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2005.04.25

「田村」

子供のころから体育が苦手で…。
ダンスもバトンも体操も!
跳び箱も鉄棒もマスゲームも、

さらには盆踊りさえ
リズムに乗れない私。

地域コーラスの10年も、
リズム感をなおすまでには至らず、
何よりも、自分が“下手”だとわかっているから、
よけいにぎくしゃくするのである。

仕舞を始めたのも、
ただ身体を動かしたかっただけ。
上達などは思いもよらぬ。

(といいつつ、うまくなりたいと願うのも人情か煩悩か(笑))

一年やって、只今3曲目…遅い

今日やっと、舞っていて楽しかった!

「謡い」はほぼ覚えてい、
舞の順序を頭に呼び出してから動くのではなくて、
無心に自然に先生についてゆけた。

うまく言葉で言えないけれど、
自転車に乗れたときとちょっと似ているかな?

“いづくの春もおしなめて、のどけき月は有明の
   天も花に 酔えりや…面白の春べや あら<面白の春べや”
この最後の部分の謡いがいっとう好きだ。kaname

写真はかなめの木、紅萌え。

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2005.04.23

現代劇

お誘いがあって、「現代劇」に出かける。
何と呼ぶのかわからないジャンルで。

「山小屋で」… 人見喜久彦作

昔で言えば「新劇」ぽい。
題材は、「第二次世界大戦終戦前の上海での出来事!
特務機関で働いていた(スパイです)ドイツ人の男と
日本人の女の30年後」

なんとも難しいお芝居。

内容じゃなく「舞台装置」を見に行ったので(汗)


昭和48年の『山小屋』
道しるべのような木のモニュメント!
磨かれていて白木つくりのようにつやつや、
椅子が三つ。皆かたちが違う。
とても人間味のある椅子なのだ。

小屋の名前が舞台下手に掲げられていて
その名前がどうやら「解題」の鍵らしい…

のだけど、二人とも、仕事疲れで
セリフが頭に入らず
1時間でダウン(涙)で途中で帰る。

近ごろはお能しかみていないせいか?
発声にも、身体の動きにもついていけず、
セリフが変換できなかった。残念。

nisikigi
これは「ニシキギ」の新芽、後には赤くなる。

団地の各入り口に植わっている。
この季節、緑は柔らかくうつくしい。

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2005.04.22

行きつけ

emuzu-tennnai
小さな美容院。
美容師さん二人。
美人姉妹(笑)

美人というのはほんとうです。
お姉さんはきりっと。
妹さんはやや甘く。

はちみつ色の長い髪をアップにしたり、
金髪になったり、
妹さんの髪型は行くたびに変わります。

でも不思議なことに、声は似ている。
予約の電話をするとき、?どちらだったけ、と思います。

家から地下鉄利用して小一時間。
なぜこんなに遠いところに行っているかと言いますと、
友達の親戚の姉妹だからなのです。

最初は義理もあって、一度だけなら!と思って
髪を切ってもらいました。

そのおりの、お姉さんの「鋏捌き」に、すっかりほれこんでしまいました。
お店の規模もまだこじんまりで
予約時間に行って待たされることがほとんど無いのも
気に入っている理由のひとつです。

しかし何といっても
通詰めている最大のわけは、
そのスピード感。

カットなら30分強
マニキュアしても1時間半。

年寄りの“いらち”には、
嬉しい短時間です。
これなら、買い物のついでに、思い立って出かけることが可能です。

あ、最寄の駅の出口から徒歩で10歩(笑)
雨でもOKなのです。
入り口はここ!
emuzu-door

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2005.04.15

春宵

konngou
京都御所の西隣、金剛能楽堂。新しくなって2年、まだ木の香りがする。

地元京都新聞の催しで、格安で伝統芸能や室内楽!シリーズがある。
春の第一日目は、金剛永謹さんの「羽衣」

会社の友人たちと出かける。
花冷えが残る春の宵(値は寒かったので五百金くらい)
御所に緑が多いのでこのあたりは涼しげな感がある。

敷地は広くないが今風の建て方で、絨毯も中庭も設備は整っている。
正面入口に満開の桜(八重)が活けてあってひときわ美しい。
(この桜の印象がキーワードになる)

解説は種田道一さん。
ごくごく普通に、気張ることなくお能についてわかりやすく
話されて好感が持てる。
しっかり満員だが、熱気はなくて静か。

特に、装束のことで
「縫箔は復刻で、長絹は刺繍ではなく鳳凰が描いてあります。」とおっしゃる。
画家は、上村松篁さんだそうだ。鳥の大家やった、確か。

金剛さんは毎年正月、八坂神社の奉納能の「翁」をされる。
その他にもなんどか「翁」をなさったのに出会った。
第一印象がっちりと大柄、と刷り込まれているので

どんな天人が登場?かなと興味。

漁師を呼び止めたのは、やっぱり大柄で堂々とした天人!
挙措が重々しくゆったりしている。
声も太くて大きいし、舞もまた、
舞台いっぱいを使って悠々とした姿。

新しい装束も長絹も
きらきらと照明に映えて、豪華絢爛。
桜で言えば、もちろん牡丹桜。
眩しいくらい。
(色合いは、黄金と白が目に飛び込んでくる。鳳凰も白い)

金剛流と観世流では謡もかなり違うんだな、と聞きながら
私はとても楽しんだのだが…

同行の友人は二人とも
「序の舞」のときに半分寝ていたそうだ。
いやいや(汗)
私が寝なくなったのもつい最近のこと、この日は
とりあえず起きていられた。

お囃子方が
笛:森田保美 小鼓:曽和尚靖 大鼓:谷口有辞
太鼓:前川光範 の皆さんで、

耳なじみどころかお気に入りの組み合わせ。
しかもこの能楽堂は音響がよく、
全ての楽器が見事に鳴るので、

お囃子を聞いているのが快かった。

もうひとつ
ワキ方の漁師役に、久しぶりに観る原大さん。

篤実な雰囲気はそのまま、謡が一段とお上手に。
緑の装束もよくお似合いで、座する姿も決まっていて。
思いがけなく出会えると嬉しい。

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2005.04.12

「ゆめはるか吉屋信子」

sakura-sitakara
今年の桜ももう終わり。
デジカメで撮影できて嬉しかった。
これは、我が団地の桜
(ちょっとした穴場(笑))

タイトルの本の作者は田辺聖子。
通称「おせいさん」やけど。
小説はあんまり読んでなくて、もっぱらエッセイでお目にかかっていたところは
治ちゃんと似たスタンス。

田辺版「源氏物語」の外伝が気にいったのと、タカラヅカが好きな
作家、という程度の認識しかない。

年取ると“重い”本には手が出ないので
勢い読みやすくて楽しい本が中心になる。

(読むのもやっぱり体力、それに視力)

おせいさんの伝記ものは三冊目
「与謝野晶子」「杉田久女」そしてこの「吉屋信子」
河合隼雄との対談で
「ゆめはるか…」を書き上げます!とあって、
あら、なんと古臭いひとを?!と思っていた。

ところがどっこい、
私が子供のとき、少女小説を買ってもらえたら…きっと
好きになっていたにちがいない、と思える作家だった。
当時の雑誌「女学生の友」=ジョトモには中原淳一風の
一枚絵がついたりしていたが、

そういう本は母のメガネに叶わなかったので、
家にはなかった。
(○年の学習なんちゅう勉強雑誌はあったけど)

一冊だけリアルタイムで、彼女の作品を読んだ事がある。
殆ど最後に近い作品。
「徳川の夫人たち」
「大奥」もので、日曜版に連載されていた。

毎週けっこう面白かった。
わかりやすくてタンジュンで。
この平明さが彼女の到達点だと、おせいさんは言う。

主人公は吉屋信子だが、
“女流の活躍も視野におさめ”とあるように、
文学全集に出て来る女性作家が続々と登場して
飽きさせることがないのはさすが。

それはおせいさんが信子のことが好きだからだ。
小説のストーリーも詳しく紹介され、これ一冊を読むだけで
信子の全作品を俯瞰できる。
同性を伴侶としたことでいろんな噂をたてられたり
「純」ブンガクでないから軽んじられたり、
信子の生き方は真っ直ぐで正直だ。
(時代に対する意見は別)

「おんなこどものおはなしやゆうて、あほにしたらあきませんで!」
とおせいさんが講釈しているようで
そこんとこも実にカンサイ風でよろしい。

暖かさに包まれて楽しく読み終わったあとで、
そういえば、「徳川の夫人たち」とよく似た感じの小説があったっけ?と。

宮尾登美子の「クレオパトラ」だった。
どちらも、たっぷりと華やかでまるで絵巻物。

老い木の美しさがあるとするならば、
物語世界を紡ぎだすこのひとたちだろう。

もう一作、
「花ごろもぬぐやまつわる…」わが愛の杉田久女。
これも傑作。いずれまた

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2005.04.07

追善能(その3)舞囃子

ooborigaikei
能楽堂の入り口。
こういう写真になってしまう。
行った記念にしようと思うから。


舞囃子3番

「経政」(喜多流なのでこの表記)
大鼓は10歳の孝則くん。
可愛らしい掛け声と済んだ音色。

気になって、気になって、
彼ばかり見ていた。

とっても立派な舞台でした。

「絵馬」の大鼓は白坂保行さん、
渋い音。(信行さんはやや華やか)
ツレの多久島さんのお能をこの間みたばかり。

神様ものは慣れてないけど、
岩戸の神話なのでついて行くことができた。

「松風」
幸運にもこのお能も今年に入ってから見たので、
光博さんの大鼓、小鼓と笛とぴったり合って、
「カーン」とよく響いている。
シテの鷹尾さんの舞、
大柄な体つきなのにしなやかで、軽々として見えて、

「松風ばかりが残る」最後はさびさびと終わる。
こんな舞は初めて。

わたしが見ている番数はごく僅か。
地域も限られている。

もっと出会いたい。
新しい音や舞や謡に!
(時間と体力、そのほか(笑)に限界があるが)

柿原志さんには5月に会える。(「安宅」で)
この会の印象を、
覚えていよう。
どんな大鼓になるのかしら?

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2005.04.06

追善能(その2)「隅田川」

oobori-sakura
この日の桜はこれだけしか咲いていなかったのに…(汗)
例年は、4月はじめに満開になるのだそうだ。

さて、前回の「名所教え」
深草で終わったように思っていたが、
まだまだ先があった。
嵐山までパノラマのように続いていたのだった。
(耳と目では覚える濃淡が違うらしい)

「隅田川」、シテは梅若六郎さん。


ワキの宝生閑さんは、情けを知る船頭で、
たっぷり語りも謡いもある。
ドラマをつくっていくワキである。

伊勢物語を下敷きに、子を探す母の哀れさが
身に沁みる物語。
川のほとりで、舟に乗せてほしいと頼む母は
物狂おしくで笹を担いで登場する。

なぜか、装束をつけた六郎さんはとても豊満にみえ、
「母」のイメージがぴたり。
愁い顔の面も鮮やかに、
微動だにせず笠を持って船中に座っている姿が印象深い。

その間に「去年亡くなって塚につきこめられた子供」の話を
ワキが語り、聞いた母は静かに涙を流す。
人攫いに置き去りにされた子は、この母の息子だったのだ。

「隅田川」は舞が少ないお能である。
ワキとアイが掛け合いで話を運んでくれるので
とてもわかりやすく、演劇に近い?かな。

そして、
我が子の葬られた塚に向かって念仏をとなえる
六郎さんの「背中」はみごとに泣いていたし、
子供が亡くなったと知ったとき
肩は少し震えていた。

帰っていくときの六郎さんは、揚げ幕に入るまで
「母」だった。
また閑さんは船頭のままだった。
(そこまでドラマが続いていた)

お囃子は、若くてつよい音だった。
どんな音でも平然と自分のお能におさめてしまう
六郎さんのすごさに改めて感じ入った。

たて続けに3回、六郎さんのお能を観ておもう。
明るくてほのぼのと楽しいのは、不思議、と。

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2005.04.05

「融」(「追善能その1)

oobori-ikeno
福岡は雨模様で、
ひろびろした池も鈍色だった。

「柿原繁蔵三回忌追善能」はこの池のほとりの
大濠公園能楽堂で行われた。

「融」は番組の最後
友枝さんがシテ。

印象が薄れないうちに書いておきたい。

実は昨年梅若六郎さんの「融」を観ている。
思わずくらべてしまった部分もある。
違いもしっかり感じた。

ワキは両方とも宝生閑さん。

河原の院にやってきた落ち着いた高僧、というのは同じ。

友枝さんの前シテの尉は
とても不思議な雰囲気をもっていた。
ほんとうにこの世の人だろうか?と初めから思わせられる。

その老人が、思いがけなくも丁寧に
「名所」をあちこち教える場面。
ぐるっと北から南まで(清水あたりから深草の里まで)

教えながら彼の手は穏やかにワキの背に置かれる。
親しみを込めた仕草のあと、
一転して、やや忙しげに潮を汲む。
ここでますます不思議さが増す。

消えてしまった老人のことを、そのあたりの者に詳しく尋ねた後
僧は屋敷後に留まって夜を迎える。
(「徳の高いあなたなら、きっと融大臣の姿を見ることができるでしょう!」と
 あたりの者は言う)

夜がふけて、まどろむ僧の前に現れたのは
白地の上の衣 袖に赤い紐が通してあって玉留めしてある。
紫地の指貫。
滑るように橋懸りから登場する。
絵に描いたような貴公子ぶり。
声音もやや老人のときより高めである。

「早舞」とあるのに、ゆったりとしみじみと友枝さんは舞う。
昔のことを偲びながら。
そこに僧が座っていても、気にせずに、ただただ静かに舞いつづける。
さまざまな遊びに明け暮れた日々のままに。

ひもとかれた絵巻がつぎつぎと浮かび、
ほっと息を継ぐ間も惜しんで見守る。
(しかしワキの僧は面を伏せて、まだうつつない)

月がようやく傾いて夜明けの気配を感じるころ
融大臣はしずしずと己の居場所(「月の都」)に帰っていく。
やっと目覚めて、はっと立ち上がり二、三歩あとを追う僧に

ふうわりと見返って
“ああ、そこに居たのだね、あなたは。”とひとり言をつぶやくような
風情で袖をおろし、後はもう月の光に溶けて見えなくなってしまった。

友枝さんの舞は、誰に見せるものでもなく
ひとりで在りし日を思いつつ舞うようであった。
その美しさは言葉にできない。透き通った舞姿である。

(六郎さんの舞は、僧の読経に礼を言いにやってきたような、
楽しげで親しげなものだった。やさしく雅びな大臣の
若いときそのままのような明るさ)

流儀が違えば多分型もちがうのだろうし、
どちらが、とは比べられない。

二人の魅力がちがうのだから。

偶然だけど大鼓はどちらも柿原崇志さん。
カンカンと渋く鳴る音を聴いた記憶があった。

今回の笛、一噌隆之さんは、ややほの暗い幅のある
枯れた音だった。
小鼓の横山さんは、ほのぼのと春めいた音。
金春さんのやわらかな太鼓。

違った色合いの音と謡と舞が重なる心地よさ。
友枝さんのお能、一番一番がわたしの“たからもの”である。

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2005.04.02

「咲嘩」と「石橋」

記事が長くなるので、「梅若六郎の会」後半はこちらに。

   その前に、
いつもの「能楽堂の設備」についてちょっと(汗)
過不足なく行き届いている、と言う点では
「国立」「横浜」「名古屋」
はいい会場だ。
(音響など、演じる人の感じ方はわからないが)

京都の金剛能楽堂が最近新しくなったが、
座席、じゅうたんの色、庭のつくりまで国立能楽堂に
よく似ていて驚いた。

座席の幅がひろいめなのが新しい建物の特徴。
これだと隣の人と肘が触れあわずに楽。
列の間もゆったりめだから立ち上がって人を
通さなくてもいい。

というわけで、名古屋能楽堂は
4月から鏡板が「若松」に替わったそうだが、
このときはまだ「老松」

すらすらと始まった「咲嘩」
又三郎さんの軽妙な太郎冠者と
立派な小三郎さんの主人。

まちがえて太郎冠者が連れてくるすっぱの「咲嘩」が
井上さん。
(はじめて名古屋に来た時、「仏師」のすっぱが井上さん!だった)
大笑いでも華麗でもないのだが、
とても見やすくてセリフもくっきりしている。

最後に咲嘩に降りかかる不幸も
何故か、「やれやれ大変」という太郎冠者のほうに
肩入れしてしまって、申し訳ない気がする。

難を言えば、「狂言」のときの見所はざわついていた。
にもかかわらず、飄々と語る又三郎さん、
お元気でお変わりなく…好きだなあ。

再びみな舞台に注目
(お調べが始まる)
半能「石橋」
笛 藤田六郎兵衛 小鼓 成田 達志 大鼓 河村総一郎
太鼓 助川 治 

藤田さんの笛はたいそう好きだ。弟子の竹市さんの笛を
聴く機会が多いが、彼よりもうすこし枯れていて、
色合いに透明感が増す。

成田さんは関西の舞台で度々拝見。
もっとも好きな小鼓方のひとり。

河村さん、助川さんはまだ音に馴染みがない。
(私はあまり数をみていないので)

獅子が出てくるまで、ワキ方の高安さんが
法師の役で出て、“石橋”について語る。
そのあとで

狂言方が仙人役で登場(小三郎さん、松田さん、佐藤さん)
酒盛りが始まる。

獅子を待っているのだが、この仙人たちとても芸達者。
小三郎さんの謡、うまいなあ!
面も三人三様で、獅子の足音?(気配)を察して
退場する。

これがちょうどよい間狂言になっているのだろうな。

さてさてやっとお待ちかね六郎さんの獅子が
橋懸りから疾駆してくる。

大きな紅白の牡丹がついた一畳台に飛び乗ったり飛び降りたり
堂々とした獅子の動き。
ゆるぎのない確かさ。
これが六郎さんの獅子なのかと、うっとりと観ていて
飽きることがない。

でも台の上で手をついて型をされたとき、
肩が少し震えていた。
見えている以上に激しい動きなのだな。

縦横に舞っている獅子、視界はほんの少しのはず。
お囃子の力強さはいうまでもなく
急調子に盛り上がり、すぱっと、終わる。

台からゆっくりと降りしっかりと足踏みしめて
帰っていく獅子の「息遣い」が見所じゅうに聞こえている。

この後姿を覚えておこう。
楽しく伸びやかなに舞って後、ゆうゆうと帰っていく獅子を。

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名古屋梅若六郎の会

新作能だが、作者が馬場あき子さん!
演じるのが、梅若六郎さん、というので、
名古屋まで足を伸ばした。

「小野浮舟」
源氏物語の中で、特に好きな登場人物ではない。
匂宮と薫の間で“翻弄された”女性…だと言う印象だけ。

結局、どちらも選べずに入水を図るが、失敗。
というのも哀しい。
僧に助けられるが、美しく魅力的なので、彼女を
見初めた男に求婚されたりするが、
思いがけないほどの意志のつよさで「出家」。

尼になった浮舟を、
弟の小君と侍女右近を伴って母が尋ねてくるのが
始まり。
橋懸りを歩いてくる小君、とても愛らしい。
母役の山本博通さんも落ち着いた感じだった。

この舞台は京都の比叡山の近くと言われていて
地名に対して親しみもある。

浮舟は作り物の「庵」のなかに座っている。
引き回された覆いが取り除かれた瞬間、

“うら若く愁いを含んだ、寂しげな面が真っ直ぐ目に
入ってくる。
そして…尼の衣の色(鈍色)がさらに美しさを引き立てている”

ものの本に「尼姿がろうたけている」とか
「尼になった姿にますます未練を感じられて」など
書かれているが、
「墨染めの衣」が尼さんの衣だと思い込んでいたので
そんな姿で
美しさが勝ることなんてあるはずがない、と決め込んでいた。

この日の六郎さんを観て、はじめて王朝物語の
そぎ髪の尼姿を思い描くことができた。

朗々とした美しい声。
ゆったりとした舞姿。
母たちを見送る眼差しのしっとりとした確かさ。

浮舟にとっては、これから自分の人生が始まるのだ
女性が自分に目覚めていく
「現在もの」のドラマでありながら、
艶に優しい風情も充分。
子供、母、友人(侍女)、女、と
「女性が創り女性が舞う能」とは
こういうものか!と感動した。

その謡や舞をひきたてるお囃子も初々しくて
よかったが、中でも
松田弘之さんの笛。
浮舟の回顧のときの嫋々たる音色。
するするさらさらと流れてまつわりいろどる、
この笛の音に浮舟の全てが顕れている。

特筆=お能が終わって、お囃子方、地謡、後見が
全員舞台から去るまで
「拍手」はまったく起こらなかった。
プログラムに書いてあったわけでもない。

しんと静まりかえった舞台に響くのは
衣擦れの音のみ。

無人になった舞台に向かって
長い拍手。

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