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2006.02.26

美術館で梅を見る

毎年、花見に行こう行こうと思っていて行けない。
季節が変わるときに必ず体調を崩すからなのだ。
都に花の名所は数々あるので、
「花便り」を新聞で確かめて、「さあ」というときに限って、
花粉症がひどくなったりする。
また、桜の見ごろは短いので、一度機会を逃すと、もう
その年の花見は諦めねばならない。

そこで、今年は「梅」見にゆこうともくろんでいる。
なのに、異常な冬の寒さで、
例年、二月の後半になれば、たいていの梅林および神社で、
ほぼ花盛りの予想が出るのに、
「梅花祭」を二日後に控えた今日になっても、
まだ予想は「つぼみ」というありさまだ。

ふと手に取ったチラシに「梅」の文字。
場所は、といえば、これがまたそこそこ遠くて
ちょっとした旅気分に最適。
落語では「いのしし」の産地だったっけ。
池田の里の逸翁美術館である。
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子供のときに「暮らしの手帖」が家にあった。
花森安治というひとが、
ある号に小林一三について書いており、
私の知識はそれ以上に出るものではない。
その記事の中で印象に残っているのは

ひどい不況のとき、デパートの食堂で食事するサラリーマンの間で
「ソーライス」が流行ったそうだ。
「ライス」だけを注文して、それにソースをたっぷりぶっかけて食べる。
ふところの苦しいサラリーマンの苦肉の策。
担当者は「ライスの注文お断り」と札を出そうとしたそうだ。
それを止めたのが、社長の一三氏。
「大事なお客の注文だから」と
ライスのみの客には、大盛にしてあげた、そうだ。

この美談は伝説になっている、らしい。
ただ、貧乏電鉄を沿線の分譲住宅販売で黒字にし、
田舎の温泉宝塚を、少女歌劇を創ることで
観客を惹きつけたひとであることは疑いもない事実である。

長くなったが、逸翁美術館はその小林一三の自宅を
コレクションともどもしつらえなおしたものである。
名づけて“雅俗山荘”という。
早春展「小林一三と梅」、花が見られないなら、ここで梅尽くしを見よう。

自宅からほぼ二時間、曇り空で、傘を持ってでたが、
着いたときにはすっかり晴れた。
駅前に市役所があり、道は広すぎず狭すぎず、
手ごろな広さのまちだった。
大阪梅田から急行で二十分、交通の便もよい。
チラシの地図が丁寧なのと、「至る美術館」の
矢印があちこちにあるおかげで迷わず美術館に着いた。
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駅からずっとにのぼり坂が続き、
気温が四月並みの高さだったのでかなり汗ばむ。
たいして大きなお屋敷でもない。
庭もそこそこの広さである。
住居の部分が展示室になっていて、
二階部分も含めて部屋は五つ、休憩室まである。
(そこには自販機も)
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木造建築なので、床の感覚がやわらかい。
地味なシャンデリアがあり、カーテンは花模様(たぶんビロード)
縦長の窓も古風である。
庭は、凝ってないのがいい。
時期的に花はなく
緑の木々を穏やかに刈り込んで、灯篭もおとなしい形だ。
スリッパのままで庭の散策もできるし、
部屋ものぞける。
二つある茶室のうち、ひとつは規格どおりだが、
もうひとつが変わっていて、
客は椅子に腰掛けてお点前をいただくのである。
気楽で、足もしびれなくて、これはたいそう合理的だと思った。
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展示物はすべて「梅」にちなんだもので、
和歌に俳句に絵に茶道具、
お椀に扇子に屏風に箪笥。

一室の片隅に茶室の室礼(しつらい)がしてあった。
(お茶を習っていたら、もっともっと面白かったのにな)

『公任筆の掛け軸。遠州作の花入。仁清の茶碗。昭乗の茶杓』…

室(へや)から室への間の壁に、主の一三氏の肖像画があった。
ごく穏やかな小柄なひとで
いかめしい感じはまったくなかった。
描いた画家は小磯良平。

並んでいた作品のうちで印象に残ったのは、
まず子規の書、力強くて驚いた。もうひとつ、松平定信、悠々とした筆遣い。
それと陶器の美しさ。
愛らしい一輪の梅の模様の入った「楽」茶碗がとくによかった。
また、青地の水指は清のもの、白梅の描かれたおっとりした藍地の皿は
なんと西洋のもの(セーブル窯と記してある)
こだわりのない多彩な品揃えだ。

陶磁器展示の部屋の壁の一面を占めて、
白梅図屏風(六曲一双…呉春作)
やや暗めの地、これは織物の上に描かれたしら梅である。
夜明けを思わせるほのかな藍色のうえに
いちめんに花が咲いていて、香りが漂ってくるような絵だった。

ひとりのひとが集めたものを、
そのひとが住んでいた場所でみると、
とても身近な感じがする。

ほんの十分のところに城跡公園があると聞いて、
たずねてみた。
池田の地名は、あの大藩の「池田氏」ではなかった。
信長に滅ぼされた荒木村重の「家来」だったそうだ。
いまは跡は絶えてしまっている。
小さなやぐらのような建物が復元されている公園には、
あずまやがひとつ。
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木々はまだ若く、、西から南に広く開けた眺めが清々しい。
母子連れの格好の散歩の場所のようだ。
早咲きの桜がほころびていた。

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2006.02.03

男と女…「憑神」と「ハルカ・エイティ」

最初に読んだ短編が面白かったので、
書評で◎印のこの作品「ハルカ・エイティ」を読んでみた。
図書館のインターネットサービスを利用すると、
目当ての本が、あちこちの図書館から運ばれてくる。
まるで“ア○ゾン”で本を買うときのようだ。
現場に行かずに本を探す、その欠点を補おうと
新刊案内を見たり、人気ランキングを見たり、
いろんな検索方法を試している。

作者は、姫野カオルコさん。

お話は、
「ハルカ」という八十歳、大正生まれの女性の半生の記だ。
肩の凝らない読みやすい文体、(作品ごとに文体と傾向を
変えている、と評にある。)
姫野さんは滋賀県の出身で、作品には故郷とおぼしい
「鶉市」や「鳰の海鉄道」などが登場、ことばも関西ことばで
そういうところも読みやすい一因だ。

滋賀県で育ったハルカの少女時代は面白い。
テンポ良く戦前の女学校を描写し、お見合い、結婚、
「へえ、昔はこんな感じでお見合いしたのか」
「女学校って、高校って、いまとは違うのね」
などなど。
グループを組むのに、貴族のお嬢さん、素封家の娘、大学教授の令嬢、と
ジャンルの違う階層からピックアップされた人たちも
バラエティに富んでいてどんどん読める。

生活のあれこれ、身近な友人との交際などがすらすらと語られていて、
この時代を描いた作品によくある、
“戦争の影”という部分が少ない。
すべてがハルカを基準とした「フツウ」の中に圧縮されているようだ。

違和感を感じるのは後半の部分だ。
ハルカは幼稚園の教諭になって、夫の事業を助ける。
子供は娘がひとり。
夫はちょいちょい浮気をし、
ハルカも、同僚たちと、「家庭を壊さない程度のほどよい」
恋愛をする。
夫に先立たれてからも、若い男に“なんぱ”されてお茶を飲むし。

とてもエネルギッシュでべっぴんなハルカさんは、
「淡々とした普通の女性の戦前から現代を描いて秀逸」という
評者の言葉とはちょっと違っているような気がする。
八十歳でハイヒールが似合って、肌には艶があり、
口紅は珊瑚色。
自分の半分の年の男性と話が合う気の若さ。

少し点が辛くなってしまうのは、私個人の事情がある。
貧乏から脱出できなかった同年代の母を思うと、
「ハルカのどこがフツウやねん」とつい口に出る。

まあ、それはさておいて、痛快な物語であることは確かだ。
これは他の本で感じたのだが、姫野さんが
ふるさと滋賀を描くとき、微妙に屈折した感がある。
遠メガネをさかさにしたような、
はっきりしているのに、奇妙に遠近感が狂っているような、
そんな感じを受けたのだ。

その奇妙さが前面に出た作品を読むときのほうが、
読んだ快感がする、のは困ったことだ。
「いろんな顔を持つ人」らしく、読んだ小説、みな
題材や描き方が違う。
でも共通しているのは、すっぱりしているところ。
男女のことを描くときの、即物的で変に湿らないアカルサが
持ち味のようだ。
私としては、性や恋愛より、彼女のファンタジーが読んでみたい。


もう一冊は、泣かせの「次郎さん」こと浅田次郎さんの新作「憑神」
めちゃめちゃ不運な男の話。
時は幕末、ところは江戸、
貧乏御家人のさらに次男坊、
悪い運をまとまって背負った男。
名を彦四郎という。

年代を持ち出すならばまるきり同年代の次郎さん。
団塊の男の理屈っぽさに、人情の衣をかぶせて
存分に泣かせる術は天下一品だ、と思っている。
でもだんだん泣かなくなってきているけどね。

そもそもは、彼が冗談で拝んだ社が、悪神たちのもので
三人の恐ろしい神にとり憑かれてしまう。
その名は、貧乏神、厄病神、死神。
三という数字はおとぎ話によくでてくる。
みっつの試練を乗り越えると主人公は力を得たり、
困難を切り抜けたり、幸せになったりする。

では彦四郎は幸せになったのか。

たぶん彼個人としては、「自分の運命を自分で決めた」
その時点で充分に満足だったと思う。
神にさえ哀れまれる、何の希望もない次男坊の生活。
いくら能力があっても一生日陰の部屋住みで、
多くの才能が腐ってしまっただろう。
抜け出す道は、「婿養子」か町人身分になることか、
さもなくば出家か。

三つの試練に彼はよく耐えた。
と言っても自分が真正面から受け止めたのではなく、
一度目は自分を離縁した、養家の義父に不幸を「宿替え」(振り替え)し、
二度目はお役目もだらだらしか務めないダルな兄に、
病気を振り替えたのだ。

貧乏神も厄病神も、それをもっともと思うほど、彼個人は
まっすぐで能力のある青年だった。
なにしろ、座右の銘が「かえりみてなおくんば一千万人といえども
われ往かん」なのだがら。(論語の中にあるそうな)
この律儀というか頑固な男のあたまを柔らかくするためには
勝海舟であろうと榎本武揚であろうと、無理な相談なのだ。

しかし最後の「死神」
愛くるしい小娘の姿をとった神には、
彦四郎は心から頼む。いや拝むと言っていい。
自分の納得できる死に方がみつかるまで待って欲しい、と。

彼が見つけたのは、
現代からみると馬鹿馬鹿しい限りの解決だ。
官軍に恭順して逼塞してしまった
徳川慶喜(最後の将軍)の影武者として、
彰義隊のたてこもる、上野の山に死にに行くなんて。

命を捨てることは問題ではない。
捨て方が問題だ、というのは、
ちょっと疑問だけれど、一生懸命考えたあげくに、
己の利を一番にしなかったのはすごい。
つまり彼は、呪われた祠を拝んだことを
最後にみごとに自分の運命を自分できめることによって
ひっくり返したのだ。

彦四郎の便宜を図ったために
閻魔さまに怒られた疫病神と貧乏神は
彼の門出に立ち合う。

お能で言えば「ワキ」として、彼を見つづけてきた
そば屋の主人に、あっさりと軍費の小判を与え、
社会生活では無能だが、
「修験道」(役にたたない分野)では並み以上の
能力を持ったいじめられっこ小文吾をサンチョパンサとして、
キホーテ彦四郎は去っていった。

読後の気分はとてもいい。
「自分」探しの好きな世代としては、
彼の潔さが魅力的だ。
「ぱっと散る」のを変に美化さえされなければ、
死神を胸の内に抱いた馬上姿は、
人の生そのものだもの。

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