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2006.06.06

小太刀を衣に…巴の愛

二月の「條風会」で「巴」を観た。
シテは狩野さんで、綺麗で哀憐な「巴」だった。
友枝さんはどのようになさるのだろう。

蝋燭能だということは、会場に入ってから気がついた。
三十本ちかい紙燭が並び、
能楽師の方々が順々に火入れをされる。
紋付袴姿が点けたばかりの炎に照らされて美しい。

始めは席に座っていても、炎が目に入る。

琵琶曲のときはそれが、「耳無し芳一」の一場面のようで、
平曲の不思議な節回しと合っていた。
そう、まるで亡霊のヒトダマのようだ。
今井さんはお付きの人に手を引かれて出てこられた。
被り物が百人一首の「蝉丸」の絵のよう。
節こそ耳慣れないが「滝口横笛」の話はぼんやりとは
知っていたのでおおむねわかった。
合いの手の琵琶の音がはではでしくなくてよい。
033bryuinde

狂言への場面転換は僅か五分。
すぐに「越後婿」に入る。
舅の「有徳人」のもとに
婿の「勾当」(又三郎さん)が登場。
かぶり物がさっきの今井さんと
そっくりでおもしろい。

はるばると越後から婿になってはじめて
挨拶をしにやってくるのが小三郎さんだ。
酒と、ひしおのつとを土産に、華やかな登場である。
つとに挿した花の色合いが暗めの舞台に映える。

親戚の顔合わせということで、
酒も入ってご機嫌の舅と婿二人。
いつもながらに飄々とした又三郎さんが
請われて小舞をひとさし。
「海道下り」これならみたことがある。
杖をついての舞ぶりが、まことにいつもとおなじ
剽げた明るさで、楽しい。

この狂言は初見、この先どうなるのかわからず
なかなかに長くやりとりが続いているので、
やや集中が途切れたとき、

若婿の小三郎さんが、「越後獅子」をと
もとめられて退場。
なんと、能「望月」で見た、扇を獅子の頭に見立て
牡丹の花を飾り、顔を紅い布で包んで出てこられた。

お囃子も入って、軽々とした獅子舞である。
お能のときよりもっと楽しそうに鞨鼓を打ち、
くるくるとみずぐるまのように小三郎さんが回る。
体はしなやかで、大柄なのに軽やかに、
扇使いがまた見事なのだ。
舞台で『よいやよいや』と声があがった。

018supasuta

小三郎さんって
なんと上手な舞い手だろう。
いままで、その滑舌のきわだち方とか、
良く通る声とか、そんなところにしか目がゆかなかったが
さりげなくてすごいな、と感服した。
舞は「猿歌」で、『楽しゅうなるこそめでたけれ』と
地謡、こちらは万作家の方々が勤められていた。
万作さんもおいでで、ほんのりとお顔が見えた。

とてもみどころの多い狂言だ。
ただ、謡やお囃子が入る分、祝儀な狂言でこそあれ、
滑稽や諷刺とは距離があった。
じっくりと小一時間の大曲である。

十五分間の休憩が入ってお能が始まる。
途中で見所の外に出たら、入場できないとあらかじめ
聞いていたので、やや緊張してお調べを聞く。

そのころにはもうろうそくは短くなっていて
揺らめく光は紙の中で、
舞台はますますぼんやりほの暗い。

声がほら貝のようによく響く、
殿田さんがワキをなさる。
二人の従僧を引き連れて、次第の謡は朗々としている。
035ginrei

しばしの間があり、里の女が登場する。
女にしか見えないうつくしい姿と、すべるようなハコビは
友枝さん以外の誰にもできないだろう。
装束は、橙色の段替わりの唐織で、蔓帯も同じ浅緋色である。
右手に透き通った玉の数珠を握りしめ、
うっすらと涙ぐんでいるようにみえる。

シテの語りの声が、きょうははじめからよく出ていて
とてもはっきり聞こえた。
面の口が動いているようにみえるほど真に迫った語りである。
片膝をついてしかも腰をやや浮かせているから
装束の裾がなだらかで綺麗である。
古歌を引いて、僧に返す言葉は、才気あるこの里の女と見える。

だが、僧たちの故郷を聞いたとたん
彼女の声音はかわる。
「ここに祀られているのは、木曾義仲の霊なのです。
同郷のかたがたなのですから、ねんごろに拝んでくださいませ」
と言う。
『里人に聞かせ賜や』の謡につれて、ワキたちににじり寄る仕草が
強い思いを感じさせる。
013madamtassonhumei

アイの里人は萬斎さん。
狂言座に座っていらっしゃるとき静かなのに、
舞台で語り始めたときの熱っぽさがすごい。
平家物語の「木曽殿最後」(というのかしら)の段を
声の乱れもなく語られる。

蝋燭は三十本ばかり。
「巴」のときには炎は紙燭にすっぽり隠れてしまい、
ほのかなあかりはちらちらゆらゆら揺れていて、
そこに後シテが登場する。
037sinsetu

梨打烏帽子にくっきりした花の模様のある唐織り、
大口は生成のようで、裾に小さく刺繍が入っている。
きりりと見据えた顔は
あどけない感じさえみえる愛らしさだ。

僧に問われて義仲の事を巴は語る。
粟津の最後の戦のくだりになると、
突然、巴に義仲がのりうつる。
「深田に駆け込み…手綱に縋って鞭を打てども」
激しく拍子を踏み、きりりと手綱を引き絞り、
しかし手傷を負ってしまい茫然とする。

今度は巴に成り変わり、
松の根方に彼を連れゆく。
そして殉死を願うが義仲は許さない。
「形見を持って木曽に届けよ」と
苦しみながらもはっきり命ずる。
そのとき巴は泣くのだ。
見えている背中が激しく切ない。

追ってきた敵に見つけられ、巴は敵を追い散らす。
橋がかりへ向かうが、揚げ幕までは追っていかない。
はるかに彼方をみやる彼女のまなざしは
放心しているようにみえた。
043matiruda

義仲のもとへ帰ってみると、
すでに彼は自害していた。
小袖を枕上に置いて。

それをみつけたとき巴は、思わず薙刀を捨てて、跪く。
今なら泣くことができる、と身も世もあらず涙にくれる。
最後の別れの言葉もなく、もう行ってしまわれたのか、と。

小袖を「賜る」ときに、巴はゆっくりと両手で小袖を捧げる。
「うやうやしく捧げ持ってほのかに残る香をなつかしむ」
という詩のとおり、
彼女の仕草は哀切きわまりない。

歩みを進めて橋がかりへ、
ここは「粟津の汀」である。
ゆるゆるとした地謡の謡の中で、
後見が手早く物着をする。
この日の友枝さんは下の衣のままであった。
「上帯切る」ところで上の衣をふわりと滑らす。
両手をさあっと対称に広げるさまが美しい。

真っ白な下の衣のままで袖に小太刀を抱いて
黒の信楽笠を片手に下げ
絵のように清冽な姿で舞台に入り、
軽く笠を下げたまま、くるりと回る。

僧に後世の弔いを頼むとき
笠はさっと横に投げられる。

真率な思いをこめて両手をやや前に出し、
じっと僧たちを見つめつつ、巴の姿は消えてゆく。
打出の浜が広がる粟津の松原の間に。
054karumiya1

シテがゆっくりと橋がかりを向いたときに
お能の詞章は終わる。
だが幕に入るまでの長い道のりは
これからの巴の余生を暗示するかのようだ。
それはほんとうに長くつらいものであったに違いない。

静かに静かに友枝さんは帰る。
無音の中を、無明の夜へ。

国立能楽堂特別企画公演
「琵琶と能楽・蝋燭の灯りによる」
平成十八年五月二十五日(木)午後六時半開演
平曲 「横笛」 今井 勉
狂言・和泉流 「越後聟」
  聟:野村 小三郎 有徳人:松田 高義
太郎冠者:野口 隆行 勾当:野村 又三郎
地謡:野村万作 野村萬斎 深田博治 月崎晴夫 

能「巴」
 里女・巴御前の霊:友枝 昭世 旅僧:殿田 謙吉
 従僧:大日方 寛 御厨 誠吾 里人:野村 萬斎

 笛:藤田 六郎兵衛 小鼓:鵜澤 洋太郎 
 大鼓:柿原 崇志
 後見:中村 邦夫 友枝 雄人
 地頭:香川 靖嗣

※あくる日の後シテは、緋色の大口を着し
形見の小袖を羽織り、笠を持って立ったと聞いた。
その姿もまた鮮やかで可憐だったろう。

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