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2005.02.27

おおさか・元気・能・狂言

初めての場所に行くと、椅子とトイレをチェックするのが通例。

今回、N○Kホールでは、
どちらも水準以上で、満足。特にトイレは、姿見まであって
清潔このうえなく、数も充分。

大きめのホール。みっちり満員。なにせ2000円だし。
舞台の上に能舞台。鏡松もちゃんとある。

パンフには、能楽堂の解説(絵入り=(笑))
お囃子の楽器(こちらも絵入り)
シテ、ワキ、狂言方、など言葉の解説。

本日の能「安達原」のストーリー紹介など、A4サイズ4ページにぎっしり。
ふりがなまでついてます。
このように、お膳立てはこのうえなくしっかりしたものだった。

「古典芸能番組」のノリです。
「狂言」は野村家の「附子」で
萬斎さんお得意の太郎冠者。

笑いがあちこちで出て、盛り上がる。
謡いの美しいのは、野村家の特徴で、笑いの中に端正さがある。
仕草もかっきりと舞に似て華麗。

このときはみな起きてたと思う。

能に入って、
静かだ!と思っていたら、かなりの人が寝ていたのだ。

よいお能だっただけに惜しまれる。
前場はしみじみと、作り物の「糸繰車」を
回しながら謡うのが見せ所、聞かせ所であるのだが、

言葉がわからない。

私はその眠気をはらうために、お稽古を始めたのだが
それでも習っていない曲(ほとんどだし)は半分くらいしかわからない。
あらすじを予習しても限界があるし…


「安達原」
大西智久さんのシテはしみじみしていてよかった。
声も綺麗。
ワキ方は私の好きな福王さん親子。耳慣れているワキ謡が楽しい。
また、お囃子も好きな方が揃っていた。(赤井さんの笛、大倉源次郎さんの小鼓)
初めて聞く上野さんの大鼓も、上田さんの太鼓もよかった。

鬼女になった後場は、あっという間に終わったが
悲しみに満ちた激しい舞、能楽堂で観たかった。


能楽堂の空間でお能を見慣れてしまうと、
大ホールの広さが、凝縮した舞や囃子を薄めてしまうような
気がするのだ。
思いが真っ直ぐ舞台と繋がらないもどかしさを感じる。

でも、こんなに行き届いた催しは、またやって欲しいなあ。
これは「入り口」だけど、とても入っていきやすいから。

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2005.02.23

「錦木」

先日、袴能で「錦木」を観てきた。
あまり上演頻度が高い曲ではないみたいだ。

フォーラムということなので、大学の先生のお話が入れ替わりつつ一時間。
詞章の解釈、型つけの変遷など、興味深い話題なのだが、
時間がひとり20分弱では、ちょっと中途半端だった。

一般人でも講義が聞ける○○講座!が会ったら行ってみるのだけど。

「袴能」は装束を付けないので、演ずる人の姿勢、
足捌き、扇遣いなどがくっきり見える。
普段と違うのがこれまた面白かった。

「錦木」は地味で(汗)派手さのない曲。
思いを受け入れられなかった男が葬られた「錦塚」で
僧が回向をしていると…という話だと、

(これは私が子供のとき、家にあった「○○むかしむかし」と言う本に
載っていた悲恋物語(?)である。
その本が好きで、擦り切れるほど(笑)読んだ。
時々その一部がふっと思い出される。

行きたい!!と思ったのはそういうわけ。
哀しい恋物語に涙するはずが)

フォーラムでは、
「恋は叶ったと見ていいかと…」と言われており…
おや困った。違うのかしら?と

心配しつつ見ていたが、
舞の妙技、お囃子の活気に心を奪われて
どうでもよくなって気分よく帰った。

ネットで探せば古本で「○○むかしむかし」シリーズは手に入るらしい。
そのうち、記憶がたしかかどうか知りたくなったら注文してみよう。
(もちっと、年とったらね)

思い返せば、結構お能から題材をとってたりしたのだ。
たしか、“猿沢のウネメ”で「殺生石」の解説があったけ。

昔と今が繋がると、「ぱちっ」という音をたてて
パズルのピースがはまる気がする。
その瞬間がだーいすき(^^)

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2005.02.19

「花の脇役」

「芸づくし忠臣蔵」が気に入って借りてきた
関容子さんの本!第二弾(笑)

歌舞伎についてはまっさらに近い。子供の時のテレビ中継と
おなじく雑誌の歌舞伎評。

伝統芸能に関しては、どれも“ほんの少し”から始まる。

「花の脇役」は文庫本で、「虹の脇役」と対(こちらはまだ未読)
歌舞伎の主役は、家柄中心だけど、
ここに描かれている脇役たちの、

面白くも哀しい、粋で必死でな話10篇。
なだらかな語りの口調も気に入ったし、
知らず知らずのうちに演目が頭に入る気分の良さ。

読み終わったら、泣けてきてしまった。

そうか!何でも主役だけでは出来ないんだ。
脇役、囃し方、道具方…etc

どの人にも共通するのが「本当にお芝居が、師匠が、好きなこと」で
そのためには苦労をいとわないということ。

そうか!好きなら耐えられる、いややっていけるんだ。
そう思うとふと楽になれる。

いちど歌舞伎の舞台をみたいと望んでいたが、
この人に出会って、みどころが大幅に増えた。

何をみよう!?

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2005.02.18

「茂山狂言会」

狂言を観るの、ひさしぶりです。
狂言尽くしはお正月以来。
なぜか、土日の公演多数になってしまった茂山家。

せっせと行ってただけにとても残念。
行けば必ず、ほわほわ楽しい気分になれるのに。

「茂山狂言会」はお客の年齢層が「TOPPA!」に比べて
幅広く、年配の人が多いので落ち着く(^^ゞ

演目「財宝」
茂山千作、宗彦、逸平、童司
じいちゃんに孫三人
ほのぼのとした狂言。
年上!の宗彦さんが、がんばっている。語りも一番多い。
ストレートにひたむきに押していく彼、いい。

じいちゃんを「てぐるま」で担いでいくところは、三人の
息が合って、(宗彦さん汗まみれ(笑))賑やかでおめでたい幕明けだった。

続いて「素襖落」
茂山正邦、千之丞、千三郎。
1月30日に「心味の会」で同じものを見た。
違いは、叔父さんの役が千五郎さんから千之丞さんにかわっただけだが…。
正邦さんの酔いっぷりがよかった。
“優しい叔父さん”でも千之丞さんの声はからりと高く、
間も緩急がある。
二人が噛みあって楽しく酒盛りをするところ、“素襖”貰って
生き生きと喜ぶところ、若旦那!すてき。
千三郎さんの舞姿、ワキから見ていてとても綺麗で、
やっぱり上手いなあ(^o^)丿と再確認。

目玉は「釣狐」
茂山千五郎、七五三。
兄弟二人の“狐”
呼吸がぴったり。まだ枯れてはいらっしゃらないお二人だけど、
天真爛漫な千五郎さんと、生真面目な七五三さんが
一緒の舞台だとお互いに引き立つのだわ。
七五三さんは思い切り気合の入った顔だった。

「狐」は~
可愛かった(笑)
千五郎さんが、狐のぬいぐるみを着ている、としか見えないのに
どうしてこんなに、楽しいのかしらん?
(私はかなり千五郎ファンなんです。)
前場の僧のときは飛んだり跳ねたり、一生懸命だった千五郎さん、
「狐」になったら、ちょっとどたどたに。
背中がまた愛らしい。
声は“千五郎さんの声”で(笑)
狐っぽくなかった。

猟師に追われて、シテ柱の影に隠れるとき、狐の面が愛嬌
たっぷり。(仕草もかわいい)

ほのぼの「狐」!!よかったです。
(笛が、杉 市和さん(^^)=好みの音色)

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2005.02.10

橋本治(続き)

「蝶のゆくえ」のトップにあるのは
ネグレクトされて死に至った子供を扱った「フランダースの犬」である。

ついこの間読んだが題名を忘れてしまった本!
(某出版社のノンフィクション賞を取ったんだけど)
若い夫婦が、初めての子を育てかね(発達が送れていると思い込んで)
段ボールに閉じ込めて、食事もろくに与えず、死に至らしめる…という事件を

もう一度辿りなおし、親の生育歴、役所のかかわり方、医師や保健士から見える問題点
を細かく、情に流されずにルポしている。

この両親は、私の子供と同世代。
その親(祖母たち)が私とほぼ同じ年。

「どこにでもある」若い二人、と書かれていて、ほんとに近所にいても
おかしくない“新婚さん”
人付き合いが苦手で、子供が小さいうちは、情報も入らず、
若い父は「子育ては母親に!」と思っていて、仕事ばっかりしているし、

思うように育たなかった子供に対して母親は、
続いて生まれた赤子を可愛がって、
牛乳とスティックパンだけしか、与えなかったこともあったらしい。

それを、フォローできなかったその親たち=まだまだ若く、孫一辺倒には
成れない彼女たち。

読み上げるのに辛くて時間がかかった。

治ちゃんが「フランダースの犬」とタイトルをつけたのは、
もともと、暗い話だし…(アニメはほのぼのと見せていたけど)
主人公ネロは、誰からも見捨てられて死んでしまうからかしら。

早く結婚し、子供が出来ても母にはなれず、再婚した彼に
気に入られたいから?子供を縛ってベランダの段ボールに放置する。

学校も祖母も、家の中までは入れないから、
何もしらない。

一冊のノンフィクションの圧倒的な迫力とは別の

くっきり線描されて、浮き上がった、
今、起こっていることたちのひとつとしての「ネグレクト」
“だから…すべきだ!”とは一行も書いてないが、

読んだ後のやるせなさは胸に沁みる。

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2005.02.08

「蝶のゆくえ」

橋本治の小説を「買った」のは初めて(笑)
彼の事は「治ちゃん」と呼んでいて、同じ世代だし、ずっと前から知ってるし、
“知り合い”の人みたいな感覚で居る。

評論やエッセイ、美術関係の著作も好きで、そっちは買うのだけど…
「桃尻娘」以来、小説はなあ??と決め込んでいた。

多分、あまりにも曲がりくねった論理についていけなかったからだと思うのだが
わからないなりに、文体は好きで、「治ちゃん節」を読みたくなると、
ちょいと文庫を購入!というパターン(笑)

「蝶のゆくえ」を買い求めたのは、いつもチェックしている書評に載っていたのが
ひとつ、
もうひとつは、題材の紹介が今の自分にぴったりな“何か”が書いてあるかも、と
興味深かったから。

カンは的中!
私たち=団塊の世代と名付けられている、が目前に控えた「老い」の
問題。
仕事場でもよく話題になる「夫の定年退職後」のこと。
もひとつ理解できない、子供世代の生き方等々。

なんとなく暑苦しいイメージのある私たちは、変えようと望むあまり
置いておけばよかったものたちを“捨てた”のではないかと
ぼんやりと恐れてきた。

「白菜」の中には、「老い」から目をそむけ、向き合わなかった女性、
白髪を染めれば若く居られると錯覚しつづけている女性が出てくる。
観念的に私はいろんなことを学んだ。

♪本やテレビで覚えたことも嘘ではないけど…♪(?)
    by中島みゆき(サッポロsnowy)

そして、今は学んだことを体で覚えなおしている。

短編を6つ収録
「ふらんだーすの犬」「白菜」「ごはん」「金魚」「ほおずき」「浅茅が宿」

タイトルが話しを始めているのもあれば、
なんとぶっきらぼうな!というのもある。
捻らずにまっすぐに通った硬質な糸のきらめき、とおもった。

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2005.02.06

「くらやみの速さはどれくらい」

今週は、図書館で借りた本がみんなヒット!という嬉しいことになった。
一番“好き”なのがこれ
エリザベス・ムーン著:小尾芙沙訳・早川書房
(海外SFノヴェルズ)

むちゃくちゃかいつまんで言うと、「自閉症」として知られている病気が、近未来では
手術によって「回復」する!というお話。
主人公の“ルウ・アレインデイル”が、手術する決心をして、
知能としては、以前の驚異的な才能を保ち、

自分のしたかったこと「宇宙船に乗る」夢を叶える。

しかし、回復した彼は以前にかかわっていたフェンシンググループからも離れ
想い人マージョリーに会っても「何も」感じなくなり…

と、「人格の変化」を起こした-----と見える。

さまざまな人々の暮らしのありようを緻密に描きながら、
「障害」と持った、と言われるものの視点。

差別する者の見方。

彼らを雇っている会社側の人間の悩みやずるさ。
恋敵の「ノーマル」な男の卑劣さ。

いくら、並べた所で、うわっつらを紹介する事にしかならないな(汗)

「自閉症」と言われる人の目から見た世界が、とても魅力的だ。
ほんの少し生真面目で、人の言葉の裏側を考えずに、気持は矢のようにまっすぐ。

誤解するのはいつの場合も「優れている」と思い込んでいるフツーのひとたち。
一緒に生きることはそんなに難しいの?
でも、彼が「自閉症」だから、友達になったり、好意をもったりすることもあるのか!!
(多分、あるのだろう…とわたしは思う)

そこで、この標題が問うもの
「くらやみの速さはどれくらい」?

最初に神は「光あれ!」と言われた。そうすると光があった。
ならば、
その前にあったのはくらやみであるはず、だからいつもいつも
光はくらやみには追いつけないのだ。

終章ではルウは元ルウと一体化し(つまり手術後しばらく忘れていた、元の自分の感情を
思い出し)光とともに、はしるのだ。宇宙船に乗って。

どこか、“ゲド戦記”第1巻「影との戦い」を思わせる一体化だった。
それは終わりではなく、始まりだという意味でも。

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2005.02.05

「影身の内侍」

「子午線の祀り」は、平家物語に沿って劇が展開する。
“屋島”での光景と、“壇ノ浦”の攻防と、その二点が中心になっている。

あまたの人物のなかで、たったひとり、フィクションであるのが「影身」。
重衡の「想い人」と言われるが、知盛も彼女を恋うているらしい。

「影身」は巫女ではなかったか?
厳島神社は平家の信仰篤い社だとは聞いていた。
その中で選ばれた舞姫のひとり、と聞けば、これは神の声を聞く
巫女じゃなかったか?

そう思わせるものは、ややぎごちない知盛の態度(萬斎さんの(笑))と
都への使者という重要な役を、彼女に頼むしかなかった彼の二律背反。

結果として影身は殺され、知盛の考えは、上皇には届かず、彼は
この上は武力によって、源氏を打ち破ろうと心に決める。

その日々にまさに“影”のように寄り添う内侍の魂あってこそ、彼は正気を保てた。

高橋さんの「影身」はなよやかで美しくしっとりと女らしいが、
たったひとつの物足りなさは、「神に仕える厳しさ」がやや薄いことだ。

山本安英さんの舞台はたった一度、「夕鶴」を観ただけだが、
人に見えて人でないもの、の不思議さを充分感じさせてくれる人だった。

木下順二が山本安英に当てはめて描いた「影身」を他の女優さんが演じるのは
きっと大変だと思う。

普通の男女の仲ではないから、知盛は最後に「影身」の名を呼ぶのだが、
その絶叫に、もう少し「魂呼び」の空気があれば…
なんの瑕もない美男美女、では何か足りない。

舞姫たちがゆるゆると舞う場面。
神が人に憑くということ。
しかし、現実の武将によって、橋は落ち、平家は滅んだ。
望みがないことを知ってからの知盛は平家の本文でも

この舞台でも、かかやくばかりにうつくしい。

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