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2006.10.31

秋の夜の舞囃子…TTR公演(於細野ビルヂング)

会場の細野ビル「ヂ」ングは
昭和11年に建ったとのこと。
石作り風の外観からして古い。
地下鉄西長堀駅、
心斎橋からここまで西に来ると、
道は広く、ビルはまばらである。

しかし近くに
喫茶店もレストランもない。
あるのはコンビニだけだ。
とにかく地理が分からず不安なので
早く着きすぎ、開演まで二階の個展会場で
絵を見ながら時間待ちする。
女性を描いたイラスト風の絵は力強い。

一階のカウンターの後ろのスペースが
きょうのライブの会場である。
大きな円い柱が、丁度角のあたりに
どかんと立っていて
客席は正面と地裏側の二方向しかない。

三列ほどの椅子席と
その前にこぶりの座布団を置いた席と二通りである。
早く来たおかげだ。
椅子のほうが楽なのだけれど、
ままよ、一時間半なら保つだろう、と
座布団席の最前列に座る。


舞台の部分には
赤い毛氈(じゅうたんかな)が敷かれている。
ほんとに近いので、
顔を上げるのが恥ずかしくて俯いていると
演者さんの袴と足袋が目の前を過ぎてゆく。

この日の番組は舞囃子がふたつと
半能がひとつ。それと素囃子だ。
TTRと、いつものお囃子のメンバーに
シテ方が三人加わって皆が登場されると狭いくらい。
客席も満員で立っている人も居る。

このビルの音響はどうだろう。
古いからあまりよく響かないんじゃないかしら、
始まる前はすこし心配だったが、
お囃子が始まると、そんな思いは吹っ飛んだ。

力強い大小の鼓、
美しくうねる笛の音。
熱っぽい太鼓がリズムを刻む。
きょうは休憩までノンストップで、解説がない。
プログラムをはじめにちゃんと
読んでおかなかったので
そうっと音を立てないようにページを広げて
演目を確かめる。

「高砂」を舞われたのは
浦田保親さんで、はやくて切れがよかった。
「神楽」は何度か聞いたので、
気持ちよくお囃子の流れにノルことができた。

居囃子の「砧」はまだきちんと見たことのない
演目なので、話が分かりづらかった。
そうなると正座の膝に
床の固さが伝わってきてじりじりと痛み出す。

休憩のときは立ち上がって
足や腰をストレッチして後半に備える。

さて後半は
杉浦豊彦さんがしっとりと「野宮」をなさった。
紋付き袴姿の舞囃子、
姿勢の美しさが際だつ。
仕舞もよいが、お囃子の入る舞囃子は
もっと楽しい。

最後は浦田さん、寺澤さんお二人の「石橋」。
お能では、華やかな牡丹の花で飾られた
一畳台に、登ったり降り立ったりする
獅子の生き生きした舞が
めでたい感じがするのだが、
舞囃子でもそのめでたさ、はつらつさに
変わりはなかった。

親獅子と子獅子が、ぶつかりそうになるほど
狭い空間で、さわやかに舞遊ぶさま、
お囃子の盛り上がりも最高だった。

こういうときにはいくら拍手しても
しすぎることはないと思える。
帰りにはメンバーのお見送りまであって、
毎回楽しみなTTRの催し、
たいてい平日にあるのでとても嬉しい。
「次は十二月」と案内があった。
予定が重ならないようにいまから祈っている。

TTRライブ能in細野ビルヂング
 平成18年10月13日(金)
    午後7時30分開演
プログラム
☆素囃子 「五段次第」
☆連吟  「高砂…初同」
☆舞囃子 「高砂・八段之舞」
☆素囃子 「神楽」
☆居囃子 「砧」
----------休憩-----------
★素囃子 「揉み出し」
★舞囃子 「野宮」
★半能  「石橋」

観世流シテ方
杉浦豊彦 浦田保親 寺澤幸佑

藤田流笛方  竹市 学
金春流太鼓方 上田慎也

TTR能プロジェクト
幸流小鼓方  成田達志
大倉流大鼓方 山本哲也

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2006.10.25

江戸の夜

「東京地下鉄全図」を片手に、
美術館のすぐ隣にあるエレベーターで地下に降りる。
私も連れも、「尋ねること」が苦手ではないので、
あちらでもこちらでも、
聞いて聞いて聞きまくって地下鉄で移動する。

平日のホームは静かで、
ゆっくり座れた、と思ったらたった二駅。
「御成門」で下車。

宿泊予定は「パークタワーホテル」。
写真では高くそびえていた建物が、見あたらない。
東京にはビルばかり、ということを忘れていた。

後で周辺の地図を調べてみると、
「芝公園」の中にホテルがあるのだ。
降りた駅のちょうど対角線あたりなので木々に隠れて
見えなかったのだ。

ビルだらけの街の昼下がりには歩いている人も少ない。
「プリンスホテル」に着いたと思ったら
そこじゃなく「タワーホテル」だし。
小一時間歩いて
増上寺の門前にたどりつき、
大目印の東京タワーを見た。
高級シティホテルに泊まるのは、初めてだ。
自宅以外の場所で寝ると確実に眠れないも
旅に縁がなかった原因のひとつである。

ぴかぴかの、近代的なホテル、
エレベーターの床は素通しで、
フロント受付の人たちはとてもセンスが良くみえる。
高層階の特別ツインに案内される。
どうやら先着○○名の枠に入れたらしい。

お台場側とタワー側、どちらがよろしいか、と聞かれて
連れは迷わず「○○テレビのほう」と叫ぶ。
レインボーブリッジ、六本木ヒルズが遠景で
真下には芝公園と増上寺。
実に華麗な眺めである。
夜はライトアップされるのでもっと綺麗だそう。

全面ガラス戸でベランダへも出られる。
戸を開けると高層なので風が強い。
この部屋の広さって、うちの家が
すっぽりはいるなあ、と苦笑する。

「まだ明るいし観光しよ」と
カメラかかえて二人で飛び出す。
「古墳の跡をさがそ」彼女はそれが目的なのだ。
昔々このあたりが海との境だったころ、
「芝円山古墳」が作られたのだそうだ。

ホテルの玄関から一歩出れば、そこが公園。
午前中まで降り続いた雨で、
土はぐじゅっと水気を帯び、スニーカーが沈む。
あまりひとけのない道を、滑らないように登る。
自然石の石段は濡れていて
段差が不規則で、あぶない。

このまるっこさと小ささはもしかして、と
反対側に降りてみると
立て札さえも地味に、古墳は
小さな開口部を見せていた。
夕ぐれと湿気で、冷え冷えしている。

歩道へ出るとすぐそこに増上寺、
立派で大きな大きなお寺である。
赤の色が関西とは違う。
夕かげのなかで黒っぽくさえみえる。
門をくぐると、まだ観光の人が歩いている。

石段を下りていくと鐘が鳴る。
時計を見ると六時である。
音は聞こえるが、どこに鐘楼があるのかがわからない。
木々の隙間からちらっと撞木が見えたので
急いで下りて見たが
すでに鐘はつき終えた後だった。

暗くなってきた大通りを歩いて行くと、
会社があり、焼鳥屋があり、
ドトールコーヒーがある。
ごく普通の街並みだった。

夕食はかんたんに外食ですませ、
33階の展望ラウンジにお茶を飲もうと出かける。
落ち着いた暗めの照明で、
すぐ目の前にライトアップされた東京タワーが。
まるでテレビドラマのようだ。

雰囲気だけ、とアルコール抜きのカクテルを
啜りながら、黙ってタワーを見る。
カクテルの名前はシンデレラ、
魔法は今夜限り、というみたい。

ぴかぴかと綺麗に鉄骨が光り、
赤と白とに染め分けられたタワーの中を
おもちゃみたいに小さいエレベーターが動く。

なんといってもエグゼティブルーム。
お風呂にはジャクジーがついているし、
シャワー室はガラス張り。
液晶テレビは横長の大画面。
ガウンなんて、「ぜったい肩凝る」と
いいたいくらい重くてサイズたっぷりだ。

窓から六本木ヒルズが見える。
灯りが詰まった、太いろうそくのようなビルだった。

わたしたちは、ふるいものを探しにきたのだけれど、
レインボーブリッジや観覧車、ヒルズの光の濃さは、
「今」の流行はここだと、主張しているようだった。

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2006.10.14

まことの蛇…「道成寺」

あまりにも強い思いは
ついには純粋に「鬼」になるのだろうか。

上野雄三さんの「道成寺」で
真砂の長者の娘は、ついに人の心を失い
ほんとうに蛇になってしまった。

橋がかりに無言で登場したのは
愛らしく美しい少女だったが、
赤いうろこ模様の鬘帯がどことなく不吉だった。
可憐にみえた横顔が
能力をいいくるめて、首尾良く女人禁制の「庭」に
入り込んだとき
すでに半ばは大蛇だったのではなかろうか。
烏帽子をかぶり、あたりを伺いつつ石段を登るさまは
まるで蛇がのたうつようで
拍子は尾が大地を叩くように激しかった。

登っても登ってもまだ鐘に行きつかぬかと、
面を切って見据えるまなこはもう、人のものではなく
あごを突き出すように、傲然と登りつめたとき
感情を失った面に不気味な笑みが浮かぶ。


その声には驚かされた。
若い女の声からはじまって、けたたましく不気味な声に変わる。
まるで、術がほころびてその間からのぞく化性のものの
叫びのようにさえ。

花尽くしの豪華な小袖と、
黒地にくっきりした大柄な模様の下の衣である。
歩みがとてもするどく激しい。

みどころの「乱拍子」で
小鼓の音と同時に、ぐるりと向きを変えるとき
うねるような肢体がすっかり大蛇だ。

鐘が落ちると、それまでの妖しさがふつっと一瞬消える。
能力たちの軽妙な掛け合いと、
住職が語る昔のはなしを聞きながら、
鐘の中からどんなにすごい「蛇」がでてくるのだろう、と
ぼんやり考えていた。

いままで見た雄三さんのお能は
はかなくけなげなシテが多かった。
つい先月の「葵上」で、
先のみえない恋をもてあまして、生霊になった
かなしい女としてみたばかりだ。

住職の昔語りは聞き方によっては
女にはひどく辛いはなしだ。
父はほんの「戯れ言」(冗談)のつもりだとしても、
「かのひとがわが夫」と思いこまされてしまった少女が
裏切られたと知ったときの
落胆と怒りはすさまじいものだったろう。


長いこと信じていた気持ちが純粋だったから、
その瞬間にひとの気持ちはばっさり燃え尽きてしまい、
鐘に巻き付いて男を焼き殺した後、
女は真に蛇となった。

いままで現れなかったのは、「鐘」がなかったからである。
道成寺の「鐘」は憎い男の裏切りの象徴だった。
それを焼いてなくしたことが、
蛇になった女にとっては快いことだった。

寺に鐘はあってはならない。
水中深く眠りについても、いつもこの寺の
気配を探っていたのである。

そして今、鐘を吊らせるまいとして
女は鐘に入りこみ、
憎しみで鐘を赤く熱くする。
誰も近寄れないほどに。

賢い住職は弟子とともに、鐘から「女」を追い出した。

と、そこに居たのは
激しい怒りの相好で、起き上がった赤頭の蛇。
鱗さえも血の色である。
さっきまで着ていた、白い鱗の模様の衣を、
ずるりと体に巻き付けて、
渾身の力で僧たちに打ちかかる。

経文が響くとさすがに、がっくりと頭を振り倒れ込む。
しかしまたしゅうねく起き上がり、
鎌首をもちあげるように、僧たちを睨め据える。
呪を避けようとして、柱に巻き付き、
力足らずにどうと崩れ落ちる。
少しづつ追われて、
鐘からはとうに隔たってしまった。

突然、くるりと僧たちに背を向けて、
蛇は川に飛び込んだ。
水音は激しく、
薄暗くなった水面を泳ぐ姿は
不気味な赤い一本のひもだった。

「作りし罪も消えぬべき」と
いっとうはじめに少女は謡った。
純なこころがよみがえったように。

だが、もはや蛇の知恵しかもたないから、
鐘がある限りはまた、寺に戻ってくるだろう。
男に欺かれた女の業はそれほどに
激しく、辛く、永い。

いままでに見た「道成寺」の後シテの面は
やや青白い“般若”だった。
この日のそれはやや茶がかかって黒っぽく、
かっと開いた口が、
噛みつきそうな恐ろしさだった。
“泥蛇”という面であると聞いた。
だから、蛇に見えたのだろう。

鬘帯と同じ赤いうろこの模様の上衣が
赤い髪とようつりあっていた。
鐘が揺れながらあがったときに、
白い衣を被っていた蛇。
はらりと脱ぎ捨てたときの白から赤への変化が
流れる血を思わせた。

鼓も笛も力がこもり、太鼓の音が高まる。
ぎっしり満員での見所が息を詰める中で、
シテは最後は膝行して揚げ幕に飛び込んだ。


仕舞、舞囃子、能二番、すっかり堪能したが、
鑑賞にも、じゅうぶんな体力が必要なことを
また思い知らされた日でもあった。

「上野朝太郎 二十三回忌 追善
     第二十一回 正陽会」
平成十八年十月国治(月・祝)午後一時開演
   於 大槻能楽堂
番組
(連吟・海士  仕舞・舎利  能「安宅」
 仕舞・七番有り)
【狂言】泣尼
 僧:善竹忠一郎 尼:善竹忠重 檀家:善竹忠亮
【舞囃子】「松浦作用姫」
 観世清和   
 笛:左鴻泰弘 小鼓:清水晧祐 大鼓:山本哲也
【能】「道成寺」赤頭
 シテ:上野雄三 ワキ:福王茂十郎
 ワキツレ:福王知登、喜多雅人
 笛:赤井啓三 小鼓:大倉源次郎
 大鼓:上野義雄 太鼓:三島元太郎
 アイ:茂山七五三、茂山宗彦
 後見:野村四郎、小寺一郎、赤松禎英
 鐘後見:大槻文蔵 ほか
 狂言鐘後見:茂山正邦、松本薫 ほか
 地頭:藤井完治

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江戸の秋

午前中は雨の予報、
そのとおりで、新幹線から見える景色はくすんで
ちらちらと小雨がちだった。

急に話がまとまって、
「お得」な旅へ知人と出てみた。
目的地が東京だから、
よくよく知っているつもりだったが、
広いだけに焦点が絞りにくい。
一泊二日の最初の空き時間、
ホテルにチェックイン前の僅かな時間は
「風神雷神図展」鑑賞とあいなった。

天気が悪くても室内だから大丈夫、
また東京駅から至近距離。
ビルの高層階にある出光美術館は、
思った通り、こじんまりとしているが、
優雅でお洒落なところだった。

館内にお茶室があるんだもんなあ。
驚いた。
大きなガラス窓の向こうはお濠である。
東京には時々くるけれど、
まだ皇居を見たことはなかった。

まだ靄がかかっていて、深い緑の樹木とお濠が
しんと静まっている。
真正面に見えるのが、桜田門。
少し右手に目を向けると、ちっちゃくだけど二重橋。

これだけでも、おのぼりさんした甲斐がある、と
ゆっくりしようと席を探すが、
皆おもいは同じか、くつろいでいる人ばかりで空かない。
平日だが、人出は多く、夫婦連れや男性が目立つ。

「風塵雷神図」が三点
俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一。
屏風三点だけでも見応え充分である。
展示が工夫してあって、部分を拡大してくらべてりあり
ふつうに見ただけでは気づかない箇所に気づく工夫が。
また解説も丁寧で、感心しながら会場を回る。

それぞれ、そっくりだけど、違うんだ。
模写ですら、原画とは違う。
よく見知っている絵だけに、
しっかり腑に落ちる。
光琳のは、宗達に比べ、穏やかに見える。
抱一になるともっと二次元に明るくなる。

気を惹かれたのは鈴木其一の「襖絵」の
“風神雷神”
やはり写しには違いないのだが、
ささっ、さあーっ、と雲が速く流れていて、
地味な印象なのが、好みである。

みているとそのエネルギーに、ふるふると
気持ちがふるえるのが宗達の絵たちだ。
「扇面貼り交ぜ屏風」というものもある。

色が濃く沈んでいて迫力がある。
また、金地に秋草(萩だろうか)の屏風、
月が出ている。
この月が銀色なのだが、長い間に色褪めて
いまは黒く輝いている。
それがすごくいい。

花鳥画も掛けられていて、
気に入ったのが其一の銀の地に梅の模様の
さて、襖だったか屏風だったか。
華やかでいて主張してない梅がすてきだった。
金地の梅がもう一方にあって対なのだけど。
どちら、と言われれば迷わず銀の梅を取る。

「杜若屏風」は光琳のが、ファンタジックで
可愛い。
花が水に浮いているようで、それがどうみても
この世のものとは思われない。

本や映像で見るより、こうして目の前で
本物を見るのが何よりいい。
抱一の花鳥図は、優しくて美しくて、
絵はがきがあったので土産にもとめた。

完成したものではないが
抱一の秋草屏風の下書きを、
屏風に貼ったものがあった。
とりどりの秋の草。
彼の描く花や草は、静穏で美しい。
溢れるような熱気はやや薄いけれど
まじめな優しさを感じさせる画風が好きだ。

好きさ加減では、其一のほうが気に入ったかも
しれない。
だが、抱一に出会ったのは小説「虞美人草」の中で、
主人公のなきがらの枕元に
逆さに立てられた屏風が「抱一」だと書かれ、
その時にはじめて、彼の名を知ったのだ。

やっと、武蔵野の秋草をふんだんに描いた
この屏風にであって、
長い間の思い人にであったように嬉しかった。

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2006.10.04

六条御息所と呼ばれた女…「葵上」

“わたしはみずからのぞんで
にうわなり打ちに来たのではなかった”
雄三さんが舞う六条御息所はそう言っているようにみえた。
確か、原作にも「うつつのうちに」と
あったような気がする。

会場はいつもの大槻能楽堂である。
「葵上」一曲ではあまりにも時間が短い。
補うためにか、解説が四十分あった。
話そのものは聞きやすかったが、主に
紫式部のことだった。
できれば源氏物語の話のほうが
興味がそそられたと思う。

彼女を呼び出す照日の巫女は、小柄。
肩の辺りがさびしそうだが
声はよくとおって、はきはきとしている。

以前この曲みたときには、
やりとりがもっと長いと思っていたけれど、
ちかごろではお能の時間に
すっかりからだが馴染んだのか
あっさりと登場した彼女に驚く。

橋がかりに作り物の車が出ている。
それに乗り込む御息所は、
車の屋根の落とす影で、面は仄暗く沈んでみえた。
彼女は迷っている。
葵上に対する嫉妬もさることながら、この車に
乗っていたときの屈辱を辛い気持ちで思い出している。
しかしそれははしたないと、
恨むのはよくないと、
必死に理性をはたらかせようともしている。

なのに巫女が再び弓を鳴らして彼女を呼ぶと
ずるずると葵上のかたわらまで
引きずられていってしまうのだ。
相手の姿を見たとたん、
憎しみの気持ちが溢れて
どうしても止めることができず、

おもわず扇でうちかかる。
扇は紅い牡丹の花模様
こんな華やかな扇で人を打擲するなんて似合わない。
そのちぐはぐさがかなしい。

青女房(ツレ)は紅入りの装束を着ているから
またうら若い娘であるはずなのに、
主人よりよほど落ち着いてみえる。
小袖(葵)をうつ時もためらいがない。

盛りを過ぎた自分の顔を鏡に映せば、
悔しい思いはいやましたろう。
「東宮の后だった高貴な身分の自分が
臣下の娘風情に見替えられるとは、と。」
しかしいかに嘆こうと縋ろうと、
彼の情熱はもう戻ってこない。

自分はただの愛人。
より愛したほうが負けるのだ。
もう来るまいと、耐えようと、
決意する彼女の憂い顔がうつくしい。

装束は朝顔のような幾何学模様で
おだやかでさびしい色合いが、
彼女の雰囲気にぴったりである。

梓弓の音から解き放たれて
彼女は帰る。
重いおもいを抱いて。
辛そうな背中で帰る。

だが、生霊の彼女が帰っても、
葵の病ははかばかしくない。

大臣家が縋ったのがちかごろ名高い横川の小聖である。
山伏姿の若い聖は福王和幸さんだ。
ややふっくらした頬のあたりも貫禄がついて、
数珠の揉み方も力強く激しい。

またしても数珠揉む音色と経文に
引き出されて、
しろい鱗紋の小袖を被いた女が
そろそろと出てくる。
脱ぐと、あざやかな般若の面。
ついに彼女の恨みは鬼になりつつあるのだ。
なのにこの面は泣いているようにみえる。
目はつり上がり口は裂け、
恐ろしげでありながら、
このような自分の姿が浅ましいと、悲しんでいる。

経文は佳境を帯び、数珠の音も激しくたかまる。
それに呼ばれて橋がかりから、舞台へと。

彼女が葵を打ちたいのではない。
聖が無意識の嫉妬を彼女から引き出し、
それをとらえて祈り伏せようとするからだ。

聖との打ち合いう姿も、
躍りかかるようではない。
背丈より長い髪の毛を
手に巻き付けて、「えい」と聖を打つ。
そこだけが、凝縮された打ち返しである。

二三度押したり引いたりがあって
とたんにぽとりと、彼女は打ち杖を落とす。
もう決して来るまいと般若は帰る。

白の上衣に緋の長袴。
神の装束にもなろうかという鮮やかさなのに。
白の小袖にくっきりと
鱗の紋がけざやかである。
激しいく首をふるところ、
きっと聖を見据えるとき、

雄三さんの演じる御息所は、彼女激情も
あますところなく見せてくださる。


「館に帰って目を覚まし、
思いも寄らぬ芥子の匂いをかいだとき、
彼女の気持ちははっきり決まった。

ここから、都から
離れなければいけないと。
見れば、自分を抑えるほどの、勁さはもう
残っていないと。」

この後は「野宮」に続くのである。
嵯峨野の奥で彼女は
どんな思いで光君にまみえたのか。

いつか、雄三さんの「野宮」で
その答えにであいたい。

平成18年9月23日(土)午後二時開演
於:大槻能楽堂
能の魅力を探るシリーズ「源氏物語」

【能】葵上~古式
シテ 六条御息所の生霊  上野 雄三
ツレ 照日ノ巫女     武富 康之
ツレ 青女房       赤松 禎英
ワキ 横川小聖      福王茂十郎
ワキツレ 廷臣      是川 正彦
アイ 左大臣家の従者   善竹 忠重

         笛   野口傳之輔
        小鼓   曽和 尚靖
        大鼓   守家 由訓
        太鼓   上田  悟
        
        地頭   大槻 文蔵
        後見   上野 朝義
             泉  泰孝 

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2006.10.02

蓮葉の濁りに染まぬ…誓願寺

会館に着き、顔見知りの方に出会ったとたん、
「きょうのお能ねえ、梅若さん休演ですえ」

なんと。

土曜日が休みというのは年に一度、九月の
この日だけ。
去年も今年も日程が合って、
「秋の梅若能」に六郎さんを拝見にきたのに。

柱に一枚の紙、代わりにシテを梅若晋矢さんが
なさると書いてあった。
晋矢さんのシテのお能を観るのははじめてで
とても嬉しいが六郎さんの体調も気になる。

珍しく解説があった。
とても難しいお能だ、ということと
「誓願寺」の場所についてだった。
そう、いまある誓願寺は後世のもので、
昔はもっと北にあったと。
でもそれとお能の内容とは
あまり関係ないような気もした。

正面はとびとびにしか空いてないので、
脇正面の通路側に座る。
四、五列目のこのあたりが、
どの能楽堂に行っても、見やすくて気に入っている。

秋になったばかりで、昼間はまだ夏の気温、
冷房も強く、時々見所から出て、調子を整える。

能一番、狂言一番という短い公演に
行くことが多いので、
舞囃子あり、仕舞ありのこういう会は
楽しいけれどちょっとわたしには長い。

定刻お能が始まる。遅れはない。
六郎さんは地頭で出ていらっしゃった。
こころもちお疲れのようにみえる。
(腰が不調、でいらっしゃるらしい)

「誓願寺」は、春に喜多流で拝見しているので
おおよその流れがわかる。
かなり長く、仏教用語がたくさん出てきて
たしかに難しいとおもった。

まず福王さんの一遍上人が登場し、
いつもながらの大貫禄で脇座へ。
しばらくして揚げ幕があがってシテが姿を見せる。

なんと美しい女人だろう。
遠目には銀色に見える細かい線描の文様で
所々に深い海のような紺色が入っている。
橋がかりを歩く首筋から肩のあたりが
なんともいえずほどよく流麗である。

笛は杉市和さんである。
温かみのある音色が響いて、シテを引き立てる。
前場は、問答なのだが、仏教についてのやりとり
なので、聞こえていても理解しがたい。
ただ、突然現れた美しい女の切々とした問いと
僧の誠実な答えのやりとりが
音楽のようにこころよく耳を通り過ぎる。


アイの善竹忠亮さん、狂言座に着くときの静けさが
美しい。
退場のときも同様である。
輪郭のはっきりした話し方、声の返し方に独特の
メリハリがある。
派手ではないが、前場と後場を繋ぐ大切な役割を
この若さできちんと勤められるのが素晴らしいと思う。
「和泉式部の夢をみた」とアイと一遍は確かめ合う。
なんという奇跡だろう。
法の場(誓願寺)に集まった人々に
明るくすずやかにアイは告げる。
正真の菩薩の降臨を。

囃子方が居ずまいをただし、吹きだす笛につれて
しずしずと、菩薩の姿で後シテが現れる。
瓔珞は金色、天冠には蓮の花をいただき、
明るい生成の上衣である。
目をこらすと、地模様が浮き出ているのがみえる。
袴もほとんど同じ色目で、
舞台ははんなりと明るくなる。

立ち姿はすらりと若々しく
声はしっとりと柔らかだ。
力が入っているように感じるのは
かすかにふるえている扇をみたから。

ほんのりやわらかな後光が射しているようにみえる。
カケリで舞台をひとまわり歩むときに
冠の花がゆらりと揺れる。
背も横顔も、うつむく顔も、
やさしげでひととしか思えぬほとけさまである。

こんなに綺麗なほとけさまから
お札をもらったらさぞや嬉しかろう。

ふわりと両手をひろげると、
さっとたちのぼる風情がある。
極楽の蓮池のほとりにすわって、
花を眺めているような気分になる。

そこにお囃子が聞こえてくる。
渋い音色の小鼓と、若々しい大鼓。
笛はあくまでも美しく澄んでいる。

地謡の声が重なる。
地頭は六郎さんである。
たっぷりゆったりした節回し、
かすかに哀調を帯びた謡。

同じ地謡が
仏の加護をうたいあげるときは
声音は朗々として明るくなる。
ふわりと風に漂うような、軽やかな謡だった。
どこか六郎さんの舞に似て。

拍子を踏み終えて、菩薩は橋がかりをかえる。
天(それとも極楽)に
戻っていったかの方にまた会いたいものだ。
和泉式部の転生と聞けばなおさらに。

拍手は揚げ幕まで鳴らなかった。
舞台と見所が一体となったこういうとき
余韻を充分に楽しむ「間」ができる。

舞台はあたたかな春のひかりに
包まれているようで
「誓願寺」がどこにあったにせよ、
示現した式部の微笑みはかぎりなく優しかった。

京都秋の梅若能 平成18年9月16日(土)
 京都観世会館(午前11時開場)
【能】誓願寺
シテ 梅若晋矢
ワキ 福王茂十郎 ワキツレ 永留浩史 喜多雅人

 笛 杉 市和 小鼓 曽和博朗 大鼓 河村 大
太鼓 前川光長

アイ 善竹忠亮
地頭 梅若六郎 
後見 角当行雄 松山隆雄 赤瀬雅則

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