屋台の列。
商店街が協賛していて
アイスクリームや焼きそば、定番プラス大売り出しの幟、
賑々しく面白い。

駅から10分とチラシにはあったけど
住宅地の中を歩いているともっと時間がかかった気がする。
こんもりとした緑を見つけて近寄ると
そこがアゼリアホールのある公園だった。

設営された簡単な舞台に、
いましも落語家さんたちが
「始まるまでこちらでお楽しみ~」と
トークを繰り広げている。
物産の店もちらほら、
アイスは売り切れ直前で、思わずひとつ買って
日陰でもりもり食べる。
ますます日差しは強くなり、
風がやたらに吹く。

自由席のため、開演時間30分前には長~い行列。
明るくて広いロビーをもつこのホール
市役所のひとたちのてきぱきとした
整理が好もしい。
ここはチケット取るために電話しても
たいそう応対がよかった。

次々と噺が続き…
念願の春團治師匠の登場は大トリ
疲れた
なぜか、椅子がよくない
客席はとってもフレンドリーな感じの笑いが盛り上がって
こういう穏やかな雰囲気がいいなあ

春團治さんは真っ白のキモノ姿
思っていたより年より
肩の線がなだらかで、
声はとても小さくて上品
その前のヒトが大声だったので
耳を澄まさないと聞こえないくらい(笑)

演目は「祝のし」
他のひとでも聞いていたけど
ゆっくりした話っぷりである。
おかみさんと喜いさんのやりとりが
のんどりしていて微笑ましく、
艶やかな感じだ。

客席からかけ声がかかるのは
すごく面白
ファンなんだろうな。

羽織の脱ぎ方がまた品よく
肩からするっとすべりおちる
そのほのかな色気が
舞台にいるのはひとりなのに
そこにむかしの大阪が
そっくり出てきた気がして
なんともいえないよい気分
たとえて言えば
ほんのちょっぴり
よいお酒を飲んだようなほろほろ酔いの気分である。

噺の中味は
貧乏な喜ぃさんが
大家に向かって悪態をつくところがあるが
「…さらしてけつかんねん」と
息巻くくだりでさえも
春團治師匠にかかると
春霞がかかったように鷹揚に聞こえてくる。
それでも4時間は長く、
話途中でお辞儀をされて
やれやれ、とほっとした気分は否めない

でもトリなんだからもっと聞きたかった、のも事実。


それが一度目
さてついこの間
こちらは地元の市民寄席
回を重ねて○○回記念とかで
大きめのホールでの公演だった。
これも春團治師匠の出演と知って、即申込み
なんとか真ん中あたりの指定席が取れた。

どのひとにもたっぷりの時間が与えられていて
じっくりと噺を聞けた

師匠な中トリ
例によって白の羽織、白の着物(やっぱり綺麗だ)でご登場、
深々としたお辞儀、
座布団に上がるときのちょっとしたみのこなし
その前の噺家さんの
やや荒っぽい雰囲気はすっとぬぐわれ

はじまる噺は「祝のし」
まったく池田のときとおんなじだ。
緩急もほとんど変わらない。
二度目だと
面白いと感じる部分が違う。
というか、ふえる。

池田のときより噺はすこうし先まで進み、
“オチはどうなるんだろ”と
ふっと思いがよぎったとたん、
すっと両手が膝から下りて
「祝のしというおはなしでございました」と
お辞儀されてしまった。

そこで帰ればよかったのだが、
すっかり気分がよくなって、
中入りの後のマジックも、目新しいし楽しいし。
しっかりと拍手喝采。

大トリは笑福亭鶴瓶師匠。
とたんに客席は賑わい、拍手は倍くらいに音量がたかまる。
舞台で鶴瓶師匠をみるのは初めてだから
鮮やかな青みがかった色合いの着物の
きこなしもなかなかよい。

はなしかたもテレビの
「家族に乾杯」とまったく同じで、
活きの良い前ふりネタは面白かった。
噺のなかみも、鶴瓶ふうアレンジらしく
色もようもあるし、ドタバタもある。
(女の役がなかなかうまい)
客席はしょっちゅう沸きっぱなし。

「死神」というこの噺、
さきごろ狂言で観たことがあった。
筋立てはほとんどいっしょ。
ただ最後の部分が、鶴瓶ふうらしく、すこし違っていた。
落語というより漫談に近いのかな。
客をつかむ話術はたいしたものだったが
狂言でみたときのようなぴりっとした感じは受けない。

狂言の幕切れは、
茂山家の当主、千五郎師の「男」の必死さが
おのが命を繋ぐことに成功した、と思った瞬間ばたりと倒れる。
みているこちらははっと息を呑み、
そのままはなしは終わる。

落語のほうが粋なオチではあるのだがなあ。


※もっと早く投稿しておけばよかったのに…
引越その他でパソコンが使えず、こんなに遅くなってしまった。

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花の鏡となる水は…「桜川」

花見時に花が見られず
残念な思いをした

とくにわが町は観光地であるので
春に出歩くのはとても体力がいる
それならいっそよそへ行こう、と
この間は山あいのさくらを訪ねた

そして今度は舞台の上のさくらを見ようと
西に向いて汽車に乗った。
意外に、神戸より西に行くことは少ない。
(わたしはほとんど旅をしないので)
新幹線ひかりも大阪からはひかりレールスターとなる

海沿いを行くといいのに
効率のせいかトンネルばかり
時々左手に光るものが見えるけれど

一度来たことがあるので
おおまかに駅からの道はわかるが
念のためタクシーに乗る。

開場してかなりたつのに
門前も受付も人が多かった。
まず座席確保に二階へ上る。
脇正面に座ってみたが
まわりに人が座ると動きにくいかな、と
中正面に移動する。
席の数が少ないのでどこからでも
間近に見られるのがありがたい。

きょうの目当ては「桜川」
シテは大島衣恵さん
輝久さんのシテか衣恵さんのシテを見たかったのだ。
外からの明かりが柔らかく入ってくるこの能楽堂、
舞台の床は磨き抜かれて
ひとの姿が映る
舞台の高さが低めなのも見やすい仕掛けのひとつだ

解説が珍しいことに笛方の帆足さんだった。
お話を聞くのははじめてである。

笛を奏でながら見る舞台は、
わたしたちとはまったく違うことがわかる。
なにせ、舞の背中を見ているのだから。


前場がたいそう短い。
橋がかりに出たシテは、
我が子の手紙を読むとすぐ
悲嘆にくれつつ
後を追って旅に出る。
鬱金と緑の装束で
若さが匂い立つような母である。
低めな声が聞きやすい。

次に見るのは広々とした境内で
可愛い子供を連れた僧がゆっくりと歩いてくる。
咲き誇る桜を愛でながら、
ゆったりと花の下に座をしめる。
子供はつっととその傍に座る。
お人形のように愛らしい。

里人にいざなわれて登場する後シテ
網を持ち、小走りに舞台に走り込み
ワキの僧と問答をする。
きりっとして洗練された受け答え。

クセの舞はひたすらに美しい。
川に散りこむ花びらを掬うすがた、
ひたむきなその横顔は
やつれてはいてもやっぱり若さがにじむ。
一面の花に囲まれて舞っていても、
我が子恋しや、とふと覚める
しんみりとかき口説くさまに風情がある。


大島能楽堂は響きがとてもよい。
笛は散り舞う花のように鳴り、
やわらかな小鼓の音色、すっきりと通る大鼓、
お囃子がひとつになって
目からも耳からもたっぷりお能に浸る。

舞台では、母と子が出会い、抱き合い
喜びのうちに故郷に帰る。
うれしいハッピーエンドだ。

観ているこちらもほっと息を吐く。
世知辛くて悲惨なことのほうが多い昨今、
せめて舞台のうえでは
不思議な時空のなかで、夢をみたいから。

ここの雰囲気は暖かくて行き届いていて大好きだ。
休憩時間はギャラリーへ。
後でゆっくり見たかったが、終演時刻が延びて
あわただしく駅まで小走り。


いつか「鞆の浦」にも行けますように。

※狂言は「清水」
茂山千五郎家の兄弟が出演
能楽堂の外まで聞こえそうな声、
呼吸はぴったり合っていてさすがなものだった。
つい、ひいきの茂さんのほうを多めにみてしまう。

平成20年 第二回大島能楽堂定期公演
      4月20日(日)12:30始

能「桜川」

シテ(桜子の母)   大島 衣恵
ワキ(磯辺寺の住職) 森本 幸治
ワキツレ(里人)     広谷 和夫
ワキツレ(人商人)   江崎 敬三

笛            帆足 正規
小鼓           竹村 英雄
大鼓           守家 由訓

狂言「清水」
太郎冠者        茂山 正邦
主人           茂山 茂

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「どん底」…罪なのは、うそ?まこと?

出演者だけではなく
演出がケラさんだから、見たかったこの芝居。
ゴーリキーの「どん底」、文学史で名前だけは知っているが。
なんとなく暗そうだけど
脚本もケラさんだから大丈夫だろう、と。

真ん中よりやや後ろより、
でも全体を見渡せる利点がある。
通路にも近くてありがたい。

ケラさんの舞台のしつらえはいつもそうだが
かなり複雑なつくりになっている。
とある安宿。
中央のドアは外への通路、
その横の小部屋は泥棒ペーペルの部屋。
さらにその下手の寝台に男爵、帽子屋や靴屋は床に毛布を引いている。
のちに登場する巡礼の老人、ルカもその辺りに寝ていたっけ。
上手を見ると、すぐのベッドに若い娼婦
その横は瀕死の病人アンナの寝台。
いちばん端っこ、
押し入れのような二つに分かれた部屋の上段には
アル中の役者が住んでいる。
その前に錠前屋(アンナの亭主である)が座り、
ひがな一日鍵を磨いでいる。
その耳障りなきしみ音が一種のBGMだ。

まん中には大きなテープルがどかんとあって
そこに住人たちが集まって酒を飲んだり話をしたり。

はじめのうちは
誰が誰やらわからず、
小一時間は「この人誰だっけ?」の状態が続く。

脚本は原作とは随分変わっているそうだ。
それぞれのひとの物語とお互いの関係が
薄紙を剥ぐようにあきらかにされていく。
その絡みあいが「ケラワールド」だとわたしは思う。


ルカ老人が宿屋に入ってくるまでには
みんなの名前や日常はあきらかになっている。
いかさまばくちで稼いでいる男、サーチン、
酒飲みの男爵、その子分格でつきまとう役者、
娼婦のナスチャ(男爵の酒のでどころは彼女だ)

「こんなところに堕ちてきて」と繰り言ばかりの錠前屋は
無愛想でいつも怒っている。
妻のアンナはひどく咳き込み続け、死を目の前にして
生きることを呪っている。

彼らに比べると、
揚げ足とりの帽子屋や、すっとぼけた靴屋は
すかんぴんでも楽しそうにふらふら生きている。
また饅頭売りの女は、この中ではいちばん明るくてしたたか。

彼女の「饅頭を食って腹を壊した」と言いつのる兄弟が
「賠償しろ」と脅しに来るところが幕開けである。
ほかには、若くて生きのいいぺーペル(泥棒だけど)、
不気味な大家、
毒々しいその妻と、清楚な妻の妹。
なんとまあ、たくさん人が居ることだろう。

プログラムより
“とある木賃宿、
ここには人生への諦めしか持ち合わせていない住人たちが
巣くっている………。
誰もが訳ありげでアヤシい。
彼らは強欲な宿の大家夫妻に悪態をつきながら
互いにいがみ合い、それでもそれなりの平穏を
保ちながら生活している。

だが…不穏な空気が漂いだす。
周知の事実だった泥棒と大家の妻との不倫が、破綻しそうだと。
泥棒は…妻の妹に惹かれはじめたのだ。
さらに「謎の老人」が宿に現れる。
老人は…おしゃべりの中で
「希望」や「未来」の話をはじめる。
「何もかも失ったってねえおまえさん、未来だけは、
まだ残っているのさ」と。
老人の言葉は住人たちの心に波紋を起こし
宿の日常はバランスを崩しはじめ…。

(※…は略した部分)

筋書きを追っての感想は書けないから
思いついた順に記してみる。

まずは役者
極めつけのアル中で、むかしの舞台の自慢をするが
記憶はもうぐずぐずに崩れている。
シェークスピアの名も忘れ果てているくらいに。
ただのらくらと誰彼となく酒をたかるだけの毎日だ。

ところがそこへルカ老人がやって来て
彼の傷んだ“五臓六腑”を“無料”で治してくれる病院が
遠いどこかの街にある、と言う。
その言葉が酒にふやけた頭に衝撃を与えた。
酒を控え小遣い稼ぎをし、その小銭を持って
旅に出ようとするのだ。
まわりのみなはそんな役者を嗤う。

ある夜彼は絶頂のころに演じた芝居を思い出す。
見る人は誰もいない夜の宿屋の汚いテーブルに上って、
朗々と主役の台詞を語る彼。
過去を、引きずり出してしまったけれど
真実と向き合うのは辛い。
ルカの話も嘘だと悟って絶望した彼は
末期の酒を一気のみして、広場で首を括る。

役者の末路は、ルカがみなに語った小話と対応している。
「心高潔なひとが住む“真実の国”を求めて
貧しい暮らしに耐えていた男が、
その国の有る土地を知りたいと望み、
そんなところは無い、のだと悟った夜に首を吊る」
哀しいが残酷な挿話である。

彼の最後を目撃していたのは若い娼婦だ。
安物の恋愛小説をネタに悲恋の主人公になることで
日ごろの憂さを耐えていた彼女。
しかし彼女は「本の世界」はフィクションである事を知っていた。
だからこそ荒れ狂い、
持っていた本を踏みにじり外に飛び出した。
彼女が死ななかったのは
「嘘」をつっかえ棒にしていると知っていたからである。

インパクトが強いのは
極貧の人びとから金を巻き上げる大家、
死人のように青白い顔つき、。
もったいをつけた言い方もいやらしく、
あこぎな取り立てで住人たちに忌み嫌われている。
最後にははずみで死んでしまうのだが
だれ一人惜しむものはいない。

巡礼のルカ老人を演じるのは段田良則、
「薮原検校」でその芸達者ぶりは知ってはいたが
声やしぐさのすばらしさ。

物わかりのよいこの老人、ある時は神父のように
住人の愚痴を聞くやさしい無害な男にみえる。
しかし、こんな侘びしい木賃宿に来る流れ者であるから
ひょっとすると犯罪者かもしれない。
それを匂わせる会話が、家主とのあいだにかわされる。

でも肝腎なのは
彼が来たために、人びとの運命が変わってしまったことだ。

たとえば、泥棒のぺーペル。
若い彼にルカが「こんなところから出てどこかで
人生をやりなおしたらどうだね」とさえ言わなければ、
彼はナターシャにプロポーズしなかったろう。
彼女を得るためにぺーペルは律儀に
不倫相手のナターシャの姉、ワシリーサに別れ話を持ち出すのだ。

清純なナターシャも同じようにルカの言葉を聞く。
ぺーペルを愛しているのに
どうしても信じられなかったナターシャ。
彼女はぺーペルが姉と共謀して義兄を殺した、と思いこみ、
警察にぺーペルの罪を告発する。

確かに突き飛ばしたのはぺーペルだが、
なぐりかかったのは大家のほうだったのだ。
嫉妬したばかりにナターシャは
恋人も姉も自分も失う。
町外れの沼のほとりで、奇妙な笑いを浮かべていたのを
目撃されたのが最後の姿だった。

いっぽうしょっ引かれたぺーペルは
“うなだれたまま一言も口を聞かず
背中はむち打たれて傷だらけになっていた”と字幕が語る。
江口洋介が颯爽として演じただけに
見えないその姿が哀れである。

サーチン、このイカサマ師は
ある夜ルカに自分の過去を語る。
大学生のとき、飲みすぎて調子に乗り
組合事務所にカンテラを投げ込んだと。
そこに居た人びとは焼け死に、彼だけなぜか捕まって
23年という長い月日を監獄の中で過ごした。
死者の中にはサーチンの父が含まれており、
刑は勤めあげたものの
彼は父に対する罪の意識を持ち続けていた。

口に出したことで幾分気が晴れたのか、
以後の彼の話し方は
どこかルカを思わせるようになった。
穏やかなやさしげなところが。

そしてアンナ
日がな愚痴を言い続け激しく咳き込み
それでも夫の言うことには逆らわないあわれな女。
このみじめな木賃宿に来るまでは
どんな夫婦だったのだろう。
今は、何を愚痴ってもみな右から左で
死ぬことへの恐れを必死に訴えても
だれも耳を貸さない。
ルカだけが、繰り返し繰り返し
天国の安らかさを、説き聞かせる。
憐れみに満ちたその言葉のおかげで、
だんだん彼女は落ち着いてくる。

なのに、吐息をついたその後に彼女は言うのだ。
「(天国が)そんなにいいとこだはよくと分かったけど
もう少しだけ生きていたいねぇ」と。
なぐさめのない人生でも、もう少しの時間が欲しいと
ひとは思いながら終焉を迎えるのだろうか。
またその声は愛らしく美しく、
嘆きの時さえ音楽のような抑揚をもっている。


一方に元気いっぱいな万頭屋が居る。
ここの暮らしにへこたれず、あり得ぬ夢もみず、
過去に苦労をしたけれど、忘れて見ないふりもせず、
ただ、市場で饅頭を売って生活の糧とする。
現実と確かに折り合いがついているのだ。
彼女が登場すると、漂っていた悲哀が薄れ、
喜劇的なやりとりに、住人たちですらやんやと喝采する。
最後の場面では大家の親戚である元警官と結婚し、
「大家夫人」として姿を見せる。
たった一度、彼女がかなしい声を出したのは
ぺーペルが縄をかけられて連れ去られるときだった。
明るさの底にある翳をかいま見せた瞬間である。


テーマソングが「カチューシャの歌」
歌詞は昔のそれとは微妙に違うが、
哀調のなかにも希望を感じさせる歌である。
四人の楽隊が(トランペット、サックス、太鼓、アコーディオン)
辻音楽師の扮装をして演奏する。

三時間半の芝居の最終場面

嫌な訪問者をみんなで追い出し、
気持が通い合った住人たちが楽しげに歌う。
行進曲のように勇ましい「カチューシャの歌」を。
リフレインが続いて盛り上がったところにドアが開き
暖かい空気を裂いて娼婦の絶叫が響きわたる。

「役者が首を括っちゃった」


夢みるだけではひとは傷つかない
嘘はしばしばひとを傷つけるが
真実はもっとひどくひとを傷つける

人と人の関係が奏でる響きを彩るのは
風や雨や雪だ。
痛い音をたてて吹き
激しく戸を叩いてひとを気落ちさせる。

ただ雪は、雪だけは
惜しみなくきらきらといつまでも降る。
凍えないためには、もう一度歌わなければ。

2008年4月15日(火)13:30
シアターコクーン
「どん底」 脚本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

CAST
ルカー(巡礼)       段田 安則
ぺーペル(泥棒)     江口 洋介
ワシリーサ         荻野目慶子
ナターシャ(その妹)   緒川 たまき
大家             若松 武史
サーチン          大森 博史
錠前屋           大鷹 明良
アンナ(錠前屋の妻)   池谷 のぶえ
帽子屋           マギー
男爵             三上 市朗
娼婦(ナースチャ)     松永 玲子
万頭(クワシニャー)    犬山 イヌコ
メドヴェージェフ       皆川 猿時
役者             山崎 一

兄と呼ばれる男      あさひ7オユキ
弟と呼ばれる男      黒田 大輔
靴屋             富川 一人
衛生局の男        大河内 浩

浮浪者(ミュージシャン)
   トランペット      鈴木光介
   サックス        日高和子
   アコーディオン    高橋牧
   パーカッション    関根真理、石川浩司 
  
   他

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花の道をとおって…「ミー&マイガール」

宝塚は遠かった。
乗り換えや乗り継ぎは、隣県のこととて
何の不安もないが、
梅田から三十分、のうたい文句
その梅田に着くまでの時間が必要だからだ。

中山寺、売布(めふ)神社、清荒神
こんどは社寺めぐりに来なあかんわ、と言うほど
神社やお寺が駅名である。
小豆色の阪急電車は始発では快速急行だったが
ここまで来ると各駅停車。
いちいち律儀に止まる。

桜はそこそこに咲き始め、
風は強いが散る気配はない。

終点の宝塚駅で降りても、迷わずに済んだ。
それらしい人たちの後をついていくとモールに。
出たところが「花のみち」の入り口、
あとはまっすぐ歩くと大劇場だった。

入ってからもかなり歩く。
客席の入り口前のロビーのあちこちに
お弁当引換所がある。
わたしも予約券と交換する。
(「生協の方はこちら」と立て札が)


さて…どこで食べよう。


中庭には椅子とテーブル
お天気ならよかったのだが
この日は時雨がちで寒い。
でも、まだこの劇場に慣れていないので
結局そこで松花堂風弁当を食べる。(お茶つき)

次は途中でサンドイッチかおにぎりを買おう。
レストランの予約も受け付けていて
休憩時間に食事することも可能らしい。
※ また休憩時間なら客席で食べてもかまわないのだった。
  かなりの人がそうしていた。 気楽でよいなあ。
 


「大」劇場というが意外にこじんまりしている。
取れた席は真ん中よりやや後ろで、上手の壁際だった。
インターネットで調べたときは
見にくいだろうな、とがっかりした。
ところが傾斜の具合が絶妙で
オペラグラスを使うとくっきりと舞台が見える。

オーケストラピットより客席側に
半円形に一本の道がとおっていて
これを「銀橋」というそうだ。
フィナーレではそこにスターが並ぶのだそうだ。
幕が上がってオーケストラが演奏をはじめ
やっぱり生の音はすてきだった。

今月の舞台は
「ミー&マイガール」
軽やかな恋愛もの。
職場の同僚の熱心な宝塚ファンに
むかしの公演ビデオを貸してもらって
予習済みなのである。
(天海祐希主演のものを)

ほとんど全部と言っていいくらい女性客。
年齢層もめちゃくちゃ幅広い
母娘連れが目立った。


やや小柄に見えるが親しみやすい感じの
男役トップは瀬奈じゅん。
この公演で退団の彩野かなみ(娘役トップ)の
すらりとした足がきれい。

“イギリスのある伯爵家、家を守る伯爵夫人
やっと跡継ぎの青年がみつかるという知らせに
家中がうきうき。
ところが現れた彼は、ロンドンの下町育ちで
行儀は悪いは、同じ階層の婚約者はいるはで
貴族連中大あわて。

何とか伯爵らしくさせようと、夫人は二人の仲を裂く。
自分が居ると彼の迷惑になる、と悩む娘は身を引く。
でも青年は彼女を忘れられず…

いっぽう伯爵夫人は彼に「すてきなレディを紹介する」と言う。
現れたのは、すっかり上流階級の作法を身につけた彼女。
夫人の粋なはからいで、ハッピーエンド。

この恋にからむのが、夫人の甥と姪の恋模様や
夫人を想い続ける旧友や弁護士。
召使いの群舞、クリケットをする貴族たち、など
解りやすい歌と踊り、群舞で綴る二時間半”

年配の役を演じるのは「専科」のスターで
貫禄が一回り違う感じを受けた。

化粧は濃くて、どのひともお人形のように見える。
見ている間にだんだん慣れて、
顔立ちの見分けがつくようになってきた。
あとは声で聞き分けたりする。
(トップを間違える事なないけど)

その他おおぜい、の中に
お気に入りのひとを見つけて応援するのが、
「ヅカのファン」のならいだそうだ。
なのでわたしもオペラグラスを手から離さず、
右から左へまた右へ、と
舞台に立っているひとたちを熱心に眺めた。


この春はじめての舞台にたつ
新人たちの口上があった。
男役はショートカット、娘役は長い髪、
全員のラインダンスは、白と赤の羽根つけて登場。
一斉に足があがり「YA!」とかけ声がかかる。
まぶたがふと熱くなる。
いいなあ、若いって、と。
応援したくなるのがよくわかる。
これと似た気持ち、夏の甲子園をみている時だ。
その懸命さに、やっぱり切なくなる。


たっぷりした幕間のあとの、二幕目は早々と終わる。
いよいよのフィナーレ、電飾の輝く大階段を
次々と出演者が降りてくる。
トップは階段の途中でダンスまで披露する。
さすが。

三番手、二番手、トップ、と順番に登場する。
ライトは常にトップの男女に当たっている。
これって、洋風に見えるけど、伝統芸能なんじゃない。


しかし家からはあまりに遠い。
往復に六時間弱かかった。
これなら東京まで行って帰って来れる。
チケット代とパンフレットはとても安いのがいいけど。

もう少し楽な方法を尋ねた。
ずっとJRで行けば、よかったのだ。
阪急の駅の後ろ側にJRの駅があるらしい。
せめて、あと三十分短縮できれば、
気軽に楽しめるもの。

2008年4月15日 午前11時開演
宝塚大劇場  月組公演
   「ミー&マイガール」

キャスト

ウィリアム・スナイブスン  瀬奈 じゅん
サリー・スミス        彩乃 かなみ
ジョン・トレメイン卿      霧矢 大夢   
パーチェスター(弁護士)  未沙 のえる   
マリア公爵夫人       出雲 綾      
ジェラルド(夫人の甥)    遼河 はるひ
ヘザーセット(執事)     越乃 リュウ
果物売りの男        青樹 泉         
ランベス・キング       桐生 園加
ジャクリーン(夫人の姪)  明日美りお   

  月組80名 初舞台生 44名 専科1名

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ひともとの桜に惹かれ

「根尾の薄墨桜」名前は聞いたことがあったが
どこにあるのか、どのように行くのか、は知らなかった。

今年はその桜を見よう、と決めたのは
職場での雑談で
“青春18切符”の話が出たから。
楽々往復できる、と聞いたから。

インターネットで調べてみると
満開予想は、18切符の期限である4月10日頃だった。
本巣市のホームページで
毎日の開花状況を見ることができるし、
経路も時刻表も検索できる。

なのに、やっぱり活字のほうがいい。
三月改訂の大型時刻表を買い
ページを繰ってメモ書きする。
すでにその時から旅が始まっているのだ。

あまり満開近い時に行っても、
人出が多くて、写真が撮りにくかろう、と予想して
早めに樹の下に立ちたいと思った。
決心したのは急に暖かくなって開花が早まったとき。

とにかく行ってしまおう、と
仕事に行く日よりも早起きして、
最寄りのJRから新快速電車に乗り込んだ。

東海道線を新幹線以外の列車で「上る」事は少ない。
ゆったりと草津、野洲、彦根、と過ぎる。
左手の琵琶湖と、高みに見える伊吹山がうつくしい。

終点は米原。
ここから大垣までは、列車の本数が非常に少ない。
一列車乗り遅れると、後まで響く。
18切符組の高齢者がひとかたまりになって
移動している後をついてゆく。
山歩き用の格好のひとばかりだ。
第三セクターの樽見鉄道の乗り場は
改札を出なくてもよかった。
いちばん端っこのホームだったのである。


たった一両で走る。
桜のある樽見駅まで一時間、
ゴトンゴトンと昔懐かしい音をたてて
ゆっくりゆっくり走る。
むろん単線で、途中の駅で時間待ちをする。

ひとり旅なので、乗り合わせた人の話を聞くのも面白かった。
行きの電車では各務原のお寺にある藤の花のことを聞いた。
白と紫と薄紅色、いちどきに咲くと
それはみごとだそうである。
帰りにはヒマラヤの近くからやってきた桜の話。
その樹は伊豆の伊東にあって
咲くのは冬のはじめとか。


終点の樽見駅は真新しくログハウス風だ。
電車はカラフルな色合いでかわいらしく、
降りて早速カメラに収める。
メインストリートというほどのものはなく
貰った地図には
農協と郵便局と喫茶店、クリーニング屋と信用金庫、が
駅の近くに集まっている。

ここでは川幅も広くゆったり流れる根尾川を渡り、
近道のコンクリート造りの階段を上って
屋台の横を抜けるとま正面に桜があった。


樹はどっしりと、根元近くには
こぶがたくさんできていてふつうに見る桜の幹の
何倍もの太さがある。
そこからふとぶととした枝が出、
枝はたくさんの支柱でささえられている。
ほとんどがつぼみではあるけれど
枝の先にほんのちらほら、開いた花がみえる。

まわりは流れや池をしつらえて
きれいな公園になっている。
予想通り人出は少ない。
だから思う存分、桜を近くで見ていられる。

まわりは人が踏まないように
ひろく円形にロープが張ってある。
桜が疲れないように。

樹齢が千五百年、と説明書にある。
「継体天皇お手植え」と。
お能に「花がたみ」という曲がある。
このあたりはそれに登場する
「おおどの皇子」(後の継体天皇)に所縁があるらしい。


ヤマトに迎えられて天子になった皇子が
形見として置いていった
「花かご」を持って後を追った女のものがたりである。
彼女=照日はめでたく帝となった皇子に出会い
舞を舞うことで目に留まり
宮に迎えられたのだ。

天皇が急な召しによって旅立つ前に、
身代わりに植えた桜が
いままで命永らえているかと思うと
気が遠くなるような話である。

敷地の隅に「さくら資料館」が建っていた。
気軽に入れる料金(三百円)だったので
ちょっと入って風で冷えたからだを温める。

一時は枯れかけていた薄墨桜を再生するための努力が
パネルで示されている。
作家の宇野千代氏のことや
老衰していた桜に、若い樹を継いだひとなど。
何よりもここまで桜を世話してきた
地元の人びとの苦労が偲ばれる。

土産ものは桜づくし
(桜饅頭、桜羊羹、桜茶…)
それと山菜や椎茸などの山里のもの
食堂ではうどんやぜんざいが売れ、
たこ焼き屋に列ができていた。
桜の季節はみじかい。
ほんの半月ばかりの名所だろうが
陶器の店、染め物の店などが軒を並べているが
所々、シャッターの降りた店があった。
満開のときには全部の店が開くのだろう。


帰りは道を間違えて別の橋を渡ってしまった。
道を聞こうにも人通りはなく、
駐車場の案内をしているガードマンに問うても
「わたしは“ここらあたりの者”ではないので」と
首をかしげられる。
なんだか狂言ぽくて、慌てているのに笑ってしまった。

橋を渡ったところで
自転車に乗った地元の人を見つけ
ようやく見覚えのある通りにたどり着き、
見上げると駅に止まっている列車が見えた。


帰り道、渓谷の景色を眺めているうちに
資料館で見たパネルを思い出した。
幕末の“水戸天狗党”事件、
京都へ請願に行くべし、と立った人たちは
幕府側につく大小名の軍と諍いを起こさぬため
根尾の谷から険しい山を越えて
越前に出るコースを選んだという。


桜のかたわらから見ると、遠くに
四月なのにまだ真白く輝く白山の峰がみえた。
この川沿いを彼らが歩いたのか、と思うと
桜はそれを知っているのだと思うと、感慨深い。
歳を取るのも悪くないな、と感じるのは
こんな瞬間である。

よい花見ができた。


桜の満開のさまは市のホームページで見た。
ゆきのように白い花が「こぼれんばかり」で
格別に花が多く、綺麗だとあった。

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