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2006.01.04

「エビ大王」~とても近くてはるかな国の物語

「エビ大王」という劇に、
筧さん(筧利夫)が出演と知って、年末だったが、
迷わずにチケットをとる。
「第三舞台」の公演に毎回通っていた昔、
筧さんは一番のお気に入りだった。

会場は“シアターブラバ”。大阪城ホールのすぐ手前。
つい最近まで劇団四季が公演していたホールで、
五百席くらいのホールだ。

お洒落な劇場だが照明がちょっと暗めである。
二階席だったので、階段を延々と登る。
トイレに行くのも登ったり降りたり、ちょっと辛い。
客席の傾斜は急だが、
その分、舞台ははっきりみおろせる。

この戯曲は韓国発。
なんと分厚いプログラム。
綺麗だけれど二千円は安くない。
オペラやバレエ並みだ。
ただし中味は充実していて写真も夢見るようにきれいに撮れている。

もひとつの楽しみは、
「劇団・新感線」の橋本じゅんさんだ。
写真ではすてきな衣装なので期待していたら、
実際はとてもシンプルだったのでちょっと残念なり。

エビ大王は男子の誕生を望んでいた。
何人できても娘なので、七人目は川に流した。
その夜、地獄から使者が来て
「定命が尽きた」と言われるが、
民の命と引き換えに、男子が産まれるまでの猶予を貰う。

そして国を娘二人とその夫に投げ与え、
自分は後宮に女を集めて子つくりにいそしむ。
流された娘は渡し守に拾われて成人し、
貧のため米三袋で、妻をなくしたやもめに後妻として売られる。
だが、その家の末息子に略奪されて出奔する。

後継ぎは生まれないまま国は荒れる。
使者はまた現われて、
「父に捨てられ、夫に捨てられ、息子に捨てられた女が
大王に男子を授けることができる」と告げる。

放浪の果て、大王が見出したその女は実は、
彼の末娘だった。
そのことを知ったエビ大王は…

いわゆる起承転結のあるドラマではない。
何もかもがごった煮になっていて、その時々に
顔を出すのが、民話であったり
シェークスピアっぽかったり、
どうみてもギリシャ神話、だったりするのだ。
主人公の「エビ大王」にしたところが
言う事は支離滅裂で、執念深くて、近視眼的で
と漢語を語連ねたいような濃い男。

筧さんの熱演で、(よい声だ)
つらつらと滑舌よく繰り出される台詞は、
素敵な音楽を聴いているようだ。

“自分の血を継ぐ男子”を残す事が、そんなに重大事だとは
日本ではちょっと考えられないと思う、が
先祖を大切にする韓国では
当たり前のことなのかもしれない。

捨てられた彼の娘(パリデギ)は
渡し守夫婦に拾われる。
「女は役にたたない」と嫌がるのが母で、
「授かったものは育てようではないか」と言うのが“父”である。
うつくしい娘に育つ。
(白く長い衣装が(チマ・チョゴリのイメージ)が印象的)
たったの米三袋と引き換えにやもめに嫁ぐが
末の息子に略奪されて出奔、男の子をもうける。
そこまではいい。
老人よりも息子のほうが、つりあう相手だもの。

夫は民を率いて将軍になった。
そこに現われた大王の六番目の娘に
「あなたこそ、エビ王朝の後継者」と囁かれると、
彼はパリデギを捨て、息子を連れていってしまう。

残された彼女は、こどもを取り戻すこと『だけ』を
目的に生きる。
愚直で哀しい母親の“さだめ”だ、というストーリーだ。
尋ね当てた息子は「将軍の息子」という地位を捨ててまで
ぼろぼろの母についていく気は全くない。

こうしてすべてに背かれたパリデギは、
実の父エビ大王によって
「後継ぎを産むべき女」として宮廷に連れてこられる。
今は祭祀を守るだけ、
国母ではあるが女ではない実の母は
それと知らずに彼女に頼む。
「どうぞ大王の願いをかなえておくれ」と。

運命にもてあそばれたパリデギは、
最後にやっと伴侶を見出す。
その男は、正しいことを言い過ぎて、舌を切られた男。
喋れないが物事を見通せる彼とふたりで生きると父(エビ大王)に告げる。
(ひょっとして父の子をみごもっているかもしれないが)

大王の執念に翻弄されたパリデギ、
彼女が彼を許すことができたのは、
“バリデギの産まれた日のことを思い出し
彼女に男の産着を着せて、その手で川に流したこと”
を語りつつ泣いた父を目の前に見たからである。
泣きながら抱きしめた腕を感じたからである。

もうひとり、気になる女性が居る。
女として夫によりかかって生きるのを否み
武器を取るのも辞さない、
大王の六番目の娘=六娘だ。
赤い服をつけ、堂々と「私があなたの息子になりましょう」と
父の前で昂然と言い切ったひとだ。

自分の意志で兵を集め、自分で選んだ夫(それは妹パリデギの夫)を、
エビ王朝の後継者にしようとする。
正々堂々、思い通りに生きようとした彼女の、
その計画は半ば成功する。しかし
最後の最後で「聖なるエビの血」を継いでいないという
その一点で、父王の巻き返しにあい、敗れる。
(彼女の養子は男系の血統からはずれる。パリデギの子であっても)

しかし、その涙のない生き方の潔さは美しい。
(でも彼女にこどもは授からない。それは象徴的なことだ、
父の娘は子を産まない)

対極とも言える二人の生き方と、大王の悲願との間に、
さまざまのことがらが次々と
絵解きのように繰り広げられる。
国が二つに分かたれたこと。
分断された半島の現在を映し出すような
いさかい。
無意味な殺し合いと飢饉。

追いかけていくのも息苦しい展開のなかで
ふと息が継げるのは、
地獄の使者たちが登場する場面である。
「日直使者」と「月直使者」の名を持つふたりは、
死をつかさどる閻魔王の下働きだ。

自分のちょっとした失敗の穴埋めをするために、
帳尻あわせに、まだ死ななくていい人を
黄泉の国に連れて行ったりする。
後悔したり、うんざりしたり、ごまかしたり、
二人のかけ合いの場面になると、
空気が和やかに変化する。


演じるのは、河原さんと橋本じゅんさんだ。
先日「吉原御免状」で見たじゅんさんがとてもよかったので
もう一度見に来てみた。
面白い、楽しい、笑える、ほっとする、そうしてすこしもの悲しくもある。
(羽根をつけた衣装で、
“ひばり”の「川の流れのように」を歌うじゅんさん。大拍手が)

きちんと割り切れないのだな、と途中で納得した。
隣だけれど韓国は外国だ。
文化も歴史も、家族のとらえかたも違う。
こんなに難しいが面白い芝居をみつけてきた、
筧さんに感謝。
終わった後に残った感動もさることながら
二つの国の違いについて
いまだに考えている私がいる。

カーテンコールは、顔いっぱいの笑顔で、
踊りながら観客にお礼の言葉を投げる、
筧さんの元気がすごい。
この日が「大」千秋楽なので、
「エビ」にちなんで、出演者の『サイン入りかっばえびせん』が
観客全員に配られる。
二階席にも数人の若いひとが、箱にえびせん積み上げて
配りにきてくれた。
(ちっちゃな袋に油性ペンのサイン、食べたあとは
シワを伸ばして記念にとっておこう)

衣装もよかったし、装置も凝りすぎてなくて私好みだった。
中心の人たちを支えて、踊ったり駆け回ったりしていた
名前のつかない役のひとたちの、
真剣さがとてもよかった。
何役にも早変わりして、背後で支える彼らが居なければ
この劇の
奔流のような熱っぽさは伝わってこなかったにちがいない。

はじめて出会った役者さん
パリデギのサエコさん
六娘役の佐田真由美さん
声を失った書記役の伊達暁さん
日直使者の河原雅彦さん、など印象に残った。

結局、全部よかったのだ。


阿佐ヶ谷スパイダースの公演が三月にある、と
チラシをみて気持が動く。
じゅんさん出演とある。
行くのだろうな、きっと。
程々にしないと身がもたないが。

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