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2007.02.20

どんな夢を…「ユメ十夜」

子供のときに読んだきりの「夢十夜」
今回の映画の題名は「ユメ十夜」。
十人の監督が一話づつ撮る、という惹き文句が魅力で
でかけてみた。

毎度おなじみの単館系シネコン、
早めに行って番号札を貰ってから、ゆっくりすればいいのだ。
ちょっと困るのは
周辺がビジネス街だから、
時間をつぶしにくいということ。

本屋があればわたしはOKなのだが、
デパートの書籍売り場ではちょっと物足りない。

会場は三つある。
同じくらいの年齢の
女性がロビーに山盛り。
韓流映画「夏の扉」を見に来た人たちのようだ。
「ユメ十夜」は一番小さい会場で、
椅子の数は六十席、二列目に座ってみたが
少々前過ぎで首が凝った。


パンフレットには、予算は一律、とあった。
ざっと監督の名前を見て、
おや、わたしの知っている人はたった四人だな、と
ちょっと淋しい気分だ。

上映時間は二時間だが、次の話は…と期待して本の
見ていたらすぐに終わってしまった。
ひとつの話が十五分程度。

漱石が「本人」として出てくるのと来ないのと
監督によって二通りに分かれる。
わたしは漱石が出ないほうが面白かった。
どうしても、写真で知っている漱石と
画面の俳優を比べてしまうからである。

一夜と二夜は、わたしも知っている
ベテラン監督、実相寺昭雄と市川崑、
画面のつくりが他の若手と全然違う。
実相寺さんは、見事にシュールで派手(色合いはSF風)
時間の扱いのめまぐるしさが枠をはみ出していて
それなのに、明治の味わいもあって面白い。
一方、市川さんは「無声映画」のしつらえ。
白黒画面の中、色は、主人公の武士が持つ、
短刀の鞘の朱のみ。
筋立ても原作に忠実でいたってシンプルだ。

この二話を別格として
面白かったのは六夜(松尾スズキ)
九夜(西川美和)、十夜(山口雄大)の三つだった。

六夜は“運慶が仁王を彫る”話。
運慶役がTOZAWAさんで彼のダンスが圧巻である。
アニメの中でしか見られないような動きの連続だ。
たくさんの観客が不思議な衣装で見守っている。
主役は阿部サダヲさん、
真似をするダンスの様子が可愛らしくエネルギッシュ。
結局彼のダンスによって、木の中から現れるのは
「仁王」ならぬ「鮭を捕るクマ」で実に可笑しい。
笑いが入るのが松尾さんらしい。
話自体を 石原良純さんの「ユメ」とくるくるっと
纏めてしまうラストも後味がよい。

十夜は“豚に舐められた男”の話。
主役の松山ケンイチさんが雰囲気のある美形で
元の話を思い切り改変して、
アニメ風に仕上げてあり、オチまで変えてあるのだけれど
それが無理なく続いているのがよかった。
若い監督の作る話には必ずと言っていいほど
おどろおどろしく画面に作り物が登場するのだが
山口さんのこれは、
常にくすっと笑いたくなる部分があって、
わざとらしさを相殺している。

本上まなみさんの美しい着物姿と、豚に変化していく過程の
あられのなさの差が、たいそう面白い。

前後したが九夜の監督は西川美和。
“お百度を踏む母”の話。
オダギリジョー目当てにみた「ゆれる」の監督さんだ。
始まった瞬間、「あ、この画面に見覚えがある」と思った。
母役の緒川たまきさんは姿のきれいな女優さんで、
神社の石段を上り下りする裸足の足もとさえ風情がある。

危なげな女と屈託のない男のちょうど真ん中に、
健気な子供が居る。
少年が開けるお宮の扉ははるかな南方で
楽々と暮らす父の姿を見せ、
張り詰めた顔の母の手から
お百度を数える碁石が落ちる。

暗い境内から海の向こうへ、かかった橋の上で
身を揉んで悲しむ女がおり、
それを見上げる子供がいる。
暗めの画面なのに鮮やかだ。


アニメーションの作品がひとつ。
七夜の“船から身を投げる男”の話。
西へ西へと向かう船は、
どうみても西洋の帆船である。
監督は天野喜孝と河原真明。
天野さんのイラストと言えば、
栗本薫や菊池秀行の小説の挿絵でなじみである。
この世のものとは思えぬ妖しさ美しさ、が
短すぎてどうしようもないほど単純な話に
味わいを添えている。
巨大なアゲハチョウの羽根が蓋になっている
ピアノを弾く妖精みたいなヒロイン、ウツロ。
ここでのソウセキは、
目だけ出した覆面につばの広い帽子を被った
アンニュイな美形の青年なのだ。

アニメだと、突飛なデフォルメも
異形のあやかしも、少しも違和感がない。

この話の最後は
赤い夕焼けに照らされて海を走る船の姿で終わる。
漱石の描いたものとは別ものかもしれないのだが
充分に切なく儚い夢の中の船であった。

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2007.02.09

こま猪のある神社

ことしはいのしし年である。
年末から、この神社をよくテレビで見た。
035haiden

「護王神社」という。
場所は烏丸通りを挟んで御所の隣…である。
やっぱりこぶりな神社である。
ここには「こま猪」が居るのだ。
「こま鹿」は春日大社や、大原野神社でおなじみになったが
イノシシとは面白い。それにわたしの干支でもある。
交通機関も街の真ん中だから
すいっと行ける。

別に行くぞ、と気合いを入れなくても
三十分で、最寄りの地下鉄の駅に着いた。
二つの駅のどちらからも等分距離。

北側の駅(今出川)で降りて、ゆるいくだりを歩く。
左に御所の木々を見ながらほんの数分と、
東西の通りと交わる角に、
赤っぽい塀が見えてくる。
近寄ると、縁起の物語が塀に貼ってある。
他の社寺でも見たことがあるなあ。
020goouomote

ここは「和気清麻呂」をお祀りしている神社で、
祭神が守っているのは「みかど」のようだ。
(無論そんなこと、書いてないけど)
そして、神獣が猪なのである。
025komaino

絵馬から何から、みんな猪。
手水にはよく龍が水を吐いているが、
ここではそれは猪の役目だ。
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本殿もそこそこに新しく立派で、
奉納のための舞台が、境内のまんなかにある。

最近テレビ放映されて
有名になったからか、若いひとたちのお詣りも多い。
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拝観料はいらないが、絵馬や御守り、グッズのたぐいが
とても豊富である。
今年稼がなくてどうする、とばかりの意気込みを感じる。
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清麻呂公のブロンズ像は、北門のすぐ傍に
立っている。
その近くに五摂家の社があり、
ここの神社は上級公家が氏子だったと思われる。

場所もよく、まとまりもあり、
樹の勢いもいいのだけれど、
「清らかさ」という点では、上下の賀茂の社のほうが
勝る。
かといって、土地神の風情もそれほどない。
御所の一部に建っていると考えた方が
よいようだ。
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鄙びぶりでは、少し下って、平安女学院高校の南にある
「菅原天満宮」のほうが
ひっそりとして街中の隠れた神社の雰囲気がある。
001tyoutin

お参りしてふと屋根を見上げると、
十字架を立てた高校の建物が見える。
(平安女学院は聖アグネス・ガールズ・スクール)
煉瓦ふうの建物群は、同志社と双璧の西洋風で
御所の緑によく似合っている。
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018jogakuin


神社には天神さんにはつきものの
「牛」の像が小さいながら「梅の紋」をつけて
ゆっくりと寝そべっていた。
こういうぽかんとした空間をみつけるのが好きだ。
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それでも「護王神社」で買い求めたお守りを
帰ってから大切に机にしまう。
幸運を願うというよりも、厄を逃れますように、
というささやかな願かけである。

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2007.02.03

冬に名所へ

疏水べりから南禅寺、永観堂へのコースと言えば
春は桜、秋は紅葉、
観光シーズンにはいつ出かけても超満員である。

予定より早く出かけすぎて時間が余った。
まあ、そのつもりでカメラを持って来たのだけど。
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地下鉄の「蹴上」駅から、トンネルを通って南禅寺への
近道に出る。
金地院は以前に拝観したことがあるのできょうは割愛して
まっすぐ山門に向かう。
とても京都とは思えないくらい大きい門だ。
東山がころあいの借景である。

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拝観の人が少ない間に、と言うことだろうか
苔や木々が手入れ中だ。
空気が濃くて涼しい感じがする。
多分、春には人でいっぱいの山門にも
いまは二、三人しか登っていない。
それが点景になって、門の大きさがさらに映える。

寺々の塀も白い。
ところどころ土塀を修復している場所がある。
土壁に水をかけ、これは土を引き締めているのだろうか、
などと考えながら歩く。
疏水の分流が勢いよく流れている。
「雨が降らんとこれも涸れますなあ」と
のんびりふたりの女性が立ち話をしている。

030kudarumizu

その先に永観堂の屋根がみえる。
いかにも「京都」らしい、観光寺院だ。
実に小綺麗で、それだけに素朴さは少ない。
境内がこじんまりしているのも特徴がもしれない。
059jizou

しかしそれぞれの寺に歴史があり、
戦火に遭わなかったから残った絵や仏像も多数ある。
この永観堂も、庭の一角は幼稚園になっていて、
「お帰り」の呼び出しの放送がきこえる。
目をあげると、小高いところに、美しい多宝塔が見える。
必死にならなくても登れる高さと距離である。
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樹々の骨組みがわずかに煙る春とも思えぬ夕暮れ
木の間がくれの塔は美しい。
秋はみっしり紅葉だろう。
池の面は常緑の樹木だけしか映していないが、
それはそれでとてもシンプルな風景だ。

池の中に弁天さまが祀られていて
それにかかる橋のカーブがとてもよい。
橋はひとつだけではなく、
どれも小さく弓形で、
あちらからもこちらからも見えるのがいい。
058ikehasi

建物の拝観料は六百円也で、
京都ではこれが普通の値だ。
お堂はどれもそこそこ広くてのびやか。
もともと真言宗だったのが、途中から浄土宗になり、
「永観」のときに大いに興隆したという。
拝観のパンフレットに、寺宝の
「みかえり阿弥陀」についての話が載っている。
何度も聞いた話なのに、実際に阿弥陀さまを見ると、
「こんな仏さまに振り返られたら嬉しいだろうなあ」と
思うほど、静かで優しい姿をしておられる。

釈迦堂も、阿弥陀堂もたまたま無人。
わたしがひとりで座っていても
だあれも入ってこない。
天井の高い、ひろい座敷で、ひとりほとけさまと向き合っている。
すると素直に手を合わせている
自分がとても不思議だ。
眼鏡を忘れて来たのでお顔は仄かにしかみえないが。
048misu

中庭は特にこれといった感じではないが、
水がそこにあるだけで風情が。
御影堂のふすま絵がすごかった。
最近の画家のものだが
「二河白道」を描いていて
左手は氷煙があがる白
右手は紅蓮の炎の赤、
畳の薄縁がすっと真ん中を通っていて、
この仏教用語の意味が目のあたりに
納得できる素晴らしさだった。
040iwato

建物の古びとは似合わないのだが、
そういうことをちょっとしてしまうのが
京都のお寺らしい。

華々しい春や秋もよいが、
夏や冬、季節外れのこの時期にも、
静かで豊かな空間があるありがたさを
あらためて感じた。

そこから約束の場所までは徒歩十分、
時間通りに着けるのも、土地鑑があるおかげ。

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