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2006.06.30

山川草木悉皆成仏~「誓願寺」

和泉式部がシテだと知って、
これはきっと彼女の恋物語に違いない、と
思いこんで出かけた。
でも違った。
これは仏法の言葉で綴られた織物のようなお能で、
詞章についていけない。

「本日の番組紹介」のチラシが、見所が満員のため
無くなってしまっていて、
あったのは、英語版だけ。
これではどうしようもない。

シテの大島さん。
拝見するのは今日で三度目。
福山で拝見したのと変わりなく、
型がしっかりしていて気持ちよい。

一遍上人(ワキ)に
「名号」についていっしんに問いかける。
横顔がとても綺麗だ。
面がしっくりと付いていて
若さが匂う娘ぶり。

唐織りは、浅い緋の地に細かな花の文様。
斜めの線が入っているのがおしゃれである。
シテは「この寺の額を外して、
替わりに上人の「名号」をかけてください」と頼んで、
はじめて自らの名を明かして、光りとともに消える。

※内容は帰宅してから謡本を読み直した。
「六十万人」というお札の名号はありがたい四句の上の文字を
つないだもので、人数を限ったものではない、と上人はいう。
彼女が聞きたかったのは、全ての人に往生の道が
開かれているか、ということでこの答えに、安堵する。
それで、先の「額の問答」につながるのだ。

女も上人もどちらも一生懸命だった。
彼女が幽霊だなどとはとうてい思えなかった。
もちろん頭では、シテは幽霊だとわかっている。
しかし舞台をみていると、
思いを述べるひたむきさと
答えを聞いて和らぐ面は、生者のようだった。


後シテは白地に金捺しの上衣と、
地味な朱の色の袴、清楚でよく似合っている。
天冠の色もおとなしめで、きらきらではなく
ゆらゆらとゆっくり揺れる。

「歌舞の菩薩」である式部はゆるやかに舞う。
声がまことによく通る。
意味がわからなくてもありがたさがよくよくわかる。
序の舞の後では、面がいっそう晴れやかになった。
どっからともなく、よい香り(異香)がしてきて、
妙なる音楽が聞こえる。

恋にひたむきだった和泉式部、それとおなじひたむきさで             
仏道に打ち込み、
自らの墓所であるこの誓願寺に
ありがたい上人を迎えた喜びで
彼女は姿を現したのだ。
美しいというよりより懐かしいひと、
すぐそこに居るような親しみやすさ、
そんな式部の舞だった。

その場にいたひとはみな、
ひとはほとけになれるというのぞみを
しっかり持ったことだろう。

お能に身を任せて見ていればいいのだと、
確かに読んだ記憶がある。
なかみを知らずに見ていたこの日、
まっすぐに舞台から伝わってきたもの。

「ほとけもむかしはひとなりき。
われらもついにはほとけなり。」
うまく言えないけれど、いつか習ったこのフレーズが
ふと思いだされて、離れなかった。


この誓願寺、いまは京都の繁華街、新京極にある。
秀吉の時代に、御所の北あたりから移されたそうだ。
むろん、境内には立派な式部の墓がある。

また難しい経典の文句も、
私たちが昔の物語を楽しむように、
室町のひとたちは知っていたのかもしれない。
もちろん式部の伝説も。

喜多流自主公演(平成18年6月25日(日)11:45分始)
   喜多六平太記念能楽堂
【能】 誓願寺
シテ(女・和泉式部の霊) 大島 政允
ワキ(一遍上人) 工藤 和哉 
ワキツレ・従僧 大日方 寛  梅村 昌功
アイ(小川表の者) 遠藤 博義

笛: 一噌 仙行幸  小鼓: 亀井 俊一
大鼓: 亀井 広忠  太鼓: 金春 惣右衛門
後見: 金子 匡一  長田 驍
地頭: 香川 靖嗣

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2006.06.26

うつり舞…「井筒」

「紅葉坂」は緑が濃かった。
梅雨がちょっとだけ一休みの日で、石垣に紫陽花が咲いていた。
曇りの日にはよく似合う。
井伊家ゆかりの「かもん山」に建つ横浜能楽堂は
抜群によい風情を持っている。
こまるのは、年とともに、坂道を上るのが苦しいこと。
まして六月ともなれば、きつい。
帰りはゆっくり余韻をかみしめながら
夕暮れの坂道を下ってきたのだけれど。

友枝さんの「井筒」は二度目。


満員の場内はお囃子方が登場したとたんに静かになり、
ワキの閑さんが出てこられたときには、
すっかり静粛に。
彼が語り始めると、舞台は寺になる。
幕があがって声が聞こえてもなかなか姿を見せないシテ。
静かに静かに歩んでくる。
手には桶と数珠。
唐織りの重さもまったく感じさせずに
古塚の前に跪き、花を供え手を合わせる。
流れるようにうつくしく、こころのこもった所作だった。

重ねた白い襟に一色、細く緋色が通っている。
ふっくらと愛らしい顔をうつむけて、
花を携えてくるわけを語る。
ちょうど作り物に隠れてしまって、
その面輪が見えない。(なんと残念な)


語るのは昔男の物語。
幼なじみとの初恋。
彼の浮気をとがめもせず、道中ばかりを案じた新妻。

僧の問いにはじめは名乗りを控えていたが
やっと女は自分の名を名乗る。
「紀有常の女で『井筒の女』と呼ばれるのは私です」と。
その時だけは女は凜と顔を上げ、威厳に満ちて名乗ったのだ。


友枝さんがそこにすわって居られるだけで、
静かな波がひたひたと、打ち寄せてくるような気がする。
さらりと謡われ、さらりと帰ってしまわれたけれど、
後ろ姿はあまりにも優しかった。

後シテは武官の冠りものをつけ、形見の長絹を着て登場する。
幼げにさえ見える面は、
男姿になったために、翳りを帯びて大人びてみえる。
紫濃い上の衣にくっきりと、藤と扇の文様が金で捺されていて、
まことに華やかである。
長絹の下は緋色の小袖。
花の模様にはかわりないが、里女の時よりさらにぎっしりと咲いている。
折り返した袖がすこしだけのぞいているのが
鮮やかである。。

そして「序の舞」

しみじみとしめやかに、「恥ずかしや…」と言いつつ舞う女は
秋の月の下のはずなのに、
やっぱりあたたかくおぼろな感じがする。
楽の音につつまれて、彫像のように座る閑さんは黒々と、
シテはますます艶やかに、
井戸の脇に挿された薄がなびくなか、
時を忘れて舞は続く。

くるくるくると回りながら井戸に近づき
身を乗り出して
水鏡に映るじぶんの姿をみつめる。
一瞬だけれどとても長く感じる。
それほどひたむきに見つめていたのは
この地で暮らしたころの
しあわせなふたりの姿だったのだろうか。

いつも夢見心地でみているこの舞が、
きょうは何と短く感じたことか。
「恋しい、懐かしい」という思いで舞台が染まるような。

輝いていた若い日の業平の姿をそのままに、
面差しは娘の愛らしさを留め
夜が明け初めるまでをしみじみと舞う。
幸せをいっしんに舞う。

そうして夜がさらりと明ける。
するとワキの僧の夢が覚め、
わたしたちの夢も覚める。
静かに消えてゆく女の背中が、
わたしの眼の奥に残像として残る。

過日訪れた「不退寺」は
業平ゆかりの寺であり、佐保の里には違いなかった。
だがアイは「櫟本の人」と呼ばれる。
ここは西大寺近く。
ならば、法隆寺よりさらにみなみに
“在原寺”はあったのだろう。

それでもそこで
少し「井筒」をおもってみた。
草深さを感じさせる庭、それほど造り込まれてないのがいい。
かたすみに、僧が腰をかけられそうなお堂があり、
そこから草の間をとおして門が見える。
手桶を下げてくぐってくる女が、
日の差す小道を歩んできて、
門をくぐりこじんまりした境内の
ひとところにある塚を拝んでいれば、
僧は思わず声をかけてしまう程の距離。

かえってその狭さが風情に思えるお寺だった。

横浜能楽堂開館10周年記念特別公演
(第3日)平成18年6月17日(土)午後2時開演
【能】「井筒」
前シテ(里女)・後シテ(紀有常ノ女)
          友枝 昭世
ワキ(旅僧)   宝生 閑   アイ  野村 扇丞

     笛 一噌 仙幸 小鼓 成田 達志  大鼓 柿原 崇志
     後見 香川 靖嗣  友枝 雄人  地頭 粟谷 菊生          

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2006.06.20

まことに面白き囃子の音・せぬひま公演

お囃子の調べが最近もっと好きになりつつある。
ユニット「せぬひま」は初回に観てとても気に入った。
今回は三回目。
笛方さんが三人で、
それぞれの流儀を聞かせてくださる趣向だ。
お囃子が中心だから、仕舞ではなくて舞囃子になる。
お能の緊張感はないが、
心地よい調べと、颯颯とした舞の取り合わせは楽しい。

場所はいつもの大江能楽堂、駅からは多少時間がかかるが、
自宅からはとても行きやすい場所で、
楽々と家事をこなして出かけられるのはありがたい。
古び方もなかなかのもので、雰囲気のある能楽堂。
音響もいつも良いなあと感心する。

残念なことも少し。
座席が桟敷席中心なのだ。
“桟敷に座布団”はクラシックだが、
こちらの足が保たない。
正座できる時間は長くなったが、最長で1時間半が私の限界。
今回はしっかり2時間かかったので、
接骨院でマッサージしてもらうはめになった。

もうひとつ、トイレの数が少ない。
昔ながらの建て方なので、仕方ないのだけれど、
満員だと、休憩時間中に用を足すのは、困難だ。
我慢するか、あきらめてしばらく、ロビーで
演目の切れ目を待つしかないのである。
(我慢できなかったせいで、千五郎さんの語、「文蔵」を
見そびれてしまって、口惜しい。)

舞囃子が三番
「融」舞は 浦田保親さん
早舞であるが、驚くほど速い。すべるように切れよく
舞台を隅から隅まで使っての舞だ。
保親さんの舞はいつも楽しいがこの「融」も同じだった。
お囃子も力強く、太鼓も入って、生き生きとしていた。

「夕顔」こちらは片山九郎右衛門さん。
お能にはなかなか出会えないので、この舞囃子を楽しみに
していた。仕舞は年初の「謡初」で拝見している。
「夕顔」は源氏物語の中の登場人物で、「半蔀」でも主人公である。
はかなげな感じがする夕顔を、九郎右衛門さんは
遅く、ゆるやかに、じっくりと舞われる。
気品の高さはさすがである。

三つめ、最後の演目は
「猩々乱」で舞手はふたり。
味方玄さんと味方團さんだ。
ご兄弟の相舞は、さぞぴったりだろうと楽しみだった。
こんなに予想が当たることはめったにない。
酒好きな妖(あやかし)、お能では赤い髪と
ほんわりした面で、短いがめでたい曲だ。
美しく型の決まる兄の玄さんと、
こまやかに生真面目に連れ舞う團さん。
ゆったりした波が寄せては返すさまに似て、
最高の纏まりだった。

笛方さんの競演は「獅子」
一噌さんの超絶技巧の音色のあとには
規矩正しい森田さんの笛。
耳慣れているだけに「ああ、“獅子”だなあ」と
体が納得する。
最後に藤田さんが勇壮にかつ軽やかに流儀の曲を
なさった。
笛を置かれておっしゃるには
「三人一緒に出てきて、もう一度“獅子”を吹きます。
どこが違うか聞き比べてみてください」
ほうほう、これはすごいアンコールだわ、と
会場から拍手が起こる。

そして始まった三人の獅子。
一緒に聞くとなおなおわかる。
同じ曲だとは思えないくらいに違う。
能楽堂の中は飛び交う笛の音色でいっぱいになる。

来年ももう予定が決まっているそうで
次は関東の囃子方グループ「神遊」との共演らしい。
「共」演であれ、「競」演であれ、
生きのいい楽の音色が身近で聞けるのはありがたい。
手帳のメモ欄に日時を控えて、
来年の運勢がよいように、祈っておこう。

平成十八年六月九日(金)大江能楽堂
  午後七時から九時二十分(三十分延長となった)
「せぬひま」第三回公演
舞囃子「融」 浦田 保親
     笛 森田 保美
    太鼓 前川 光範
一管 「獅子」一噌 幸弘
    〃  森田 保美
    〃  藤田 六郎兵衛
狂言語「文蔵」茂山 千五郎
舞囃子「夕顔」片山 九郎右衛門
     笛 藤田 六郎兵衛
  「猩々乱」味方 玄、味方 團

小鼓:吉坂 一郎 大鼓:河村 大

地謡:河村 和重 味方 玄 味方 團 浦田 保親

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2006.06.12

奈良一日(ひとひ)

在原寺を探して不退寺に行きついた。
業平を祀るお寺である。
本で読んだり、お能がらみの場所に行って
写真を撮るのがいまの楽しみ。
これからの季節は体力が不可欠で、ちょっと心配だけど。

夏が来る前に、奈良には一度行きたいと思っていた。
博物館や正倉院展以外に長らく訪れたことがなかったから。

丸一日外出するのはわりに珍しいことなのだ。
休暇を取った家族が留守番してくれるというので
出かける。

「奈良1dayチケット」を買う。
これまた私鉄(近鉄)とバスが乗り放題の切符だ。
かなり割安になるのが、“家計に優しく”とても助かる。

乗り継ぎがうまく行ったので、予定より早く奈良に着く。
せっかくの空き時間を無駄にすまい、と
循環路線で予備の予定だった春日大社へ。

奈良公園は広いなあ。
お寺がたくさんあるなあ、と
あらためて感じ入る。

「春日大社前」で降りて参道を
十分ばかり歩く。どうも裏参道らしかった
石灯籠も樹たちも広い空も
私が思う奈良のイメージどおりだ。
意外に人通りが少なく(裏だからだね)
すぐに「神苑」に着く。
以前は「万葉植物園」という名だったそうだ。
みっしりと万葉集ゆかりの植物が植わっていて、
古代好きにはこたえられない。

藤の苑もあって、なるほどここは藤原家の神社だったんだ、
なにしろ一区画全部が藤とは豪勢だなあと思う。
盛りのときに来たいけれど、ちょうど
大型連休のあたりが満開の時期だから
またものすごい人出だろう。
池に張り出している遙拝所は、
端午の節句に、舞が奉納される舞台である。
いま、誰もいないそこは、鯉の天下で、
やや濁った水面がとろりとして静かだった。

本殿にも急いでお参りし、
摂社を見つける度に、祀られているのはどなただろう、と
説明を読みつつ道を急ぐ。
石灯籠も数多く、朱塗りの回廊はぴかぴかで、鹿もあちこちに、
これぞ奈良の風景としかいいようのない立派な神社だ。
こんなに長い間栄えているのに、手垢がついた、感じにならないのが
不思議な」気がする。
宝物殿は割愛。
迷っているそのときに、一団の修学旅行生だちが到着して
あっという間に前庭は
社会科の教室に早替わりしたからだ。

バスを乗り継いで西大寺方面へ。
道路は広くて綺麗だけれど、かなり郊外に来たな、
と思われるころあいに
不退寺前に到着する。

案内にしたがって、やや狭い道に入ると
JRがのんびり通り、急に緑が多くなる。
小さいけれど田んぼだってあって、
田植えが終わっていて苗がそよぐ。
とても懐かしい風景である。

そんな中にお寺はあった。
境内は狭い。でもいっぱいの緑が眼にまぶしい。
本堂も古びのついており
木の格子が相当色あせている。

業平忌には特別に公開されるものもあるらしいが
拝観料をはらってお堂にあがる。
私のほかには一組のご夫婦だけ。
年代もあまりかわらないようだ。
初老のお坊さまが、たんたんと慣れた調子で
お寺の由緒、仏さまの来歴を語られる。
節がついていてそれが面白い。

本尊は観音さまで「業平公が手ずから刻まれ」たのだそう。
ああ、そういうことになっているのだな、と
近くに寄って、目を見開いてしかと見つめる。
彩色は剥げているが薄く文様が描かれた跡が残っている。
立派で力強い仏さまだ。
こんどお寺に行くときはやっぱりオペラグラスを持ってこよう。
日差しは強く、ほの明るい中だったから、
目鼻だちまで見えたけれど、
どこのお寺も奥まって祀られているご本尊は、
私の視力では、ぼんやりとしか捉えられない。
それがいつもあとで悔やまれるから。

業平の父、阿保親王の像や、近隣出土の瓦など
展示物をさらっと見終え
お礼を言って外へ出る。
お坊さまは正面の格子戸をから出てきっちりと鍵をかけられる。
そうか、拝観の客が来るたびごとに、
案内をしてくださるのか。


ここが「井筒」の舞台かしら。
そう思ってみると、この寺に花を供えに来る女は、
緑の庭のどこにでも、すうっと消えてしまえるようだ。

変にこぎれいに作り込まれていない庭は、
一隅にあるお堂に突き当たり、
蝶がどこからともなくひらひら舞って来、
蜘蛛の巣が陽に輝いている。

陽に炙られすぎて、喉は渇くし汗まみれだし、
それでももう一カ所、予定していた
尼門跡寺の法華寺へ。
バスで一駅の距離だったので。

結果を言ってしまうと、
お寺は立派だったが、拝観料も高かった。
お庭は二カ所あって、御所写しのお庭は型としては
とても美しいが、
見る場所がひとところに限られている。
庭の中を横切ったり、池にかかる橋を
渡ったりはできない。
正面顔だけで「美人」と思え、と言われているようで
ちょっといただけなかった。

ただ、偶然にも、十一面観音さまご開帳の日で、
普段は頼んでも拝めないそのお姿を
拝見することができた。(その分料金が上乗せされたが)
広い本殿に立たれたお姿は、肌の色合いさえも
あでやかで優艶だった。
ゆっくり拝めたらよかったのになあ。
ひきもきらずに観光客が出入りし、
説明はテープでエンドレスに流れる。

ほとけさまを拝んだり、昔のさまを偲んだりするには、
静かな時間がとても必要だ。
次回の奈良行きはもう少し足を伸ばして
秋篠寺方面へも行きたい。
池と古墳の佐保の里、似合うのはやはり春だろうな。

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2006.06.08

楽しいミステリ

ひらがなで「しゃばけ」、これは
いったいどんな意味、と不思議だったが
世にも珍しい、妖怪までも活躍するお江戸ミステリーである。
漢字で書くと「娑婆気」。
014himekingyohunsui


この本は娘が見つけてきて
あっというまに私もはまった。
作者は畠中恵さん、わかいひとだ。
図書館で既刊分をみつけて、
いまんとこ四冊読みあげた。
新聞広告に新刊の案内があった。
「うそうそ」
全巻ひらかなの題である。
「ぬしさまへ」「ねこのばば」「おまけのこ」
ここまでくると、立派だね。

筋がまたすっきりと読みやすい。
短編の連作だから、一区切りついたら、
「残念だけどきょうは寝よう」と思えるのがよろしい。

ここしばらく、宮部さんの江戸ものの短編の新作がなくて、
さびしかったところだから、
気分にぴったり合ったのだ。
解説を読んでみると、
なんと都筑道夫さんの“お弟子”さんだと。
「砂絵師」シリーズその他で、
若い頃せっせと読んだっけ。
軽やかで明るいところが似ているかも。
017derumizuiro

設定がいい。
主人公は病弱な若だんな、彼は一応人間だが、
脇役のふたり、人間のふりをしているが
実は「妖怪」なんである。

ひとり(一匹かな)は凄いような色男で
ふむふむ、絵面がうつくしいなと思う。
私の気に入りは犬神であるもうひとり(一匹)
「いかつくて力もち」の番頭、佐助さんだ。

畠中さんのこのシリーズ、明るいけれどそのなかに
ぽっちりと泣かせるセリフがそこここに見え隠れ、
その配分がほどほどで快いのである。
“名前は呼べば呼ぶほど、そのものにしっくりぴったり
してくる”というフレーズなど、ファンタジーっぷりが
生きている。

いかつい顔つきの癖に涙もろい、
犬神くんの居場所があって、
読んでるこちらもほっとする。
何せ、弘法さんのころから、自分の落ち着き先を
探していたという妖怪だもの。
いいひとに巡り会えてよかったね、と
読んでいるこっちも安心してお茶を啜れる、ってもん。

後は妖怪のオンパレードで、「明るい」怪奇ものが
好きな人にはぴかぴかのお薦め本だ。

人間のキャラでは、
岡っ引きの「日限りの親分」さんがいいな。
若だんなに外の風を持ってやってくるこのひと、
実は大店が振る舞ってくれる菓子も目当てだが
やっぱり自分の手柄や困りごとも言いたくて、
067gazania

病弱ゆえに時間があって
気持ちのやさしい若だんなのとこで
楽しい居場所をみつけているみたい。

それぞれの妖怪たちも、この長崎屋の若だんなが
けほけほ咳している離れが
一番おちつくみたいである。
ぎしぎしと古家をきしませて人を驚かす鳴家(やなり)も、
猫又も屏風覗きもあれもこれも。
居つけなかったのは、貧乏神くらいのものだよ。
 ※画像は無関係です※

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2006.06.06

小太刀を衣に…巴の愛

二月の「條風会」で「巴」を観た。
シテは狩野さんで、綺麗で哀憐な「巴」だった。
友枝さんはどのようになさるのだろう。

蝋燭能だということは、会場に入ってから気がついた。
三十本ちかい紙燭が並び、
能楽師の方々が順々に火入れをされる。
紋付袴姿が点けたばかりの炎に照らされて美しい。

始めは席に座っていても、炎が目に入る。

琵琶曲のときはそれが、「耳無し芳一」の一場面のようで、
平曲の不思議な節回しと合っていた。
そう、まるで亡霊のヒトダマのようだ。
今井さんはお付きの人に手を引かれて出てこられた。
被り物が百人一首の「蝉丸」の絵のよう。
節こそ耳慣れないが「滝口横笛」の話はぼんやりとは
知っていたのでおおむねわかった。
合いの手の琵琶の音がはではでしくなくてよい。
033bryuinde

狂言への場面転換は僅か五分。
すぐに「越後婿」に入る。
舅の「有徳人」のもとに
婿の「勾当」(又三郎さん)が登場。
かぶり物がさっきの今井さんと
そっくりでおもしろい。

はるばると越後から婿になってはじめて
挨拶をしにやってくるのが小三郎さんだ。
酒と、ひしおのつとを土産に、華やかな登場である。
つとに挿した花の色合いが暗めの舞台に映える。

親戚の顔合わせということで、
酒も入ってご機嫌の舅と婿二人。
いつもながらに飄々とした又三郎さんが
請われて小舞をひとさし。
「海道下り」これならみたことがある。
杖をついての舞ぶりが、まことにいつもとおなじ
剽げた明るさで、楽しい。

この狂言は初見、この先どうなるのかわからず
なかなかに長くやりとりが続いているので、
やや集中が途切れたとき、

若婿の小三郎さんが、「越後獅子」をと
もとめられて退場。
なんと、能「望月」で見た、扇を獅子の頭に見立て
牡丹の花を飾り、顔を紅い布で包んで出てこられた。

お囃子も入って、軽々とした獅子舞である。
お能のときよりもっと楽しそうに鞨鼓を打ち、
くるくるとみずぐるまのように小三郎さんが回る。
体はしなやかで、大柄なのに軽やかに、
扇使いがまた見事なのだ。
舞台で『よいやよいや』と声があがった。

018supasuta

小三郎さんって
なんと上手な舞い手だろう。
いままで、その滑舌のきわだち方とか、
良く通る声とか、そんなところにしか目がゆかなかったが
さりげなくてすごいな、と感服した。
舞は「猿歌」で、『楽しゅうなるこそめでたけれ』と
地謡、こちらは万作家の方々が勤められていた。
万作さんもおいでで、ほんのりとお顔が見えた。

とてもみどころの多い狂言だ。
ただ、謡やお囃子が入る分、祝儀な狂言でこそあれ、
滑稽や諷刺とは距離があった。
じっくりと小一時間の大曲である。

十五分間の休憩が入ってお能が始まる。
途中で見所の外に出たら、入場できないとあらかじめ
聞いていたので、やや緊張してお調べを聞く。

そのころにはもうろうそくは短くなっていて
揺らめく光は紙の中で、
舞台はますますぼんやりほの暗い。

声がほら貝のようによく響く、
殿田さんがワキをなさる。
二人の従僧を引き連れて、次第の謡は朗々としている。
035ginrei

しばしの間があり、里の女が登場する。
女にしか見えないうつくしい姿と、すべるようなハコビは
友枝さん以外の誰にもできないだろう。
装束は、橙色の段替わりの唐織で、蔓帯も同じ浅緋色である。
右手に透き通った玉の数珠を握りしめ、
うっすらと涙ぐんでいるようにみえる。

シテの語りの声が、きょうははじめからよく出ていて
とてもはっきり聞こえた。
面の口が動いているようにみえるほど真に迫った語りである。
片膝をついてしかも腰をやや浮かせているから
装束の裾がなだらかで綺麗である。
古歌を引いて、僧に返す言葉は、才気あるこの里の女と見える。

だが、僧たちの故郷を聞いたとたん
彼女の声音はかわる。
「ここに祀られているのは、木曾義仲の霊なのです。
同郷のかたがたなのですから、ねんごろに拝んでくださいませ」
と言う。
『里人に聞かせ賜や』の謡につれて、ワキたちににじり寄る仕草が
強い思いを感じさせる。
013madamtassonhumei

アイの里人は萬斎さん。
狂言座に座っていらっしゃるとき静かなのに、
舞台で語り始めたときの熱っぽさがすごい。
平家物語の「木曽殿最後」(というのかしら)の段を
声の乱れもなく語られる。

蝋燭は三十本ばかり。
「巴」のときには炎は紙燭にすっぽり隠れてしまい、
ほのかなあかりはちらちらゆらゆら揺れていて、
そこに後シテが登場する。
037sinsetu

梨打烏帽子にくっきりした花の模様のある唐織り、
大口は生成のようで、裾に小さく刺繍が入っている。
きりりと見据えた顔は
あどけない感じさえみえる愛らしさだ。

僧に問われて義仲の事を巴は語る。
粟津の最後の戦のくだりになると、
突然、巴に義仲がのりうつる。
「深田に駆け込み…手綱に縋って鞭を打てども」
激しく拍子を踏み、きりりと手綱を引き絞り、
しかし手傷を負ってしまい茫然とする。

今度は巴に成り変わり、
松の根方に彼を連れゆく。
そして殉死を願うが義仲は許さない。
「形見を持って木曽に届けよ」と
苦しみながらもはっきり命ずる。
そのとき巴は泣くのだ。
見えている背中が激しく切ない。

追ってきた敵に見つけられ、巴は敵を追い散らす。
橋がかりへ向かうが、揚げ幕までは追っていかない。
はるかに彼方をみやる彼女のまなざしは
放心しているようにみえた。
043matiruda

義仲のもとへ帰ってみると、
すでに彼は自害していた。
小袖を枕上に置いて。

それをみつけたとき巴は、思わず薙刀を捨てて、跪く。
今なら泣くことができる、と身も世もあらず涙にくれる。
最後の別れの言葉もなく、もう行ってしまわれたのか、と。

小袖を「賜る」ときに、巴はゆっくりと両手で小袖を捧げる。
「うやうやしく捧げ持ってほのかに残る香をなつかしむ」
という詩のとおり、
彼女の仕草は哀切きわまりない。

歩みを進めて橋がかりへ、
ここは「粟津の汀」である。
ゆるゆるとした地謡の謡の中で、
後見が手早く物着をする。
この日の友枝さんは下の衣のままであった。
「上帯切る」ところで上の衣をふわりと滑らす。
両手をさあっと対称に広げるさまが美しい。

真っ白な下の衣のままで袖に小太刀を抱いて
黒の信楽笠を片手に下げ
絵のように清冽な姿で舞台に入り、
軽く笠を下げたまま、くるりと回る。

僧に後世の弔いを頼むとき
笠はさっと横に投げられる。

真率な思いをこめて両手をやや前に出し、
じっと僧たちを見つめつつ、巴の姿は消えてゆく。
打出の浜が広がる粟津の松原の間に。
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シテがゆっくりと橋がかりを向いたときに
お能の詞章は終わる。
だが幕に入るまでの長い道のりは
これからの巴の余生を暗示するかのようだ。
それはほんとうに長くつらいものであったに違いない。

静かに静かに友枝さんは帰る。
無音の中を、無明の夜へ。

国立能楽堂特別企画公演
「琵琶と能楽・蝋燭の灯りによる」
平成十八年五月二十五日(木)午後六時半開演
平曲 「横笛」 今井 勉
狂言・和泉流 「越後聟」
  聟:野村 小三郎 有徳人:松田 高義
太郎冠者:野口 隆行 勾当:野村 又三郎
地謡:野村万作 野村萬斎 深田博治 月崎晴夫 

能「巴」
 里女・巴御前の霊:友枝 昭世 旅僧:殿田 謙吉
 従僧:大日方 寛 御厨 誠吾 里人:野村 萬斎

 笛:藤田 六郎兵衛 小鼓:鵜澤 洋太郎 
 大鼓:柿原 崇志
 後見:中村 邦夫 友枝 雄人
 地頭:香川 靖嗣

※あくる日の後シテは、緋色の大口を着し
形見の小袖を羽織り、笠を持って立ったと聞いた。
その姿もまた鮮やかで可憐だったろう。

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