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2006.01.12

「梅」~まだ春浅き夜半に咲く

ひさしぶりの観世例会である。
ここが私のホームグラウンドなのだが
例会はすべて日曜日なので、
観たくてもなかなかに無理なのである。
それで大阪の平日の催しに行くことのほうが多い。

年初なので早く行かないとよい席が取れないのでは、と
心配だったが、正月以来の睡眠不足で、寝起きの気分はよくない。

なんとか三十分前につき、脇正の中ほどの席を確保。
中正面よりだから舞台がななめによく見わたせる。

能「梅」は二時ごろに始まった。
シテの観世清和さんをみるのは
一年ぶりかそれ以上である。
三度の舞台とも大阪だったと記憶いている。

そのときはほんとにまだ初心だったが
「面」の美しさにまず驚いたのだった。
きょうはどんな「面」だろう、と待ち待ちするうちに、
幕の中からゆったりと長い呼びかけが聞こえた。

しっとりとした若い女姿。
唐織着流しの襟のあたりが実にすっきりしてい、
凛としたありさまである。
おしえさとす言葉つきも、声音も
きついくらいにきっぱりしている。
若い女のはずなのに、色合いは地味で上品である。
「ここにおいでなさるなら、真の姿をあらわして
舞を舞っておみせしましょう」と
梅の木の蔭に消える。
(『この木乃下に下臥して。待たせ給はば夜もすがら
月の影もさし出でて、朧ながら慰めんと』)

いよいよの後場。
私の位置からはワキが見えない。
彌三郎さんの姿がみえないと、
目に入るのがシテだけになるので、少し不安。
ワキの存在が、お能の盛り上がりに欠くことができないと
このごろますます思うからだ。

ともあれ、日がとっぷりと暮れ、夜が深まって
梅の精が登場する。
橋掛りにでて半ばでゆったりと客席に顔を向ける。

その美しさをなんと表現すればよいのだろう。
天冠にはしら梅をいただき、地紋の入った白い長絹。
大口の朱は色淡く、手持ちの本をみれば、「洗朱」に近い。
淡彩の梅の精、ただならぬその美貌。
「梅」だとわかっていなければ、あやかしとさえ思えるほどの。
緩く緩く序の舞が続く。
お囃子もなにもかもが気配を消し、
舞台に在るのはひとり梅の精のみ。

ながい年月を経て苔むした梅の古木に、
今年の枝がしっかり伸びて、
ふわりと開くしら梅の花。
夜をほんのり明るませて、香りもしるき春の夜半。

復曲能「箱崎」のポスターに
古代の神の装束で立ったシテの
その面があまりにも神々しく美しかったので
強く印象に残っていた。
この面はあれと同じ面なのだろうか。

情熱を深く秘めて、みためはあくまで静かで威厳のある神の面。
その面を活かせる清和さんのつよさ(とわたしにはみえる)

梅の精の舞姿にまるで呪をかけられたように
声もないワキたち。
梅の精は御代を寿ぎ、夜明けとともに戻ってゆく。
誇りかに謳えるのは彼女が神であるからだ。

わたしもすっかり魅入られたらしく、
その夜の夢にこそ見なかったが、
清和さんの梅の面影がまだ眼の隅に残っている。
怖いくらい美しいそのまなざしが。

京都観世会一月例会 平成十八年一月八日
能「梅」 シテ・梅の精:観世 清和 ワキ・藤原某:中村 彌三郎
ワキツレ:山本 順三・中村 宜成
笛:光田 洋一 小鼓:曽和 博朗 大鼓:石井 喜彦
太皷:前川 光長 後見:片山 九郎右衛門・杉浦豊彦
地頭:井上 嘉介

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