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2006.07.30

青ざめた龍女…「海士」・片山定期能

並んでいる人の列が長く伸びたので
観世会館は定刻より早めに扉が開いた
この日観たのは片山定期能である。
片山清司さんと味方玄さんが
それぞれシテをなさるので、
見所は大入り満員だった。
すぐに二階の正面席も人で埋まる。

まず清司さんの「頼政」。
旅僧を呼ぶときの声が深々として凄みがある。
それなのに橋がかりに見えた姿は
いとも清げな小柄な老人だった。
ややなで肩の線がきれいな曲線を描いている。
年も姿も仮のものであるとはっきりとわかる。

前場はさらさらと過ぎる。
平等院に僧をともなう老人は、
僧の問いに答えて、
過ぎし日の「宮戦」について語り始める。
「扇の芝」にまつわる話のあと、老人は真の名を
僧に告げ、ふっと草むらに消えてしまう。

ここまではすべて、後場への布石である。
小鼓の吉坂さん、大鼓の山本さん、両人とも
やや控えめな音である。
でも、渋く抑制の効いた小鼓と、風を感じさせる
大鼓のかけ声は、うっとりするほどよい気分を
舞台の上からふりまき続ける。

アイの簡明な語りが終わって
後シテが登場する。
姿を見せるまでのお囃子がすごい。
大小ふたりの掛け合いが延々と続く。
この迫力は戦の前の楽の音だからか。

装束は黒と金が基調である。  
大口は黒地に金で 三つ巴の紋様が浮き出し、
法被(鎧)は同じく黒に金の花模様。
下の小袖は、波の間に車輪が回る様が描かれている。

蔓桶に腰をかけ、激しく拍子を踏みながら、
過ぎし戦のことを語る男。
頭巾の下の面は、顔色こそ亡霊の常として
青ざめてはいるものの、
実に若々しく華やかでさえある。
彼の一番得意であった時代、
「鵺」を退治し、恩賞を賜ったとき、
当意即妙に歌を詠んで喝采を浴びたその時の
姿そのままに僧の前に現れたかのようだ。

颯爽と語る、戦のありさま。
なのに無情にも、平家の軍勢が川を渡ったときに
この勝負の行方は決まった。

それまでと打って変わって沈痛な声で、
辞世の歌を頼政は詠んだ。
「花咲くこともなかりしに」とつぶやく声は
力をこめて采配を握っていた先ほどとは違っていた。
心に沁みとおる悲痛な声だった。

頼政のまことの姿と出会ったこの一瞬、
わたしは
自害して果てた彼の無念さをおもった。
幸せだった若い時の姿を面影に留めた老い人は
清々しい香気を残して去った。


「海士」の、前シテの水衣は、ざっくりとした織り方で
しっとりとした藍色のものだった。
白と茶の地味な小袖の上にふわっと羽織って、
年かさな女の面によく似合っていた。
蔓帯も幅ひろだが白地なので地味である。

わだつみの宮殿に住まいする龍女となった海士女。
彼女の気にかかるのは我が子の行く末である。
淡海公(藤原不比等)が自分と契ったのは、
「明珠」を取らせるためでは?と
いう思いが彼女の心をよぎったかも、知れない。

生前のままの姿で浜を歩く。
鎌と海松とを両の手にもちながら。

玉の段の迫力は凄かった。
我が子に自分のことを
余さず知らせようと言う強い気持ちがあった。
珠を持ち帰るのに、「乳の下をかききって隠し」
瀕死の状態で帰り着く。
命と引き換えに、「跡継ぎ」という
子供の身分は保障されたのだった。

聞いた子供は懇ろに供養をする。

後シテは、頭に龍をつけ、長い黒髪をひいて登場する。
青ざめた顔、ひそめられた眉、
人間離れした面である。
白地に鱗紋の小袖を着、
大口は朱色に金で模様が描かれ、
それでも「装束」が派手とは見えない。

にじみでる華やかさはシテの中からのものだ。
はっきりとわかりやすい語りが、話の面白さを支える。
頭上の龍が少しも揺れない安定した体勢。
しかし表情はこころをそのままに
横顔は穏やかな女人だが
正面からみると一転して
険しい顔になる揺れを見せる。

子供に供養の礼を言う。
礼を言い終えると彼女は再び海に帰る。
天ではなく、浄土でもなく
海底の竜宮へ帰って行く。
成仏した龍女は、このたびは
長年の煩いから解き放たれて、
親しい海を選んだのだ。

味方さんのシテには慈愛深い母、というだけではなく
この世とあの世を行き来する
異界のものの凄みがあった。
早舞は、ただ観ているだけで圧倒される。
どの型をとっても、過ぎたところも
足りないところも「無い」と思わせる素晴らしさ。

じいっと座っている子方の和ちゃんが
辛抱しているさまが健気だったし、
大鼓の河村さん、力をこめて打つ音色が
小気味よく切れがあって快かった。

二番観ても心配したほど疲れは感じなかった。
体はほんとに正直である。

  片山定期能七月公演 
平成十八年七月二十二日(土)京都観世会館

能「頼政」
前シテ・里の老人、後シテ・源頼政の霊
:片山 清司
ワキ・旅僧:福王 和幸 
アイ・里の者:山口 耕道

笛:帆足 正規 小鼓:吉阪 一郎
大鼓:山本 哲也 後見:武田 欣司、片山 伸吾
地頭:片山九郎右衛門さん休演のため不明
   (どなたなのかわかりませんでした)

能「海士」~懐中之舞
前シテ・海士、後シテ・龍女:味方 玄
子方・藤原房前:味方 和 ワキ・従者:小林 努
アイ・海人:茂山 良暢
笛:光田 洋一 小鼓:曽和 尚靖 大鼓:河村 大
太鼓:前川 光範
後見:片山 慶次郎、小林 慶三 地頭:武田 邦弘

※「龍女の成仏」については様々な論があり
とても私には読みこなせない。「海士」のシテに
ついて書いているのは、私の、まったく
個人的な感想に過ぎないことを書き添えておく。

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2006.07.24

しっかりした敵討ち・「望月」・TTR能

天気予報は曇り時々晴れ所により雨、、
なんでもありで気温は高い。
タオルハンカチを離せない蒸し暑さ。
夕方の梅田はこれでもか、というくらいに人が多く
HEP近くでは若い人がほとんどで、
圧倒されつつ道路のはじっこを歩く。

座席指定を取っていたから時間は充分あったが、
はやく人混みから出たかった。
やっと着いた能楽会館も人がいっぱいで
お能の公演というよりも、コンサートなのかな
と思われるほど客の層が若い。

「望月」は去年一度だけ観た。
そのときが脇正面だったので、
似た角度から観たいとおもって中正面に座る。

エアコンがごおごおと音を立てている。
冷気が肩と首にじかに当たって痛い。
これで最後まで保つだろうかと、やや不安だった。
会館備え付けの毛布を借りて万全の体勢を整える。

最初に解説、お能が始まったのは午後八時で、
少し遅めだが、仕事帰りの人が充分間に合うように
というこの配慮はすてきだ。
わたし個人は帰りが遅くなるのは困るのだが、
映画や演劇を観る感覚で能楽堂へ、というとなのだろう。

解説は河村晴道さん。
このかたのシテは未だ拝見していないが、
すらり姿よく、ふわっとした、よい感じの方だ。
声も話し方も落ち着いていて好もしい。
街の喧噪とは正反対の静けさ、
「さあ、お能の時間だ」という気持ちになる。

囃子方が揚げ幕から登場。
TTRのお二人の舞台を観るのが久しぶりだ。
笛の竹市さん、太鼓の前川さん、
みなさん若々しい。
舞台がぱあっと華やぐ感がして始まる前からわくわくする。

「望月」は敵討ちの物語で、シテは直面で演じられる。
そのシテをなさるのは味方玄さん。
いまは宿屋の亭主だが元は武士、という役どころ。
藍色が基調の装束に、色白の貌が映える。
声もよく語りも綺麗で力がこもっている。

そこへ登場するツレと子方。
主の昔の妻と子である。
痩せた肩に敵を追う暮らしに疲れた感じがぴたりのツレ、
装束も紅無でまことに地味である。
子方は愛らしく堂々としている。
赤松裕一くんでお父上が今日の後見だ。
ふっくらした下ぶくれの顔、けっしてどなってはいないのに
声がとてもよくとおる。
これからが楽しみな方だ。

主と母子が再会し、寝所へ引き取った後、
なんと敵の「望月」(欣哉さん)主従が宿を求めて
訪いを入れてくる。
宝生欣哉さんと茂山千三郎さんが演じる。
千三郎さんのアイ狂言は久しぶりに観る。
ドラマティックなお能なので、彼の熱っぽい語りや
剽軽さがよく似合う。
欣哉さんはすっきりしたたたずまいと、
やや嗄れた地声が静かななかに権威があり、
とても感じがいい。

謡、鞨鼓、獅子舞 と続くものづくしが見もの、と
はじめの解説で聞いていたが、そのとおりだった。

謡は盲目ごぜのツレがする。
やつれた感じがした前シテが、
水衣をつけて盲目のふりをし、子方に手を引かれて
登場する。杖を持つツレは、さらに影薄くみえる。

と、ここまで観てきて、
あまりの寒さに耐えられず、席を立ってしまった。
冷気が肩を直撃する席だったのだ。
最後方まで下がると冷気が来ないのがわかり
再入場して続きをみる。
そのほんのちょっとした間に、
子方の鞨鼓は始まってしまっていた。
赤松くんのハコビは、堂々として美しかった。
舞がみられなかったが、まずはよかった。

そして、扇を二本使って獅子の顔とし、
赤い頭と面布をつけてシテが登場する。
中入り後の装束は意外に地味で、
銀色が基調の小袖姿だった。
頭の赤が銀に映えて華やかである。

囃子に合わせて獅子が舞う。
同じ型を繰り返しているだけなのに、
ひとつづつの動作が無駄なく美しく、
乱れなく完璧な舞である。

突然、太刀が抜け落ちた。
音を立てて転がるのを、まったく気にせず舞うシテ。
そして、微動だにしない子方。
感心して心の中でため息をついた。
するすると後見が、舞に障らぬように進み出て
なんなく太刀を拾ってまた後ろに下がる。
まるで計算されているように綺麗な仕草だ。

劇はいよいよ大詰めで、
酒を過ごしてうつらうつら寝ている望月は、
黒い笠をワキ座に置いて、すいと切戸口に消える。
笠が敵の形代とはなんとも粋なことだ。

シテは小袖をひきかずいてその中で頭や面当てを取る。
ぱっと一度小袖を外した彼に、
悠々と後見が太刀を履かせる。
立ち上がって小袖を放ったときはもう、
仇討ちのためのはちまき姿だった。
きりりと流れるような身のこなしで
子方を介添えして仇を討つ。
笠に向かって詰め寄るふたり、
優しく、子方の背を押すシテ。
それは見事な舞姿。

本懐を遂げたふたりは橋がかりを帰る。
満足そうな子の顔。
良かったというシテの顔。
表情が無いのに、気持ちが伝わってくる不思議。
「顔」なのに「面」になっている直面の効果。
うねるようなお囃子と、力がしっかりこもっている地謡、
息を詰めてみている見所、
相まって築かれた豊かな舞台が終わった。


盛大な拍手が起こる。
お芝居の後のカーテンコールのようだ。
いや、面白かった。美しかった。
良いものを観て幸せだった。

でも

わたし個人は、拍手がないほうがいい。
舞台で刻まれる時間からゆっくり現実に帰れるほうがいい。
華麗な夢が終わった後に、
ゆっくりかみしめる時間が、好きだからだ。

ただそれもひとそれぞれ。

TTR能プロジェクト2006公演
 7月14日(金) 大阪能楽会館  PM7:30
解説 河村 晴道

能【望月】
シテ 小沢刑部友房  味方 玄
子方 荘司友治の子  赤松 裕一
ツレ    〃   妻  寺澤 幸佑
ワキ 望月秋長     宝生 欣哉
アイ その下人     茂山 千三郎

後見 片山 九郎右衛門  赤松 禎英

笛   竹市 学

小鼓  成田 達志  大鼓  山本 哲也

太鼓  前川 光範
地頭  片山 清司

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エクスプローラー賛歌(劇団新感線・「メタル・マクベス」)

「メタル・マクベス」を見たいと思ったのは、
橋本じゅんさんを見たかったからが一番の理由。
また、原作がシェークスピアなので興味があった。
官藤さんの脚本はいまの若い人に大人気とか。
「笑い」がやや苦手なわたしには
ちょっと不安な材料だったが、そこは飛び越えて。

主役は内野聖陽さん。
「エースをねらえ」の宗方コーチ役のひと。
変人の博士役でも見たことがある。
舞台ではどうなんだろう。
マクベス夫人役の松たか子さんは、
高麗屋ファンのわたしとしては、嬉しい配役である。

映画「阿修羅城の瞳」を見て以来、
新感線の舞台にはまり、
DVDで以前の舞台に遡ってみている。
DVDは何回みても、ビデオのように劣化しないからいい。
お気に入りの場面を何度繰り返して見ることか。
(テレビ本体が疲れてきているようだ…)

劇場で新感線の舞台を見るのはやっと二度目だ。
会場は厚生年金会館大ホールで、2千人以上入る大劇場。
正面にどんとある大画面、そこに、様々なものが映る。
バンドの演奏だったり、魔女のナベの中だったり。
筋や演技とリンクして画面が変わる。
二階からもよく見える。
さらに端っこの席用にテレビが置いてあって、
見えにくい角度の役者の演技や映像が流れる。
サービス満点だ。

時代設定は近未来、原作とはまったく違う。。
廃墟になったどこかの国(多分日本)
どこのなく「北斗の拳」に似かよった衣装。
翻るマントって、はとても魅力的だ。
新感線はよく衣装にマントや長い袖を使う。

みえを切るときにひらりとまんとが揺れると、
たとえ顔がみえなくても、はっとする。
舞台への集中度がよりたかまる。

始まりは、トレーナーを着た「魔女」たち。
男性(右近さん)もまじっているから、魔「女」ではないけど
パロディを交えながら快活なテンポで歌と台詞が飛び交う。
これはマクベスの始めの場面らしい。
そこにバイクを押して登場するのが内野聖陽さんとじゅんさんの
ふたり。たいそう疲れ切っている。
長髪、やせ型、セクシーな内野さんと
小太りモヒカンのじゅんさんの
畳み込むようなしゃべくり台詞と(ギャグありボケありツッコミあり)
駆け回る躍動感で、マクベスであってマクベスでない世界が
幕を開ける。

名前はみんなギターのブランド名で、とても覚えにくいが
ヘビメタバンド、「メタルマクベス」ではマクベスの登場人物に
役者さんの姓を繋いであって、これはたいそうありがたい。
原作と違っている部分だけきをつけて記憶すればよいから。

あらかじめ友人がパンフを送ってくれて、たいそう助かった。
やたらに豪華で重く、高い。
これを持って地下鉄の階段を
駆け下りられはしない、と思った。
観客の中には年寄りも居ることを、考えてほしいものだ。

じゅんさんの声はすぐわかった。
若くてはりがあって男前な声だ。
DVDで繰り返し、登場するシーンを抜き出して見ていた
甲斐があったようで。
いわゆる二枚目タイプでないところが、とても気に入っている。
持ち味は体を張ったギャグ…めったやたらにおかしい。
それだけの人ではない証拠は「吉原御免状」で知った。
(目を伏せて、弟の不始末を謝る兄の姿、静かな声)

バンド「メタルマクベス」では、陽気にタンバリンたたいて
歌う金髪のあんちゃん役。
苦労知らずの底抜けなにぎやかさが愛らしく、
屈折したマクベス内野とは対照的だ。
モヒカン頭さえ、「BEAUTIFUL!」にみえる。

マクベスの部分はほぼ原作どおりに進む。
ダンカン王が上條恒彦さん、息子がなんと森山未來くん。
マクダフは北村有起哉さん、その妻が高田聖子さん。
新感線のメンバーと客演のメンバーが
上手にミックスされている。
マクベス夫人の松たか子さんはデビュー当時の
初々しかったころから気に入っていたが、
もう堂々たる女優ぶりだった。
夫をそそのかす場面は強欲なまでのきつさ、
狂気におちいる直前は哀れではかない。
声に感情が乗っていて素晴らしかった、もちろん歌もすてきだ。
内野さんも、身のこなしの軽やかさや、
ピエロめいた台詞が出色で、声が聞きやすく明快な台詞回しで
色気のある主人公を造形している。
(いままでその魅力で気づかずごめんね、と言いたい)

時々、バンド「メタルマクベス」のシーンがさしはさまれる。
役の関係がほぼ同じになっているが、
こちらは歌を聞かせるのが主のようだ。
時代も「近過去」の80年代の設定。
がんがんと、たぶんヘビメタなんだろうな、と
思われる音楽が鳴り響く。かなりやかましい。
リードボーカル役の内野さん、歌はうまいけれど
やや余裕がない感じがする。歌っている間は
色気が“減る”のだ。
バラードのほうがお似合いだ。
軽薄でいい気な「マクベス」が、
人気が無くなり墜ちてしまう場面は
見ているこちらも胸が詰まる。
(※バンクォー橋本に対するいわれのない嫉妬にかられて、
彼の殺人を教唆し成功するが…
すでに彼の才能は涸れ果てていた。
乞食のような風体で、なおもうわごとのように、
「すごい音楽をやる」と繰り返すマクベス内野と、
彼を支えるのに疲れ果てた妻ローズ=メタルのときの
マクベス夫人の名である。)

それがそのまま、魔女の予言を信じて
裏切られたマクベスと、夫人の
哀しい運命とリンクするのが実にすてきだった。
4時間近いこの劇、
ちょっと疲れたときもあったが、
「歌入り芝居」には慣れているし、端役にも
新感線「らしさ」が見える配役で、
次々と趣向がこらしてあって楽しい。

ワキ役や大道具、照明などを見るのが大好きだ。
この大がかりな舞台はまるでロックコンサートのように、
場面ごとに赤から青、また赤に照明が変わる。

一度の観劇では細部まで見るのは不可能だ。
それほど待たなくても、
特典付きのDVDが発売されるだろうし、
その時には、座布団敷いてペット茶片手に
こまごまと役者さんの表情や、殺陣の華麗さなどなど
繰り返し、また返して楽しみたい。

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2006.07.02

あらはれわたる…「頼政」

「里の人がこちらに向かって…」とつぶやく閑さんに答えるように
揚がった幕のはるかかなたから、静かに声がかかる。
しばらく姿が見えなかったが、あらわれたのは老人だった。
すらりとしていて、ハコビはすべるようにうつくしい。
この老翁が「ひと」ではないことが
橋がかりからすでに明らかである。

ワキとの問答するときに、ふたりの間には
糸が張られているかのような緊張感があった。
言葉だけのやりとりではない何かが。

名所を問うワキ。
喜撰法師の旧跡、槇の島、恵心院。
さえぎるものがなにもないむかし、
このあたりはいちめんの水だったろう。
ところどころの島以外は。
なにしろ今でも、宇治橋から、西方はるかに
愛宕山が見えるのである。
それほどに見晴らしのよい、このあたり。

老人はふと話をやめて朝日山をみやり、
「月が出ましたね。“朝日”山から」と言う。
平等院を知っているかを尋ね、「否」という僧を連れて
門を入る。
すぐのところに扇形に残された芝の跡を示し
ワキに向かって
「これは源三位頼政の自害したところなのです」と答えるのだ。

彼の名なら僧も知っていた。
数珠をつまぐって手を合わせ、じっくりと僧は弔いをする。
その時舞台の中心はワキの僧で、
ずいと体が大きくなったかのようである。

その姿を見て感じ入り、
ついに老人は名を名乗る。
「旅人の夢にでも姿をみせようと思っておりましたよ。
遠くからいらっしゃったあなた、実はわたしこそ頼政なのです。」と
そしてただちに、彼の姿は消え失せる。

アイの里人は山本則重さん。
若々しくて明るく小気味よい語りだ。
はきはきと頼政とその戦を語る。


平等院を建てたのは源融…「融」のシテである。
極楽浄土もかくやというほど豪奢な別荘は
藤原頼通の代に寺になった。
ほんのりと優しいお顔の阿弥陀さまは今でも
天女にかこまれてお堂におわします。

僧は池からほど近い扇の芝跡で弔いながら夜を待っていた。
よほどの時が経った後に
後シテがきらびやかな装束で登場する。
頭巾も金色なのだろうかきらきら輝いていて、法被も同色。

肩脱ぎした下から見える小袖は黒地に
金で模様が描かれている。
胸元と袖に白い花がある。
あれはなんの花だろう。
武人でありながらも、歌人だった彼が
最後に臨んでの風流だろうか。
袴も黒と金の色で、ギザギザな模様が波にも見立てられそう。
そして扇は修羅扇(砕ける波と紅い日輪が鮮やかだ)
面は青ずんだような色で、華やかな装束に隈取られた
面輪は異様である。
不気味さは彼が幽霊である何よりの証拠。

ただ、このいでたちの頼政は老人とは見えない。

なくなったときは高齢のはずだが、
しっかりした声音も、動きも年寄りのものではない。
言うなれば武人の「精霊」のようだ。
床几にかけたまま
扇をかざし拍子を踏み、宇治川の宮戦の悲劇を
簡潔に語って余すところがない。
凄い迫力でありつつも、美しさは失われない。
僧の視線と頼政面は、時々ぴたりと合わさる。

頼政は、後白河法皇の皇子高倉の宮を擁して兵を挙げた、と言われる。
(持ちかけたのはどちらだったろう、彼か、宮か)
寄力するものも少なく、平氏に追われ追われてこの宇治の里へ。
川を頼みに陣を敷き、しばしの時をかせいだ。
だが敵に川を押し渡られ、子供たちも討ち死にした。

それをしっかと見たあげくに
彼は自害をするのだった。

「いまはこれまで」とシテは芝に座り、
扇を静かに前に置く。
そして辞世の歌を詠む。
「うもれぎのはなさくこともなかりしに
 みのなるはては あはれなりけり」
自害の型をしたのちに、そっと扇を置き直す。
法被の袖は短めだから手がよくみえる。
その手は今回は美しいが哀しい手だった。

「弔ってください」と彼は僧に語りかける。
頼むに足ると思えばこそ、彼は僧の夢に現れたのだ。
聞き届けられたと確信して、彼の姿は
芝のあたりの草のむこうにすうっと
見えなくなってしまった。

残った僧が夢と思ったか、ほんとうに
武者と語り合ったと思ったか、それはお能では語られない。

この世の極楽とうたわれたお寺で自害した彼の皮肉。
「三位」の位は平家全盛の中において
お飾りといっても源氏の棟梁である彼に与えられた高い位。
娘たちは高貴な方々に仕える女房であり、
名高い歌人でもある。
また彼も、述懐の歌によって位を得たと言われるほどの
歌詠みだった。
いったい、何が不足だったのだろう。
自分の命の先もすぐそこという年になって、
かなわぬとわかっている戦を始めてしまったとは。

その訳は彼自身にもわからなかったのではないだろうか。
いつか自分のありのままを理解して
弔ってくれるひとが現れてくれるまで、
心残りを抱えたまま、
橋の守り人として待っていたのだろうか。

み寺の外はすぐ宇治川。
彼が消えていったあたりには、
濃い朝霧が流れていただろうか。

喜多流六月自主公演能
 平成18年6月25日(日)11時45分始
         喜多六平太記念能楽堂
【能】「頼政」
前シテ・老人
後シテ・頼政の霊   友枝 昭世
ワキ・旅僧      宝生 閑
アイ・宇治の里人   山本 則重

笛:藤田 大五郎  小鼓:北村 治 大鼓:柿原 崇志 
後見:佐々木 宗生 内田 安信
地頭:粟谷 菊生
※ 充分に枯れたお囃子のあじわいは、よかった。
とくに私の好きな楽器、大鼓の柿原さんの音色。
きりりとしていてしかも派手ではない、その
渋さがお能をひきたてていたとおもう。 

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