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2006.11.24

青葉の笛…「敦盛」

この前にのかもんやま訪問は梅雨どきだった
今回は秋、それもそろそろ終わりにちかづいていて
あるくにはほどほどの気候だ。

上天気なので、気分よく、友人と徒歩で坂をのぼる。
駅からたっぷり十五分、ゆっくりをこころがけたが、
たどり着いたらやっぱり息切れした。

静かで、いつ来ても
心が落ち着く能舞台である。
すぐ近くに公園があるらしいが
いつも列車の時間を気にしているせいで
まだ行ってみる機会が無い。

「横浜かもんやま能」は、
この能楽堂がある地域の催しだ。
(この鑑賞券は、地域限定の発売だった。
わたしが来られたのは、横浜在住の先輩が
発売の日にデパートに並んでくださったおかげなのである。)
嬉しくていくら感謝してもしたりない気持ちだった。

ロビーに居るひとたちが、
ふだんの見所とはかなり違い、
背広姿の「中年以上」の男性がとても多かった。

番組はお能一番、狂言一番
わたしにとっては
このくらいの番数のほうが、楽でいい。

お能は「敦盛」。
前日に予習をしていて、前シテはひたおもてだと気がついた。
敦盛の年格好は、少年から青年に移り変わるあたりだろう。
「無官の大夫」というよび名からそう推量してみる。

ここの舞台は低めで見やすい。
橋がかりすぐの二列目、
演者はすぐ目の前。
早く始まってほしいな、とおもった。
いつも想像するしかなかった
装束の模様の細かいところも
はっきり見えるはずだもの。

最初に喜多流の狩野さんの解説と、
装束付けの実演があった(羽衣のシテ)

きらきらと天冠をつけて
天女の姿になったモデル(佐々木多門さん)をみて
「ほお」と小さなため息がそこここで聞こえた。

「敦盛」についての解説はさらりと短く
“青”い色、がこのお能のキーワードに
なっていると思います。」と
歯切れ良く語られる狩野さん。
シテを演じられるときもお綺麗だが
紋付き姿も同様に姿のよいかただった。


ワキの熊谷直実役は殿田謙吉さんである。
大柄な体が
堂々とした武者ぶりを思いださせ、
柔らかな声が、
僧形になったばかりの
初々しさをあらわしている。

そこへ揚げ幕から草刈りの男が三人歩みを進めてくる。
先頭の友枝さんは若草の色の水衣、
萌え初めた色合いが若々しい。

ツレのお二人は、ひとりは薄い水色、
もうひとりはそれよりやや濃いめの青の水衣を
それぞれ着ておられた。
三人のかもし出す色の響きあいがきれいだ。
須磨の浦の明るい海と、
潮風を受ける草刈り場をおもわせる。
段違いの熨斗目の小袖、ちかくでみると
生地は平織りではなく、厚みがあって、
だから色にふくらみが出るようだ。

草束を肩にかついで、
しずしずとでてこられた友枝さんは
面を付けていらっしゃらなくても
そのうつくしさは若いひとのものだ。
ツレと一緒に謡う声、
ワキと問答するときの落ち着き、

うつつのひとではないことが
その静けさのなかに感じられる。
二人の間に通うほのかな情愛が
受け答えのなかにある。
「敦盛のゆかりのもの」と名乗って
本人だとは言わないのは
出会えた喜びはそれとして
かれには羞じらいがあったのだろう。

しかし「毎日毎夜のお弔ひ…我が名をば申さずとても
明け暮れに…回向したまへるその名は我」と
最後にはかすかにつぶやいて消え失せるのだった。

いつも友枝さんのハコビはうつくしくなめらかで
滑るようにくるりとまわるその姿が
あどけなくもわかわかしい。


いつか夜は更けて
念仏を唱える蓮生法師の前に、
草刈り男のときよりやや濃いめの
緑の長絹(流水と笹と花の模様)をつけ
太刀を履き、烏帽子をつけた敦盛があらわれる。

袴は黄褐色の地にやはり流れる水の模様。
小袖は、すこし赤みを帯びた橙色で、ぽつんぽつんと
花が刺繍されている。
まことに平家の公達は、
都ぶりとて皆美しく装っていたのだ。

面はやわらかな表情で若い。
橋がかりのところで、見所にむかって見込むときの
気高さには、その生涯を思うと胸が痛むほどだ。

平家の一門の隆盛から、その栄華に影がさし、
一ノ谷の戦に至るまでをクセを含めて物語りつつ舞う。
その型のひとつづつが
若々しく闊達で、拍子も鋭く響き渡る。
すっと横に上げられた両手の位置が
ひときわたかいのが眼にうつる。

中の舞が終わると、戦は最後の場面を迎えている。
船が引き上げていくのを茫然と見ていた彼、
もうしばらくの時があれば、
馬を駆って、沖合へと逃れただろうに。
直実の呼びかけに応じて馬を返してしまったのだ。

凜として勇ましいさまに息をのむ。
討たれたときの模様を仕方で舞い
太刀を抜いて法師に向かう。
常座からワキの面前まで、
信じられないほどの速さで詰め寄り、

はっとする一瞬ののち
(「かたきはこれぞと討たんとするに」)
からりと太刀を投げ捨てる。
その音が静かな空間に響きわたる。

いままで見せていた激しさを
ぬぐったように優しい身ごなしで、
彼は、弔いを蓮生に頼んで
ゆっくりと手を合わせる。

“ついには共に。生まるべき 同じ蓮(はちす)の
蓮生法師。敵(かたき)にてはなかりけり”と。

脇正面からは敦盛の背中しかみえなかったが、
彼は優しくほほえんでいたのではないか。
そのまま、立ち上がって振り向き、
橋がかりを帰る面差しも、
清々しく柔らかだった。

波打ち際で振り返った彼を見て
「このように若くていたいけな人を殺めたくない」と
直実は思い
「この人になら、首打たれてもいい。
なぜなら彼はまことの武者であるから」と
敦盛が思ったその瞬間、
既に後生の縁は深く結ばれたのであろう。


横浜能楽堂の橋がかりは
国立などにくらべよほど短い。
美しい背中はたちまち幕に消えたが
面影はしばし残像を結んだ。

粟谷菊生さんが亡くなられたので
地頭は能夫さんが勤められた。
じっくりと低くていねいな謡である。

小鼓の鵜澤さんの
音色が久々に聞けて嬉しかった。
大空を雲が流れてゆくような
おおらかさと軽みがいい。

第23回 横浜かもんやま能
  平成18年11月18日(土)
    於 横浜能楽堂 午後2時始

■能役者による実技と解説  狩野 了一

【狂言】(大蔵流)「魚説教」
   シテ 茂山 千作 アド 松本 薫
【能】(喜多流) 「敦盛」

   シテ 友枝 昭世 ワキ 殿田 謙吉
   アイ 松本 薫

   笛  一噌 隆之 小鼓 鵜澤 洋太郎
   大鼓 國川 純

   後見 狩野 了一 中村 邦生
   地頭 粟谷 能夫

※ 「魚説教」まるで人形のように
  愛らしい千作さん。
  ゆっくりした所作も台詞もなにもかもが
  狂言の「精」そのもの。
  お元気でいらっしゃるだけで嬉しくなる。

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2006.11.20

「黒木和雄とその世界」

黒木監督の映画は、たった一本
遺作の「紙屋悦子の青春」しかみたことがない。

しかし、この本の著者の佐藤忠男さんは
映画評論家としてしょっちゅうお目にかかる名前だった。
おふたりが同い年だとは知らなかったし
生年月日にちゅういしたことも無かったが、
1930年生まれということは
戦争が終わった年に15歳、
はっきりと記憶の残る年代なのだ。

私は戦争を知らない。

母からも祖母からも、
戦争の話を聞いたことがない。
亡くなった父は、戦死ではなく病死だった。
親戚の伯父さんも、「内地勤務」だったそうだし。

戦争の「記憶」はまだ明らかだった時代だから
ラジオで聞いた「尋ね人」、
漫画雑誌や映画やテレビにまだまだ残っていた
底流のような何かを呼吸して育った。

新聞やテレビ、ラジオの戦争記事や
ドラマもいまとは違っていた。
体験した人が描く戦だから、
曖昧なところが少なかった。
描かれないものもあっただろうが、
歴史としてではなく近い過去の事実として、
戦は美化されていなかった。

まりつき歌に軍歌が残り、
「傷痍軍人」の格好をしたひとが
アコーディオンを弾いていたころだ。

少し大きくなってから、
あたりまえの与えられた平和の中で
「おとなたちは、
なんで戦争に反対しなかったんだろう」と
思ったこともあった。

そうして今、
戦争に対する見方が
子供の頃とは違ってしまった景色の中で、
この本に出会った。

黒木監督の作品は、どの映画も
わたしの若いときとぴったり重なっているので、
作品の名は記憶のなかにはっきりある。

難しそうだし芸術的すぎてと思い
一度も観なかったそれらが、
いまは懐かしくて涙が出そうになるなんて
ほんとうに不思議だ。

特に「TOMORROW明日」や「父とくらせば」
は、なぜ観に行かなかったのだろう、と悔やまれてならない。

佐藤さんの文章には
同じ年に生まれて同じ時代を生きたひとへの
エールがある。
むかし書かれた評論より、いまに近いものには
さらに色濃く。

ひとつづつの作品につけられた
丁寧な文章は、
先に逝ったひとへ贈る念入りな別れの言葉のようだ。
彼らの年代のひとたちが次々に、
時代の記憶を持ってあちらに行ってしまったら
世の中が
ぐるりと回転するような気がして
めがくらみそうになる。

何か覚えておかなければ、
せっかく残った映像だけでも、
自分の中に残しておかなくては。
そんな気がしてならない。

ひとの一生を季節にたとえれば、とは
とてもよくある陳腐な例だが、

秋が深まって寒さが身に、
じわっと沁みてくる夕暮れの
それでもまだ薄明るい山ぎわに
仄かな明るみがみえているような、

寂しいけどくっきり澄んだ風景が
とても親しく思える。
その中に、知らなかった戦争を知っておきたいと
思う気持ちがたしかに 、ある。

「黒木和雄とその世界」
  佐藤忠男著 現代書館発行

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2006.11.17

ひとすじにつらぬく愛…はながたみ

新幹線が静岡にかかると
きっと富士をみようと左手をみる。
この日は秋なのに春のような暖かさで
麓の稜線こそちゃんと見えたが
富士のあるべきところには、
薄い影だけしかなく、
それもすぐにもやの中に消えてしまった。

この日の「友枝会」はお能三番と狂言一番、という
とても豪華なプログラムだ。
しかし番数がわたしには多すぎる。

友枝さんのお能を観ると
それからしばらく、さまざまな思いで
胸がいっぱいになる。
そのなかから自然におはなしがでてき、
それが最後までできあがったとき
舞台はわたしのなかのひきだしに静かにおさまる。

以下は友枝さんの「はながたみ」をみて
おもったことである。


囃子方と地謡が定位置に着くと、
ひとりの男が玉章(文)と
花がたみ(花かご)を
持って登場する。
男はこの二つをシテに渡しにきた使者なのだ。

シテは照日と言い、
「オオアトベのミコ」の思い人だった。
そのミコは突然、ヤマトへと旅立ってしまったのだ。
橋がかりで受け取ったかたみの品に
じっと目を落とす彼女は
橙色基調の唐織り姿、
わずかに哀しみの表情を見せるが、
多くは語らず
そのまましずかに里に帰って行った。

前場のお話はただそれだけで、
舞台はヤマトへ移る。

皇子は即位して「ケイテイのミカド」となった。
いま住まいされるのはヤマトの玉穂の宮である。
きょうは紅葉狩り、賑々しく行列は進む。

随従する官人は宝生閑さんである。
綺羅綺羅しい黄金の装束で
ミカドの横を堂々と歩む、
その姿が実に様になっている。

子方のミカドが愛らしい。
きちんと膝に手を置いて蔓桶に座っているさまが
お人形のようだ。

木の葉が色づきはじめた秋の初めがた
ミカドが行幸されるのは、
民に姿を見せるため。
ヤマトの国に入り即位するまでには
長い苦労があったのだから。

彼らが静かに座っている間に、
照日と侍女が舞台に入る。
形見を抱いて故郷で生きることよりも
ひとめミカドに会いたいと思った照日は、
苦労をともにしてくれようという侍女と
困難な旅をしてきたのだ。

白地の上の衣の片身を脱いでいる。
急ぎの旅のこしらえである。
裾と袖とに紅葉が散る。
青、紅、茶、とりどりの色に。
花かごを持つ侍女の匂うような紅さとは
好対照の落ち着いた色目である。

ミカドの姿見たさに行列の前に出る。
それを咎める官人。
払い落とされた花かごをみて
悲しむふたり。
侍女は官人に花かごの由来を語り、
(ミカドが越の国にいたときのものだと)
シテはゆったりと、歌いながら舞う。

その舞のみごとさ美しさはいいようもない。
長い旅路の願いはここにかなったのだから。

「愛しいひと、
空にかかるあの白い月のように
あなたの面影は
てを伸ばしても取れはしない。

私は水のおもてにうつったそれをみて
涙を流すのです。」

その声はミカドの耳に届き
舞姿も目にはいった。
あれは、一通の手紙をやっただけで
置いてきた女ではないか。

彼は官人を召し寄せて、
何故ここに、と問わせる。
その答えをふたたび照日は舞ってこたえる。

それはいにしえの漢の武帝と李夫人との愛の物語。
病気で容色が衰えた李夫人は、
「もうお目にかかりません」と
言ってはかなくなった。
思いを断ち切ることが出来ない帝は
「反魂香」を焚き、
夫人を呼び戻そうとした。
しかし現れた彼女は青ざめてはかなく
触れることも出来ぬ影のようなものであり
一陣の風に消えてしまった。

皓々と月は照り、甘泉殿は荒れ果て
帝は夫人の衣を片敷いて涙にむせぶ。

この激しく哀しい恋を女は舞った。
味真野でのふたりの夜々の誓いを思い出して。
形見の花かごと手紙があってもそれは
はかない一瞬の幻でしかない。
反魂香で呼び戻した面影のように、と。


ミカドは彼女を捨てるつもりはなかった。
しかし、即位するには条件があったのだ。
先の帝の皇女をめとるという。
ならば彼女を連れて行くことはできない。
伴うのは子のみに留めよう、と。
彼も辛い決意をしたのだ。

そのことは恨まないと女は言う。
軽やかにしなやかに女は舞い、
自分の思いをはっきりと言う。
「あなたにいまあえたこと、これだけでよいのです。
これ以上、わたしは何ものぞみません」

そのまごころの深さにうたれ
ミカドは照日を連れて都に帰った。
その日の幸せは長く続いたであろう。


ただ夫に先立たれ、次のミカドが位に就いた後は
都にとどまらずふるさとに帰ったのだと思いたい。
ミカドも照日も、
田舎で、ささやかに伊勢を拝み、花を愛でていた時が
一番幸せだったと知っていたから。


友枝さんの舞うすがたには、静かな風韻がある。
扇はひらりと手に吸い付くようにひるがえり
恋しいきもちを外にあらわす。
ゆくてはるかをみるまなざし
水の面を見ようとふとかしげる首、
ほんのわずかな動きさえも
慕わしくうつくしい。

どこにも力など入っていないようにふうわりと
舞台をひとめぐりするそれだけで、
照日のこころに満ちたおもいが、
見所にすうっとひろがってゆくようだ。

「湯谷」のときにも思ったが、
お能のシテははかないばかりではないのだ。
四番目ものの主人公は霊ではない。
いまを生きている人である。
照日も湯谷も、自分の望むことをひたすらのぞみ
そしてかなえた。

ミカドの姿を再びみたとき、
苦しみはすべて報いられた。
思いがけず再びそばに仕えることができたが
それは結果であってのぞみではなかった。

純な思いの美しさを
あらためてかみしめる曲だった。

お能の他の二番
雄人さんの「松虫」
秋草の緑華やかな装束で、存分に美しい舞を
見せてくださった。
ワキは宝生欣哉さん。

雄太郞くんの「猩々」
ワキは宝生朝哉くん。
しっかりと型が決まるときに、
大鼓の柿原くんのあかるく軽やかなかけ声が入る。
もう微笑まずにはいられない。

狂言も三代の共演で、
実にめでたい会だった。
受け継がれていくというのはこういうことかと、
その場に巡りあえた幸運に感謝した。

「友枝会」より
平成18年11月5日(日)12時開演
  於 国立能楽堂
【能】花がたみ
   シテ  友枝 昭世
   ツレ  内田 成信
   子方  内田 貴成

   ワキ  宝生 閑
   ワキツレ大日方 寛
       御厨 誠吾
  
   男   高井 松男

   笛   一噌 仙幸
   小鼓  北村 治
   大鼓  柿原 崇志

   地頭  粟谷 能夫

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2006.11.03

テアトル・ノウ「通盛」

叡山電鉄の出町柳駅は
賀茂川と高野川の合流地点のすぐ東側にある。
京阪電車の路線がここまで伸びたので、
乗り換えもずいぶん楽になった。

この日の「座敷能」
(主催は味方玄さん)は
その出町柳から
川をふたつ渡って寺町通りを北へ、と聞いていた。
下鴨神社の一番南はしをかすめて
ずいぶん新しくなった出町商店街を抜け、
寺の名前を確かめながらあるく。

徒歩十分と案内に書いてあったが意外にはやく
行列の出来ているお寺がみえ
そこが十念寺だった。
お庭も綺麗に整えられていて
建物も新しくモダンである。
“昔、太閤さんがお寺を全部このあたりに
集めはったので「寺町」なんや”と
行列の後ろで誰かが話している。
そういえば来る途中の、
右側はびっしりとお寺だったっけ。

一時間前に開場した。
まあたらしいお地蔵さまをおさめたお堂の
横を、奥門まで行き、くぐったところが
本日の舞台である座敷だ。
足もとは自然石の飛び石で、
まだほの明るいのでいいけれど。


二間続きの座敷の奥のほうが
舞台になるらしく、
屏風が立っている。
壁にくっつけずに、
後ろは人が出入りできるようになっている。
なるほど、これが切戸口の代わりになるようだ。

広々とした濡れ縁に座って
開演前にちょっとした「虫やしない」をする。
さっき通った商店街にある
ちかごろ人気の餅屋、
そこの「豆もち」を
連れと一個づつたいらげる。
暮れてゆく庭はうつくしいが、
暗いところにはまだ蚊がいて、かゆい。

先日のお囃子の会で、正座には懲りていたのだが
連れは装束を近くで観たいと言う。
それでこの日も最前列に座る。
襖は全部外してあるが柱がいっぽん、
私の目の前にあり、
どうも視界が狭くなりそうな予感する。
(結局は、柱などどうでもよくなったくらい
素晴らしいお能だったのだが)

まず、味方健さん(玄さんのお父上)の解説で
会が始まる。
穏やかに、ほんのりユーモアを交えながら
しばらくの間、お寺について、や演目について
お話くださる。
学校で先生の話を聞いているような
わかりやすさと懇ろさであった。

片山清司さんと味方健さんの仕舞のあと、
いよいよ「通盛」
お囃子の中に珍しいかたが。
九州からお越しの大鼓の白坂さん。
以前に一度聞いたことのあるが、
記憶どおりの硬質な張りのある音色だった。
部屋は開けっ放しだから
当然音は散る。
なのにそれを上回るお囃子の力強さ、
掛け声の良さに、陶然とする。

ワキ方は下掛宝生流の宝生欣哉さん、ともうおひとり
どちらも関東の方がなさった。
小柄な欣哉さんのどこから
あんなに大きな声が出るのだろうと
いつも不思議だったが、
すぐ前がワキ方の席だったので、わけが分かった。
体中から声が出ている。
もちろん背中からさえも、である。

二人の僧が見守る中に
前シテの老翁と、やや若い女が舟に乗って登場する。
橋がかりが無いので
鏡の間にあたる部屋から、濡れ縁を通って。
粛々と衣擦れの音が聞こえてくる。
縁側から座敷へ上がる部分が段になっていて
そこをふわりと過ぎるハコビが軽やかだ。

阿波の鳴門近くの海に浮かんだ
頼りない小舟のうえで
味方さんは、見事に翁に見えた。

もともとの若さをうちに沈めて、
低めの声での問答、
装束も地味な漁師の風であるが
老人なれどにじみ出す美しさ。

どことなく、風情ありげな様子が
僧たちにも伝わったと見えて

名を問われて名乗るのもさらりとなさる。
語りのときは一心に声を張っていたが
妻の小宰相はやや俯いて僧の問いを聞いていた。

後場では、二人とも真の姿を現わす。
通盛はまことに美々しく、
色合いは地味なのに、華麗な武者ぶり、
どの場面でもどの舞でも
どこから見ても完璧に
平家の若い武将である。

きらきらと輝いている夫のかげに
女房の装束を着した妻が、
こちらは、悲劇を僧に訴えるかのように、
前場と同じ伏し目がちに付き従っている。

普通のお能の時と変わって
地謡はたった四人。
その声ごえはぴたりと揃って、
数の不足を感じさせない。
楽の音にのって、通盛は、最後の修羅の舞をまう。
能舞台ではないのに、
彼が拍子を踏むと、
はっきりと音が聞こえる気がする。

するすると舞台と決められた場所から外れて
縁まで出、秋草繁る庭に向かって型をされると、
ゆらりと室内を照らすろうそくの明かりに
すらっとした後ろ姿が映える。

何度も息をのみ、
しかもお話はしっかりと腑に落ちて、
風が冷たくなってきたころ、
悲劇の夫婦の物語は終わった。

立ち去るひとたちの背を追い掛ける拍手は
まばら。
余韻に浸りたい見所のほうが多かったようだ。
暗くなった庭を一足づつひろいながら、
門の敷居をくぐって出たときにやっと、
物語の世界の幕が下りたと感じた。

寺町通りもこのあたりまで来ると、
商店もまばらで、通る人も車も少ない。
きょうのお能をはじめからしみじみと
思い返しながら帰るにはありがたい静かさだった。

第14回テアトル・ノウ
平成18年10月20日(金)午後6時30開演
 於 華宮山 寳樹院 十念寺

☆ お話      味方 健
☆ 仕舞 六浦   味方 健
     松虫   片山 清司
    
  地謡 味方 團 田茂井廣道 橋本忠樹

【能】 「通盛」
     シテ  味方 玄  ツレ  片山 伸吾
     ワキ  宝生 欣哉 ワキツレ則久 英志
     アイ  茂山 良暢

     笛   左鴻 泰弘 小鼓  成田 達志
     
     大鼓  白坂 信行 太鼓  前川 光長
     
     後見  青木 道喜
         古橋 正邦
         味方 團
     地謡  片山 清司
         武田 邦弘
         分林 道治
         橋本 忠樹

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江戸の蕎麦

さてその次の日は天気も回復し
もよりの浜松町まで送迎バスで行く。

鶯谷まで行き子規庵を探す。
地図を見ながら着いたが、まだ開館時間の前だった。
向いに中村不折の作品を集めた「書道博物館」が
あったので見に入る。
ここがよかった。
絵も装丁も新聞の一枚絵も書(篆書のような)も
どれもいい。

じっくり見ていたらとうに子規庵は開いていた。
ごく普通のしもたやで、古い。
あがってすぐが客間である。
後に有名になった彼の弟子たちが見舞いにきて
座っていた部屋だ。
彼が床についていたその隣の部屋は、狭い。

ガラス戸の向こうにヘチマ棚があり
季節とてヘチマがぶら下がっていた。
庭は草がけっこうぼうぼうで、鶏頭が赤かった。
狭さも草の種類も昔ふうの庭だ。
部屋には子規の書も絵も展示してあった。
司馬さんの「坂の上の雲」で読んだ光景を思い出す。

お客もぼつぼつ増えてきて、
小さな家は満員だった。
部屋の中も庭も写真禁止だが、
出口のあたりに記念写真を撮っても良い場所があって
数組待っている人たちがいた。

駅に戻って山手線で次の目的地、根津権現へ。
増上寺でもそこそこ写真を撮ったが
来たかったのはむしろここ。
境内はひろく木々は古く、緑は多い。
社殿の朱の色は黒っぽく、
関西で見る鳥居や本殿の色とは違う。
土地によって「あか」の色合いは違うのだろうか。
神社は「権現造」なのだろう。
華やかでかつ豪奢、
赤の色が地味であっても、
飾りや細工がすごいのである。
お稲荷さんの鳥居さえも朱色は鈍く落ち着いている。

静かな境内には鳩がたくさん居て
ゆっくりお詣りしたあと、帰りは表門(南)に出る。
門の手前に小さな橋と流れと、見事なつつじの群れがあった。

門をでたところに都バスのバス停があった。
上野方面だったので、待って乗る。
とろとろと走ったが
根津から上野は近いのだな。
不忍池に着く。
池はひろびろとして、なめらかで
折からの快晴、ボートがちらほらと出ていた。
形があまりにも今ふうなので
最初はボートだと気づかなかったくらいだ。

ついそこに鴨がいる。
雄も雌も、またつがいで泳いでいるのもいる。
どうも目当てと違う側に出たようで、池をぐるっと
半周した。

昼は江戸の名店でお蕎麦を食べよう、と
調べてきた地図を頼りに
「池之端藪蕎麦」をさがしてはいる。
つゆはやや辛いめだけどとても美味しい。
天ぷら蕎麦の天ぷらはエビだけのかき揚げで
それもめずらしい。
ざるをひっくり返して、その上に蕎麦が乗ってい、
一枚はあっという間に食べきってしまったので
太っ腹にお代わりを頼んだ。

東京駅で時間待ち。
行くあてがないのでデパートの特売場をうろうろし、
帯あげと帯締めを買う。
べつにここで買わなくてもいいものだけど、
旅をすると気が大きくなるのだ。
ゆったり眠れて「よい旅」だったから
帰りの列車でも元気だった。

機会があれば、また江戸の風物と歴史を
目と足で確かめにゆきたい.。

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