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2005.10.22

「吉原御免状」

劇団「新感線」初体験

梅田芸術劇場、昔は梅田コマ劇場
前にここで見たのは「ラ・マンチャの男」だったっけ。

期待しすぎてがっかりしないように、平常心でのぞむ。

若い女性が多いが、自分くらいの半白髪の人もちらほらで
ほっとする。

席は三階、舞台をみおろす感覚はなかなかよい。
前列からは見えない、後方の準備や人の錯綜などがよくみえる。
コマ劇場とはよく言ったもので
舞台が回って場面転換する。
なので幕間はほとんどない。

衣装は豪華、時代劇は目が楽しい。
開幕前にドライアイスが薄く靄っていた。

音楽はロックコンサートのような大音響、
決め所では、綿々とロマンティックに流れる。
付け木の音、ばたばたと景気よく鳴る。
殺陣の音響も同じでいとリズミカル。

殺陣は、こんなに離れて観ていても
かなりの迫力である。
殺陣と踊り(道々のともがらの祭り)が場面転換や、
息継ぎの時間になっている。

主要人物はさておき、こういう踊りや殺陣に出ずっぱりの
人たちがえらいなあと思う。
雰囲気の基礎を作っているのはこの人たちなのだから。


小説は前に読んだことがあるので、あらすじはわかる。
私は時代劇が好きなのだ。

かえって知らないほうがよかったかな?
隆慶一郎の世界、この暗いとはいわないが、
ちょっとクセのあるお話をどうするか、と思って観ていたら、

古田さんの「柳生義仙」対堤くんの「松永誠一郎」との
対決と、マツユキ泰子と堤くんのラブロマンスを
綯い合わせて作ってあった。

マツユキの花魁すがた、はっとするほどきれい。
勝山髷というのがあるくらいだから、
湯女の「勝山」は実在の人物だろう。
そういう史実もうまく取り入れてある。

「高尾」はこれまた有名な花魁の名跡。
京野ことみはけなげでしっかりしてたが、
色っぽさは不足気味。
誠一郎を巡るふたりの花魁、それぞれの愛、が
見せ所らしいが、
私が気に入ったのは、予言する少女「おしゃぶ」だ。
彼女は未来の女だから。
大人になった彼女が誠一郎の“運命の女”らしい。

DVDで気に入った
橋本じゅんの「宗冬」役。
落ち着いた声が印象的だ。
ギャグのない役でも、抑えの効いた演技で
大満足。足を運んだかいがあった。

古田さんの「義仙」が憎らしすぎて
単純な男になってしまったのが惜しい。

堤くんはもともと単純な感じだから、
聖なる愚者(で滅法強い)は似合ってるが、
勝山に惚れたところがもひとつわからない。
これは遠すぎて表情が見えないことにも原因がある。
悲しい場面では切ない顔の「はず」なのだけど。

今回は好きなワキキャラがいなかった。
原作があるせいと、笑い(ギャグ)を入れなかったためだろう。
いままでは、ワキキャラの台詞に、とても感動したのに。
(※「アテルイ」のエボシ)
ちょっと力が入りすぎたかな…作者。

照明や音響、装置を目で見られたのは楽しかった。
DVDでも目減りしない、稀有な劇団かもしれない。
遠くからでも近くでも見どころがたくさんあるから。


「いのうえ歌舞伎」ってすごい。
テンポが速いのが小気味いい。
それと、役者の色気って、ほんとに大事だ。

マツユキは舞台がこれで二度目だそうで、
これからもっと綺麗に色っぽくなるのだろう。

カーテンコールは五回…か六回。
拍手するのは楽しかった。
最後のこの拍手もこみで、“観た”ということになる。
パンフレットは二千七百円でかなり高価だが、
写真がすごく、装丁も凝りに凝っていて、みて楽しい。
これでDVD見れば、細かな表情までわかるし。

そのパンフレットに
作者の隆慶一郎は、網野善彦の史学にずいぶん傾倒していたそうだ。
「道々のともがら」は、農民中心の今までの歴史に対する
新しい見かたそ示しているもので、

それを取り入れてこの「吉原御免状」も書かれているとのことだ。
だから、筋道がきっぱりと通っているのだろう。
(後水尾天皇の落とし胤、には驚いたが)
恋物語が少々未消化に感じられたのはそのせいか。

いや、三時間、よい夢をみた。
次の公演に期待しよう。
「メタル・マクベス」
今度はシェークスピアだ。

※ 松永誠一郎=堤真一 柳生義仙=古田新太 
  柳生宗冬=橋本じゅん 高尾大夫=京野ことみ
  八百比丘尼=高田聖子 遊女勝山=松雪泰子 
  幻斎老人=藤村俊二 水野十郎左衛門=梶原善 ほか

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2005.10.19

月下の笛~「清経」・横浜三渓園

広さは五万三千坪、
豪商原三渓の邸宅跡。

庭には池水。
なかほどに舞台が作られている。
橋掛りで繋がれた鏡の間は黒い直方体で、
そこだけあかりが切り取られたようにみえる。
道が繋がっていないので、
演じる人たちはボートで楽屋入りする。

このライトアップは照明デザイナー、石井幹子さんによるもの。
丘の上には三重の塔が、華やかにうかびあがり
池を縁取る緑の木々は
さまざまに彩られている。

十日は雨で延期になったが、予備日のきょう十二日
みごとに晴れ上がり
上弦を僅かに越えた月が
清々と光るなかでの舞台である。


すこしだけ、残念だったことなどを書いておきたい。
舞台は水面からそれほど離れていず、、
渕沿いに作られた客席の、前のほうの数列は
とても見晴らしがよさそうだった。

だが、傾斜の少ない場所に並べられた、十列以上のパイプ椅子。
席に座ると、前の人たちの頭で何も見えない。
私は指定席に座ったが、狂言「月見座頭」の間、
万作師の頭巾と、萬斎さんの扇ぐらいしか見ることはできなかった。

スピーカーから流れてくる声だけ、では
舞台を「見た」ことにはならない。
さらにこの夜は風が強く、
ほんとうに「物凄く」吹き荒れた。
防寒の備えは、充分なつもりだったが、
腰に入れたカイロも温みを感じないほどだ。

この寒さに、帰っていく人も多数あった。
たしかに素晴らしいお庭だが、お能を楽しむには
かなり辛い環境だった。
せっかくの“あかり”も落ち着いて鑑賞する余裕など
とてもありはしなかった。

能楽堂では、どの席からも舞台が見える。
ほのかに香が焚き染められたプログラム、
(夜光る塗料で、三重の塔が切り絵ふうに描かれてある)
こういう部分は行き届いていて申し分ないのになあ、と
思いながらもため息が出る。


だから、
「観た」とはいえないかいま見の「清経」だった。
諦めて席を立ち、少しでも見えそうな場所を探す。
周回路の松の陰にぱらぱらと人が立っているのをみつけ、
「中正面」の延長線のそこに立ってみる。
小さく遠く、ちらちらと舞台が見える。
偶然にも頭上の木にスピーカーがあり、
音声はまるで最前列のようで苦笑する。

それでもなお、
友枝さんの清経は美しかった。
白く輝く大口に烏帽子、上の衣が青黛色。
「音取」の笛とともに、橋掛りをすすむ。
ためらい、迷い、たたずみ、促すようにちろちろと鳴る笛に
滑るように静かに、妻の元へと歩む亡霊として。

“雑兵の手にかかりらん”より、愛しい妻にあいたいために
入水したのではなかろうか、と思ってしまうほどのせつなさで、
しみじみと呼びかけの謡いが響く。
“いかに古人(いにしえびと)。清経こそ参りて候へ”と。

ツレ(妻)のなよやかで艶な声とたたずまい。
恨み事をいいつのる風情がやわらかで、
“くねる涙の手枕”がなまめかしい。
まるで王朝の絵巻の世界のようだ。

あでやかな衣の女君と、
恥かしいばかりに優艶な貴公子の恋物語。

そめそめと、しみじみと二人は月の夜を語り明かす。
恨まれても、もはやせんない男君は
自分の入水のありさまを語る。

すっきりと伸びた右腕に構えられた扇はすこしも動かない。
激しい風に長い髪が乱れて衣に広がる。
風に負けずにひるがえし巻きつけた袖をそのままにして、
舞う姿を、あかりが追いかける。

シテの動きにあわせて、あかりが動く。
清経が橋掛り近くに進むと、
妻や、ワキ方は、ぼうと薄闇に沈んで
しまうこともしばしばである。
紅の色濃い小袖だけが、
恋しい「いにしえびと」の居る位置を知らせる。

清経が身を投げるそのとき、直前まで開かれていた扇は
すっと畳まれて、あらたに腰から笛となって抜き出される。
「音のすみやかに吹き鳴らし」と地謡が謡い、
笛がたかだかと一節を吹く。
「なむあみだぶつ」ととなえて船端から海に身を沈める。
たった二足で、船から彼は身を滑らせた。

くるくると、体が水中で波にもまれ海の深みに落ちていくさまが
遠目であってもそれとわかる。

池に波がたち、打ち寄せる波の上の舞台は
さながら、平家の御座船かとも見える。

武勇の名より、妻を選んだ、
心やさしい「清経」のものがたりだ。
しかし、妻の悲しみは、夢であえても
これからますます深かろうに。

シテ・清経 友枝 昭世 ツレ・妻 内田 成信
ワキ・粟津三郎 森 常好

笛 一噌 仙幸 小鼓 鵜沢 洋太郎 大鼓 亀井 広忠
地謡 香川靖嗣・塩津哲生・粟谷能夫・内田安信
   大島輝久・粟谷明生・金子敬一郎・井上真也

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2005.10.14

「狐笛のかなた」

ふりがなながついていてまことに読みやすい
子供むけファンタジーだ。

舞台はたぶん日本のどこかで、
隣国との争いに巻き込まれた少女の運命は…。

彼女は術者(白魔術と言ったほうがわかりやすいかな)の母と
領主の間にできた娘で、
記憶を消されたままひっそりと[産婆]に育てられる。
ある時であったのは、領主の隠し子、つまり彼女の兄弟、
同じ時にもうひとり、それは子狐。
狐は使い魔で、隣国の呪者の手下、助けられた少女に恋をする。

狐の野火が、間諜としてやってきた城に、
隠し子にかけられた魔術に気がついた小夜がやってくる。

小夜の危機に野火は悟る。
自分を縛る呪いより、小夜を愛していると。
そして自分の命と引き換えに、
隣国の陰謀を暴く

読後の気分が爽やかなのは、
幸せな結末だからだ。

二人で生きることを
諦めなかったから、のぞみはかなった。
ただ二人は、
現世の人には[狐]としか見えない“あわい”
(時のはざま)の世界で生きる。
子供は可愛い子狐、だとすれば、
これは、悲劇を克服した異類婚だ。

ややこしそうだけど読み進めると素直でわかりやすい。
気取った言葉や斜めの表現がないもの。
まっすぐなストーリーに、気持がするりと乗る。

泣いたり、どきどきしたり、ほっとしたり、
理屈っぽくないこの話を読んでいると、元気になる。

さまざまな生活の枝葉にとらわれて、かちかちにこわばっていた
きもちが、緩やかにほどける。
その糸口はたぶん無数にあるのだが、目に見えることは多くない。
この本はそのうちのひとすじのようだ。

かいたひと 上原 菜穂子 しゅっぱんしゃ 理論社

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2005.10.11

「東京奇譚集」

離れていても、ずっと気にかかっているひとがある。

そのひとの本を読んでいなくても、
新聞にコメントが載ったりするとつい
読み進んでしまう、そんなひとのこと。

本を増やさない私が久々にもとめた「東京奇譚集」
作者の村上春樹。

彼の本を余さず読んでいるわけではない。
同年代だから懐かしい、と言っても
そんなひとはたくさん居る。

彼に会ったのは、
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が
賞を取った、というので読んだとき。

これはファンタジーだと思った。
静かな雰囲気の“世界の終わり”のほうが好きで、
そちらを選んで読み進め、エンディングで、二つの話が
ひとつになったのにびっくりして、
「ハードボイルド…」の部分を後追いしてまとめ読みした
記憶がある。

私にとっての彼は
「健康な作家」というイメージで、
ジョギングにしろ、パスタ作りにしろ、
生まれたまちが神戸であることすら、
おしゃれですてき、と思っていた。
ジャズ喫茶のマスターなんて人まわりにいなかったしな。

身近にジャズ好きが居るので、
しょっちゅう聞いてはいるのだが、
私にはジャズはわからない、というより
なじめない。

好きだというならむしろクラシックのほう。
特にピアノは好きだった。

でも、コンサートなんて大人になるまで行ったことがなかった。
雑誌に載った「レコード評」を読んで、
ああ、ステレオがほしい、と度々思ったわかいころ。

東京奇譚集の中で
いちばん印象に残ったのが「ハナレイ・ベイ」
ピアノを弾いて生計を立てている中年女性が主人公。
(ピアノBARを経営し、自分でも弾くのだ)

息子は遊び人で、サーフィン中に鮫に食われて命を落とす。
そこはハワイイ諸島のカウアイ島の“ハナレイ・ベイ”だ。

ハワイイといいたいのは、もうひとりの同年代作家の
池澤夏樹が描く「ハワイイ紀行」が頭にあるからだ。
女主人公が居るのが、池澤さんの本で読んだカウアイで、
とわたしは想像する。
その光景をバックに
春樹さんの淡々としたリズムと言葉で語られる悲劇は
読みやすいけどつらい。

彼女は自分の子供だから息子を愛していたが、そうでなければ
決して彼を好きにならなかったろう、と知っている。

それでも、毎年息子のなくなった場所で過ごし、
それを生きる目当てとしている…のに、
彼の幻は母には見えず、
ふらふらと日本からやってきた頼りないふたりのサーファー
(なぜか、彼女が面倒をみるはめになる彼ら)
に見えてしまうのだ。

起こった事をすべて受け入れて、
彼女はまだ日常に戻る。
あやしいことは、息子の幻だけで、
鍵盤に触れてさえいれば、
何も自分を脅かす事がないことを知っている彼女。
そして、島に居ないときは島のことを思い、
年に一度、三週間島で過ごすときは、
風にも波にも自分を溶け込ませて、
自然を受け入れようとするのだ。


もうひとつ、
「品川猿」という話がある。
「みずき」という女性が、がある日突然
自分の 『なまえ』 を忘れることから話が始まる。

彼女は名前を忘れないようにとブレスレットに彫り
しばらくやり過ごすが、名前の記憶は戻ってこない。
結局、「品川区」の区民向けのカウンセリングにおもむく。

ここまでは、変じゃない。
さてここに、ちょっと変わったカウンセラーが登場し
カウンセリングのなかで、「みずき」のありふれた過去が
もういちどおさらいされる。

カウンセラーは
「名前に関するなんらかのエピソードがないか?」と尋ねる。

「みずき」が話すのは
高校の女子寮時代にあった、『名札』に関する話。
とてもかわいい女の子が嫉妬に苦しんで命を絶つ。
その直前に「みずき」は彼女から『名札』を預かるのだ。
「猿にとられないように…」と彼女は言い残した。


カウンセラーが探し当てた「原因」は、
「猿」=名前を盗む猿で、
品川区の下水道の中に住んでいたのだった。

猿は自殺した少女の『名札』がほしさに、
何年も探しつづけ、 みつかったそれと「みずき」の
『名札』を持ち帰っていたのだ。

それで「みずき」の名前忘れの原因がわかった。

猿は語る
「あなたのお母さんもお姉さんもあなたを愛していない。
ていよく遠方の学校に厄介はらいされたあなたは
充分な愛情を受けないままにいまに至った。

このままだとあなたは夫にも
これから授かる子供にも愛を感じないだろう」と。

これを聞いても、「みずき」は落ち込みはしなかった。
自分の名前を取り戻し、
とりあえずその名前で生きていかなければならないのだと、
受け入れていかなければならないのだと、
決心するところで話は終わる。
彼女のかたわらには、摩訶不思議なおばさんカウンセラーが
困ったときには
「一緒にサルを捕まえましょう」と言ってくれるのだから
おそれるものはなにもないのだ。

ふたつの話の共通の言葉は「受け入れる」である。
苦痛をともなう
「運命を受け入れること」を、
作者が語りだしたのはいつのころからだろう。

ひそかに風の歌を聴いていた昔とは
かなり変わって、しわが増え
中年で四角くなった顔が新聞に出ていた。
「ダンカイの世代」も年を取るのだ。

コミットメントすること。
自分の歌を歌い続けること。
つらいことも「受け入れる」こと。
でも諦めるのではない。
それらの話は別の長い物語に書かれると思う。

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2005.10.10

水鏡~「井筒」

毎回通っている大槻能楽堂の自主公演。
今夜は「井筒」

揚げ幕から登場するシテを見た瞬間が、
わたしの、その日のお能の期待度の指針になる。

この日のシテの横顔は
はりつめて美しかった。

以前に別の方で見たときよりも、若く
可憐な雰囲気だった。

紅い紅い小袖が若さをあらわし、
まるで
振り分け髪を上げたばかりの少女に見える。

この寺にふと立ち寄った旅の僧の、
やわらかな嗄れ声、落ち着いたその声が、
閼伽桶を持つ女を誘うように響く。

※シテは上田拓司さん、ワキは宝生欣哉さん

数本の薄が植わった作り物の井戸が正面に出ている。
空調の風でひらひらと揺れるのが秋の寺の感じが
出ている…などと思っていたが
すっかり、
ふたりの問答の虜になって舞台をみつめる。

業平とのかかわりを聞かれ
はじめは「ゆえもゆかりも」ないと否定していた女は
彼の恋物語の数々を、歌をまじえて語るうちに

「紀有常の女とも…恥ずかしながら我なり」と言い
井筒の陰に隠れる。
謡はそうだが、女は橋掛りを渡って中入する。
夜はまだ半ば、息の続く限り長く漂う笛の音に
送られて歩む女の後姿が灯りに映える。

アイ狂言は善竹隆司さん、
ゆっくりしっかりした、やや高めの声で、
もう一度、業平と井筒の女の物語を語られる。


狂言方の語り以前に、地謡がよくわかる、と不思議だった。
以前、ラジオの素謡(井筒)を録音したことがあり、
何度か聞いているうちに、
調子を耳が覚えたらしい。
これがなじむという感覚だろうか。


後場は謡と舞。

「業平の形見の装束」(初冠に長絹、太刀)を
身に付けて現われた女は、
太刀を佩いた男姿であっても
やさしい面だちがやっぱり娘である。
二藍の長絹の下から、
前場で着けていた紅い小袖がのぞく。
対比で更に上の衣が映える。

「移り舞い」と
序の舞にはいると、粛々とした運びが
精確であればあるだけ
娘の思いの強さがこちらに伝わってくる。
楽の音のみの舞、少しも長く感じなかった。

ふくふくとした頬の柔らかさ、
舞い終えて、井戸に姿を映し見たときの
うつむいた顔が、やや翳って
昔男の面影にもみえる。
そっとすすきをかきわけた袖の優しさ。

夜のほの明けに消えてゆく娘を、
送りかねて笛がふいっと消える。
きょうの「井筒」は、
笛にはじまり笛に終わったようだった。

続いて進む旅の僧が、夢の幕を引くように歩み去って、
舞台に空がもどった。

※笛 竹市 学  小鼓 飯田 清一
大鼓 石井 喜彦 地頭 大槻 文藏

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2005.10.04

飛行天女

喜多流の「羽衣」
友枝さんのこれが観たくて、観世能楽堂まで来た。

正先に作り物の松が出て、そこに羽衣がかかっている。
漁師の白龍は大柄で朴訥で、現実そのもの、という感じを受ける。
ツレがふたり。

羽衣をみつけて「家の宝にしよう」と喜ぶ白龍の背に、
幕の中から「その衣はこなたのにて候」と呼びかける声がする。
たとえようもなく懐かしく
美しく暖かな声である。

天女の面はおとなしく穏やかだった。
装束はあけぼの色の小袖と同じ色の長絹である。
日が昇る直前の山ぎわの輝きの色。
長絹は小花模様で裾には流水があしらわれている。

今まで観た「羽衣」は、もっと地味な色合い(二藍系か)の
装束だったので雰囲気が全く違って驚いた。

あらすじはお稽古したのでわかる。
節回しは違うが、話自体がおおきくかわっていることはない。

返すのを拒む漁師に切々と頼む天女、「涙の露の玉鬘。
挿頭の花のしをしをと」
シテが「シオル」とき
初めて友枝さんの「手」をはっきりと観た。

からだ全体がかなしんでいるから
「手」だけが目立つことはなかった。
優しくで目元を押さえるのが、とても自然だった。

いたわしさに衣を返す白龍、受け取る天女の面がさっと晴れる。
「天人の舞を見せてほしい」と頼まれて、
羽衣を身につけ舞いはじめる。

着け終わってこちらを向いた面差しが、変わっている。
天上の人のものに。

少しのぶれもない足の運びと扇のカマエ。
天冠に付いている挿頭の花は「蓮華」だろうか。
薄紅色の今咲きはじめたようなその色が、
天女の愛らしさを引き立てる。

「左右」の型にはいるとき、
両手を揃えて右へ振る、そのときの微妙な肢体。
まるでわずかに腰をひねって立つ観音菩薩のようである。

楽に合わせて緩やかに舞う序の舞。
「天の羽袖を靡」かせてまう破の舞。

しだいに天女は空中に浮かび、
「七宝充満の宝」を降らす。
それは橋掛りの一の松のところでぱらりと扇を
欄干の外に出すだけであらわされる。
すると
はらはらはらと宝は国土に満ちるのだ。

時が移り、天女はもっと昇っていて、
「愛鷹山や富士の高根」をはるか下に見おろしている。
わずかに面をうつむけただけで。

どこまでも小さくなりゆく松原も海も山も
ひとしく見下ろしている天女は
突然さっと袖を頭上に被いたとおもうと、
「霞に紛れて失せにけり」と揚げ幕に入ってしまう。
小書きは「舞込」

あまりの優雅さ美しさに、息を忘れて見守ってしまう。

はじめは、つつましい女にみえた天女は
舞が進むにつれ、愛らしさを失わぬまま、神々しさを増していった。


宇治平等院鳳凰堂に、かわいい仏像がある。
阿弥陀堂の白壁に、何十体ものほとけが、笛を吹いたり、
舞を舞ったりしている。
天界の風景でありながら、いかにも親しみやすいその姿。
名を「雲中供養菩薩像」という。
友枝さんの舞を観て、飛行するぼさつたちを思い出していた。

月の天女はあさの色の衣をつけ、若々しく
想像どおり、ただただ愛らしかった。
「偽りのない」天界にいれば、いくら長いときを過ごしても
年などはとらぬものなのだろうか。

きよらかで無垢で暖かで優しい
この天女をいま一度観る機会が巡ってきますように。

※ シテ 友枝昭世 ワキ 高井松男 
ワキツレ 梅村昌功 ワキツレ 則久英志

笛 藤田大五郎 小鼓 亀井俊一 大鼓 柿原崇志
太皷 小寺佐七

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2005.10.01

淵と瀬「能楽特別鑑賞会」

品川駅が気に入っている。
駅のサイズが京都駅と同じくらい、
人通りも予想できる程度。
ひとには容量というものがあるらしい。
このくらいなら、おのぼりさんした私にも
空間の把握ができる。

今回の目標は渋谷の「観世能楽堂」である。
地図を見ても徒歩で行き着く自信がなく、
やむなく駅からはタクシーで。

やたら朝早くの電車に乗ったのは、今回の
「国家指定芸能 能楽 特別鑑賞会」という
長ったらしい名前の催しが『自由席』だったからである。

はるばる観に行くのに、一番後ろの席ではさびしい。
せめて一時間前には着きたい、と時間の計算をしているうち、
どんどん予定は早くなり、12時開場なのに、
一時間半も前に着いてしまった。

そのときで既に20人待ち。

たまたま他の公演で知り合いになった人に出会い
運良く2列目に席が取れた。
いつもは、装束の模様も、面の目鼻も見えないと
嘆いていた私にとって、願っても無い前の席だ。
舞台全体を見渡すには、もうすこし後ろのほうがいいのだが、
それではなにもかもぼんやりしてしまうので。

五流派がすべて集まるこの催し。
滅多に無い機会だから、なるべく色々観たいとは思う。
しかし、5時間座るのは、腰を痛めている私には無理だ。

おそるおそる観たのは次の演目

※【金春流】本田光洋さんの仕舞 「養老」
なかなかてきぱきとリズム感溢れる仕舞。
腕の角度や扇の返し方の速さが、観世流とは随分違ってみえた。
「養老」の曲ははじめてである。なじみがないのが残念だ。


※【宝生流】近藤乾之助さんの仕舞「忠度」
「忠度」は好きな話である。
近藤さんはしばらく病気されていたとか。

声も小さいし、動きも緩やかだ。
だが、清らかで雅やかな、歌人「忠度」を思わせる。
気品のある舞だった。

年を取られてしまったと友人が嘆いたが
昔はさぞ美しく舞われたであろうと思われる人の、
いまでも香りの残る舞は爽やかだった

※【観世流】野村四郎さんの能 「安宅」
はじめて四郎さんのお能を観た。
黒い衣も似合っていて、これこそ弁慶、という
楷書の安宅だった。
同山の衆が、関守に詰め寄るくだりの、熱っぽさ、力強さは
迫力があったし、
どの型も、きっちりしっかり、杯を受ける弁慶の姿もどっしり。

謡は観世流、すらすらと耳に入る。
気に入ったのはワキの富樫。
村瀬さんとおっしゃるかた。

不思議な声の持ち主で、倍音が聞こえる。
強い目鼻立ちなのに、なぜか物静かな「富樫」にみえる。
出すぎず、引きすぎず、とても自然にやりとりが流れる。

アイは山本家(則直さん、則利さん)で、
ところどころ語尾があがる特徴のある語りを楽しんで聞いた。

【喜多流】友枝昭世さんの能 「羽衣」(別記)

【金剛流】金剛永謹さんの一調「鐘の段」
調子がよくなかったので、会場の外に居た。

残り一番の能、【宝生流】高橋章さんの「綾鼓」は割愛。
急いで帰る。

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