« 江戸の秋 | トップページ | 江戸の夜 »

2006.10.14

まことの蛇…「道成寺」

あまりにも強い思いは
ついには純粋に「鬼」になるのだろうか。

上野雄三さんの「道成寺」で
真砂の長者の娘は、ついに人の心を失い
ほんとうに蛇になってしまった。

橋がかりに無言で登場したのは
愛らしく美しい少女だったが、
赤いうろこ模様の鬘帯がどことなく不吉だった。
可憐にみえた横顔が
能力をいいくるめて、首尾良く女人禁制の「庭」に
入り込んだとき
すでに半ばは大蛇だったのではなかろうか。
烏帽子をかぶり、あたりを伺いつつ石段を登るさまは
まるで蛇がのたうつようで
拍子は尾が大地を叩くように激しかった。

登っても登ってもまだ鐘に行きつかぬかと、
面を切って見据えるまなこはもう、人のものではなく
あごを突き出すように、傲然と登りつめたとき
感情を失った面に不気味な笑みが浮かぶ。


その声には驚かされた。
若い女の声からはじまって、けたたましく不気味な声に変わる。
まるで、術がほころびてその間からのぞく化性のものの
叫びのようにさえ。

花尽くしの豪華な小袖と、
黒地にくっきりした大柄な模様の下の衣である。
歩みがとてもするどく激しい。

みどころの「乱拍子」で
小鼓の音と同時に、ぐるりと向きを変えるとき
うねるような肢体がすっかり大蛇だ。

鐘が落ちると、それまでの妖しさがふつっと一瞬消える。
能力たちの軽妙な掛け合いと、
住職が語る昔のはなしを聞きながら、
鐘の中からどんなにすごい「蛇」がでてくるのだろう、と
ぼんやり考えていた。

いままで見た雄三さんのお能は
はかなくけなげなシテが多かった。
つい先月の「葵上」で、
先のみえない恋をもてあまして、生霊になった
かなしい女としてみたばかりだ。

住職の昔語りは聞き方によっては
女にはひどく辛いはなしだ。
父はほんの「戯れ言」(冗談)のつもりだとしても、
「かのひとがわが夫」と思いこまされてしまった少女が
裏切られたと知ったときの
落胆と怒りはすさまじいものだったろう。


長いこと信じていた気持ちが純粋だったから、
その瞬間にひとの気持ちはばっさり燃え尽きてしまい、
鐘に巻き付いて男を焼き殺した後、
女は真に蛇となった。

いままで現れなかったのは、「鐘」がなかったからである。
道成寺の「鐘」は憎い男の裏切りの象徴だった。
それを焼いてなくしたことが、
蛇になった女にとっては快いことだった。

寺に鐘はあってはならない。
水中深く眠りについても、いつもこの寺の
気配を探っていたのである。

そして今、鐘を吊らせるまいとして
女は鐘に入りこみ、
憎しみで鐘を赤く熱くする。
誰も近寄れないほどに。

賢い住職は弟子とともに、鐘から「女」を追い出した。

と、そこに居たのは
激しい怒りの相好で、起き上がった赤頭の蛇。
鱗さえも血の色である。
さっきまで着ていた、白い鱗の模様の衣を、
ずるりと体に巻き付けて、
渾身の力で僧たちに打ちかかる。

経文が響くとさすがに、がっくりと頭を振り倒れ込む。
しかしまたしゅうねく起き上がり、
鎌首をもちあげるように、僧たちを睨め据える。
呪を避けようとして、柱に巻き付き、
力足らずにどうと崩れ落ちる。
少しづつ追われて、
鐘からはとうに隔たってしまった。

突然、くるりと僧たちに背を向けて、
蛇は川に飛び込んだ。
水音は激しく、
薄暗くなった水面を泳ぐ姿は
不気味な赤い一本のひもだった。

「作りし罪も消えぬべき」と
いっとうはじめに少女は謡った。
純なこころがよみがえったように。

だが、もはや蛇の知恵しかもたないから、
鐘がある限りはまた、寺に戻ってくるだろう。
男に欺かれた女の業はそれほどに
激しく、辛く、永い。

いままでに見た「道成寺」の後シテの面は
やや青白い“般若”だった。
この日のそれはやや茶がかかって黒っぽく、
かっと開いた口が、
噛みつきそうな恐ろしさだった。
“泥蛇”という面であると聞いた。
だから、蛇に見えたのだろう。

鬘帯と同じ赤いうろこの模様の上衣が
赤い髪とようつりあっていた。
鐘が揺れながらあがったときに、
白い衣を被っていた蛇。
はらりと脱ぎ捨てたときの白から赤への変化が
流れる血を思わせた。

鼓も笛も力がこもり、太鼓の音が高まる。
ぎっしり満員での見所が息を詰める中で、
シテは最後は膝行して揚げ幕に飛び込んだ。


仕舞、舞囃子、能二番、すっかり堪能したが、
鑑賞にも、じゅうぶんな体力が必要なことを
また思い知らされた日でもあった。

「上野朝太郎 二十三回忌 追善
     第二十一回 正陽会」
平成十八年十月国治(月・祝)午後一時開演
   於 大槻能楽堂
番組
(連吟・海士  仕舞・舎利  能「安宅」
 仕舞・七番有り)
【狂言】泣尼
 僧:善竹忠一郎 尼:善竹忠重 檀家:善竹忠亮
【舞囃子】「松浦作用姫」
 観世清和   
 笛:左鴻泰弘 小鼓:清水晧祐 大鼓:山本哲也
【能】「道成寺」赤頭
 シテ:上野雄三 ワキ:福王茂十郎
 ワキツレ:福王知登、喜多雅人
 笛:赤井啓三 小鼓:大倉源次郎
 大鼓:上野義雄 太鼓:三島元太郎
 アイ:茂山七五三、茂山宗彦
 後見:野村四郎、小寺一郎、赤松禎英
 鐘後見:大槻文蔵 ほか
 狂言鐘後見:茂山正邦、松本薫 ほか
 地頭:藤井完治

|

« 江戸の秋 | トップページ | 江戸の夜 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/78456/12284772

この記事へのトラックバック一覧です: まことの蛇…「道成寺」:

« 江戸の秋 | トップページ | 江戸の夜 »