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2006.10.04

六条御息所と呼ばれた女…「葵上」

“わたしはみずからのぞんで
にうわなり打ちに来たのではなかった”
雄三さんが舞う六条御息所はそう言っているようにみえた。
確か、原作にも「うつつのうちに」と
あったような気がする。

会場はいつもの大槻能楽堂である。
「葵上」一曲ではあまりにも時間が短い。
補うためにか、解説が四十分あった。
話そのものは聞きやすかったが、主に
紫式部のことだった。
できれば源氏物語の話のほうが
興味がそそられたと思う。

彼女を呼び出す照日の巫女は、小柄。
肩の辺りがさびしそうだが
声はよくとおって、はきはきとしている。

以前この曲みたときには、
やりとりがもっと長いと思っていたけれど、
ちかごろではお能の時間に
すっかりからだが馴染んだのか
あっさりと登場した彼女に驚く。

橋がかりに作り物の車が出ている。
それに乗り込む御息所は、
車の屋根の落とす影で、面は仄暗く沈んでみえた。
彼女は迷っている。
葵上に対する嫉妬もさることながら、この車に
乗っていたときの屈辱を辛い気持ちで思い出している。
しかしそれははしたないと、
恨むのはよくないと、
必死に理性をはたらかせようともしている。

なのに巫女が再び弓を鳴らして彼女を呼ぶと
ずるずると葵上のかたわらまで
引きずられていってしまうのだ。
相手の姿を見たとたん、
憎しみの気持ちが溢れて
どうしても止めることができず、

おもわず扇でうちかかる。
扇は紅い牡丹の花模様
こんな華やかな扇で人を打擲するなんて似合わない。
そのちぐはぐさがかなしい。

青女房(ツレ)は紅入りの装束を着ているから
またうら若い娘であるはずなのに、
主人よりよほど落ち着いてみえる。
小袖(葵)をうつ時もためらいがない。

盛りを過ぎた自分の顔を鏡に映せば、
悔しい思いはいやましたろう。
「東宮の后だった高貴な身分の自分が
臣下の娘風情に見替えられるとは、と。」
しかしいかに嘆こうと縋ろうと、
彼の情熱はもう戻ってこない。

自分はただの愛人。
より愛したほうが負けるのだ。
もう来るまいと、耐えようと、
決意する彼女の憂い顔がうつくしい。

装束は朝顔のような幾何学模様で
おだやかでさびしい色合いが、
彼女の雰囲気にぴったりである。

梓弓の音から解き放たれて
彼女は帰る。
重いおもいを抱いて。
辛そうな背中で帰る。

だが、生霊の彼女が帰っても、
葵の病ははかばかしくない。

大臣家が縋ったのがちかごろ名高い横川の小聖である。
山伏姿の若い聖は福王和幸さんだ。
ややふっくらした頬のあたりも貫禄がついて、
数珠の揉み方も力強く激しい。

またしても数珠揉む音色と経文に
引き出されて、
しろい鱗紋の小袖を被いた女が
そろそろと出てくる。
脱ぐと、あざやかな般若の面。
ついに彼女の恨みは鬼になりつつあるのだ。
なのにこの面は泣いているようにみえる。
目はつり上がり口は裂け、
恐ろしげでありながら、
このような自分の姿が浅ましいと、悲しんでいる。

経文は佳境を帯び、数珠の音も激しくたかまる。
それに呼ばれて橋がかりから、舞台へと。

彼女が葵を打ちたいのではない。
聖が無意識の嫉妬を彼女から引き出し、
それをとらえて祈り伏せようとするからだ。

聖との打ち合いう姿も、
躍りかかるようではない。
背丈より長い髪の毛を
手に巻き付けて、「えい」と聖を打つ。
そこだけが、凝縮された打ち返しである。

二三度押したり引いたりがあって
とたんにぽとりと、彼女は打ち杖を落とす。
もう決して来るまいと般若は帰る。

白の上衣に緋の長袴。
神の装束にもなろうかという鮮やかさなのに。
白の小袖にくっきりと
鱗の紋がけざやかである。
激しいく首をふるところ、
きっと聖を見据えるとき、

雄三さんの演じる御息所は、彼女激情も
あますところなく見せてくださる。


「館に帰って目を覚まし、
思いも寄らぬ芥子の匂いをかいだとき、
彼女の気持ちははっきり決まった。

ここから、都から
離れなければいけないと。
見れば、自分を抑えるほどの、勁さはもう
残っていないと。」

この後は「野宮」に続くのである。
嵯峨野の奥で彼女は
どんな思いで光君にまみえたのか。

いつか、雄三さんの「野宮」で
その答えにであいたい。

平成18年9月23日(土)午後二時開演
於:大槻能楽堂
能の魅力を探るシリーズ「源氏物語」

【能】葵上~古式
シテ 六条御息所の生霊  上野 雄三
ツレ 照日ノ巫女     武富 康之
ツレ 青女房       赤松 禎英
ワキ 横川小聖      福王茂十郎
ワキツレ 廷臣      是川 正彦
アイ 左大臣家の従者   善竹 忠重

         笛   野口傳之輔
        小鼓   曽和 尚靖
        大鼓   守家 由訓
        太鼓   上田  悟
        
        地頭   大槻 文蔵
        後見   上野 朝義
             泉  泰孝 

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