« 救済の笑み~渡岸寺十一面観音 | トップページ | 「義仲寺」…粟津のみぎわ »

2005.12.14

「邯鄲」~夢とうつつ

ファンタジーは好きだ。映画も小説も。
お能もその範疇に入るかもしれない。

人生の意味を見失った蜀の青年盧生は、賢人を尋ねて旅をする。
邯鄲の宿で、おんな主にふしぎな夢を見せてくれる枕を
すすめられ、眠りの中で楚のくにの王となり五十年を過ごす。
祝いの席で舞を舞い、横になったときに、
扇を鳴らす音が聞こえた、と思うとそこは元の宿屋だった。
主が粟飯ができたことを報せにきたのだ。
「人生は一炊の夢」と悟った盧生はそのまま国へ帰っていく。

鬘は黒頭。
面は「邯鄲男」。
先輩によると、その中でも優しい感じだそうだ。
シテは上野雄三さん、背か高くて姿がまことにうつくしいかただ。
第一声を聞いて、
「やっぱり、この声は好みだなあ」と思う。
わたしはたいそう目が悪いので
そのぶんだけ声が気になってしまう。

歌や演劇では、ハスキーボイスやだみ声もOKだが、
お能のときはまっすぐな声のかたが好きだ。
上野さんの声はちょうど中音で、
落ち着いた感じである。

生きる意味を探している青年の雰囲気に
ぴったりの若さと、しなやかさを備えた舞台姿。
上野さんを花にたとえてみれば、
深山の白い花、辛夷か泰山木か、
ひそやかで香り高い花だ。
“樹木”なら、ほっそりと空に向かうぶなの若木、かな。


こうして“見立て”をするのは
お能を観る機会が限られているためだ。
自然にたとえて記憶しておくと、
時間がたってからそのかたにであったとき、
以前のお能の記憶がくっきり蘇ってくるからである。

上野さんにであったのは、
観世清和さんがシテの「熊野」だった。
侍女の「朝顔」役の上野さんは、
まだシテとツレの違いもよくわかっていなかった私には
このひとが主人公かな、とおもったほどの美しさだった。

哀しい「巴」
神秘的な「賀茂」
高貴な「玄象」の大臣、
であったのはたった三度だ。

シテの動きを追っているだけでしあわせだった。
ゆっくりと一畳台で横になる眠る盧生、
帝となってくつろぐ盧生
興に乗って一畳台で舞う盧生。
狭い所でよくも舞えるものだと感嘆する。
夢から覚めそうになって柱につかまり
かろうじて踏みとどまる…「小書」(空の下)の舞がすばらしい。

舞台に下りて舞は続く。
頂点に達したそのとき、
突然音を立てて、盧生は台(寝台)に横たわる。
まるであやつり人形の糸が切れたかのように。

女主人役の茂さんが、扇で二度、台を叩く。
その音が盧生を夢から呼び覚ますのだ。
起き上がった彼は晴れやかな表情だ。
静々と故郷に帰っていくかれの後ろ姿。

シテの動きを追いかけているのが嬉しくて、
時間が止まってしまうようなこの気持を言葉にすれば
「ひとめぼれ」と言えるだろう。


来年、雄三さんは「葵上」と「道成寺」をなさる。
この二番は見逃せない。
かれの白拍子はどのように舞うのだろう。
「葵上」の鬼、それは哀しい鬼だろうか。
観る前から、あれこれと想像してしまう。

女主人の茂さん。
足捌きのキレのよさはさすがだ。
茂山家の若手の中では「いちばん女姿がおきれい」と
ひそかにわたしは思っている。

舞童の上田絢音ちゃん。
あまりに上手なので、驚き帰ってから番組表をみて
上田拓司さんのお嬢さんとわかりまたびっくり。
彼女の舞はお能の中に溶け込んでいるので
とても自然だ。

今年の大槻能楽堂自主公演はこれで終了。
来年は数が減るし、予定と合わないので、二番しか
観られない。
平日にもう少しお能の催しがあればいいのに。
しかし、中正も脇正も空いていたからなあ。

シテ・盧生 上野 雄三 子方・舞童 上田 絢音
ワキ・勅使 上田 隆之亮 
ワキツレ・大臣 森本 幸治、広谷 和夫、是川 正彦
輿かき・山本 順三、指吸 亮祐
アイ・宿の主人 茂山 茂

|

« 救済の笑み~渡岸寺十一面観音 | トップページ | 「義仲寺」…粟津のみぎわ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/78456/7620139

この記事へのトラックバック一覧です: 「邯鄲」~夢とうつつ:

« 救済の笑み~渡岸寺十一面観音 | トップページ | 「義仲寺」…粟津のみぎわ »