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2005.10.19

月下の笛~「清経」・横浜三渓園

広さは五万三千坪、
豪商原三渓の邸宅跡。

庭には池水。
なかほどに舞台が作られている。
橋掛りで繋がれた鏡の間は黒い直方体で、
そこだけあかりが切り取られたようにみえる。
道が繋がっていないので、
演じる人たちはボートで楽屋入りする。

このライトアップは照明デザイナー、石井幹子さんによるもの。
丘の上には三重の塔が、華やかにうかびあがり
池を縁取る緑の木々は
さまざまに彩られている。

十日は雨で延期になったが、予備日のきょう十二日
みごとに晴れ上がり
上弦を僅かに越えた月が
清々と光るなかでの舞台である。


すこしだけ、残念だったことなどを書いておきたい。
舞台は水面からそれほど離れていず、、
渕沿いに作られた客席の、前のほうの数列は
とても見晴らしがよさそうだった。

だが、傾斜の少ない場所に並べられた、十列以上のパイプ椅子。
席に座ると、前の人たちの頭で何も見えない。
私は指定席に座ったが、狂言「月見座頭」の間、
万作師の頭巾と、萬斎さんの扇ぐらいしか見ることはできなかった。

スピーカーから流れてくる声だけ、では
舞台を「見た」ことにはならない。
さらにこの夜は風が強く、
ほんとうに「物凄く」吹き荒れた。
防寒の備えは、充分なつもりだったが、
腰に入れたカイロも温みを感じないほどだ。

この寒さに、帰っていく人も多数あった。
たしかに素晴らしいお庭だが、お能を楽しむには
かなり辛い環境だった。
せっかくの“あかり”も落ち着いて鑑賞する余裕など
とてもありはしなかった。

能楽堂では、どの席からも舞台が見える。
ほのかに香が焚き染められたプログラム、
(夜光る塗料で、三重の塔が切り絵ふうに描かれてある)
こういう部分は行き届いていて申し分ないのになあ、と
思いながらもため息が出る。


だから、
「観た」とはいえないかいま見の「清経」だった。
諦めて席を立ち、少しでも見えそうな場所を探す。
周回路の松の陰にぱらぱらと人が立っているのをみつけ、
「中正面」の延長線のそこに立ってみる。
小さく遠く、ちらちらと舞台が見える。
偶然にも頭上の木にスピーカーがあり、
音声はまるで最前列のようで苦笑する。

それでもなお、
友枝さんの清経は美しかった。
白く輝く大口に烏帽子、上の衣が青黛色。
「音取」の笛とともに、橋掛りをすすむ。
ためらい、迷い、たたずみ、促すようにちろちろと鳴る笛に
滑るように静かに、妻の元へと歩む亡霊として。

“雑兵の手にかかりらん”より、愛しい妻にあいたいために
入水したのではなかろうか、と思ってしまうほどのせつなさで、
しみじみと呼びかけの謡いが響く。
“いかに古人(いにしえびと)。清経こそ参りて候へ”と。

ツレ(妻)のなよやかで艶な声とたたずまい。
恨み事をいいつのる風情がやわらかで、
“くねる涙の手枕”がなまめかしい。
まるで王朝の絵巻の世界のようだ。

あでやかな衣の女君と、
恥かしいばかりに優艶な貴公子の恋物語。

そめそめと、しみじみと二人は月の夜を語り明かす。
恨まれても、もはやせんない男君は
自分の入水のありさまを語る。

すっきりと伸びた右腕に構えられた扇はすこしも動かない。
激しい風に長い髪が乱れて衣に広がる。
風に負けずにひるがえし巻きつけた袖をそのままにして、
舞う姿を、あかりが追いかける。

シテの動きにあわせて、あかりが動く。
清経が橋掛り近くに進むと、
妻や、ワキ方は、ぼうと薄闇に沈んで
しまうこともしばしばである。
紅の色濃い小袖だけが、
恋しい「いにしえびと」の居る位置を知らせる。

清経が身を投げるそのとき、直前まで開かれていた扇は
すっと畳まれて、あらたに腰から笛となって抜き出される。
「音のすみやかに吹き鳴らし」と地謡が謡い、
笛がたかだかと一節を吹く。
「なむあみだぶつ」ととなえて船端から海に身を沈める。
たった二足で、船から彼は身を滑らせた。

くるくると、体が水中で波にもまれ海の深みに落ちていくさまが
遠目であってもそれとわかる。

池に波がたち、打ち寄せる波の上の舞台は
さながら、平家の御座船かとも見える。

武勇の名より、妻を選んだ、
心やさしい「清経」のものがたりだ。
しかし、妻の悲しみは、夢であえても
これからますます深かろうに。

シテ・清経 友枝 昭世 ツレ・妻 内田 成信
ワキ・粟津三郎 森 常好

笛 一噌 仙幸 小鼓 鵜沢 洋太郎 大鼓 亀井 広忠
地謡 香川靖嗣・塩津哲生・粟谷能夫・内田安信
   大島輝久・粟谷明生・金子敬一郎・井上真也

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