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2007.09.30

「隅田川」…TTR能

揚げ幕の隣の席だった
申し込んだのが遅かったので最後列
こんなに遠くから舞台を見るのもかなり久しぶりである。

TTR結成五周年記念能
このお囃子ユニットを知ったのは四年前、
サポーターになってから、
毎年お能の公演は欠かしたことがない。
昨年から今年はじめにかけて
体調が悪くて、「ライブ能」(お囃子中心の会)には
行けなかったので
この公演を楽しみにしていた。

九月も半ばになれば、暑さが和らぐと見込んで
行くことを決めたが
今年の夏は異常に暑く
猛暑日からは解放されたものの
充分真夏の気候だった。
梅田から会館まで歩いている間に汗はやみまなく流れる。

始まりは午後七時半
平日、勤め帰りのひとでも充分間に合う時間に
設定してある。
その代わり終演は遅めで夜九時半だそうだ。
もし長引けば
家に着くのは日付の変わる前になりそうだ。

満員の見所が
お囃子が始まると静かになる。
ゆっくり登場する六郎さんは
悲しみに足が前に行かないかのように
静かに、静かに歩まれる。

豊かな体躯にふわりとかかった白い衣
裾に流れる水の紋様
隅田川のほとりに似合った装束である。
丸い笠の中に
ほんのりとした憂い顔を隠して。

横顔がきれいだった。
六郎さんは豊かな体躯をお持ちだから
儚げな感じにはならないのだけれど。

ワキの船頭とワキツレの旅人
顔立ちも体つきもそっくり
そして声までよく似ている。
茂十郎さんの船頭は、狂った母にとてもやさしい。
情に溢れたひとであった。

みやこから遠く離れた川面を
はろばろと笛の音が流れていく。
芯が強くそれでいてやわらかな小鼓の音は
しかと区切りをなし
一打ちごとに、光のしずくが滴るように澄んだ
大鼓が響きわたる。

これはお囃子ユニットの会だったのだ。

呼吸がぴったり合っている。
大小の鼓は同時に鳴る。
これは凄いことなのだ。

六郎さんの伸びやかな声が
ここまでの道のりを語り始める。
からだ全体が母そのもの。
謡の声が大好きでだ。
こんなに自在に声は奏でられるものなのか、と思う。
聴きながら心地よく話に入ってゆける。

もともと「隅田川」は劇的なお能だ。
(ドラマティック、と言う意味ではない)
一幕もので“いま、ここで”の話だから
「霊=子供」の姿は
うつつかまぼろしがわからぬくらいのはかなさだ。
それよりも際だつのは
母親が悲しみ、嘆き、狂い
最後に念仏を唱える姿だ。

語りの間は微動だにせぬ体の安定
立ち上がるとき、ほんの少しかしぐときが
あるけれど
それはほんとにささいなこと。
母になりきってふくよかな手が面をおおうと
見ているこちらも
もらい泣きしそうになる。

子方の赤松くん、
背が伸びて、声もハコビもさらにしっかりしてきた。
こうして年ごとに
成長を追えるのがうれしい。

地謡は、片山清司さんが地頭で緩急自在。
劇の進み具合でいかようにも変化し
またばらつきもない。
まとまった謡があると舞台がさらに楽しいものになる。
ドラマの奥行きが深くなるのだ。


一番後ろでも充分音は良かった。
耳はかなり満足したのだが
目の喜びがいまひとつ。
もう少し前で見れば、手の表情や足さばき
お囃子ひとたちの汗なども見えて
もっと全体を楽しめたろうと思う。
次回は春三月、
今度は早めに予約しよう。

見所はぎっしり満員で嬉しい限りである。
毛布の貸し出しや
ちょっとした質問にも
いつもながら事務局のかたがたは親切に対応して下さる。
ここまで細やかに
観客に気配りできるところはめったにない。
それも含めて、気持ちよく楽しい舞台だった。

TTR能プロジェクト5周年感謝公演
平成19年9月14日 19:30開演
能 「隅田川」

シテ:梅若 六郎
子方:赤松 裕一
ワキ:福王 茂十郎
ワキツレ:福王 知登
笛: 藤田 六郎兵衛
小鼓:成田 達志
大鼓:山本 哲也

後見:山本 章弘、山中 ガ晶

地頭:片山 清司

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2007.09.24

精霊の舞…「六浦」

地方大都市の駅前は
あんまりにも賑やかすぎる。
チラシにあった平面図では
右も左もわからない。
広場の隅にあった交番へ
迷わず飛び込む。

ヨドバシカメラの前を通って
セブンイレブンの角を曲がると
小さな緑地公園があった。
九月とはいえまだまだあたりは蝉しぐれの中。

相当に古い鉄筋コンクリート作りの建物の中に
こじんまり以上
ちいさなちいさな能楽堂があった。
お能だけではなく、他の活動にも
使われるとみえて
目付柱は半分だけで
屋根はなく吹き抜けである。
天井からライトが吊り下がっている。

照明はごく明るく
舞台は低い。
橋がかりも短い。
見所の小ささは聞いていた以上で
正面など五列しかなく
シテの面と目の高さが同じ線上だった。

品川からノンストップで十五分
川越は相模の国。
舞われたのは「六浦」
この地ゆかりの曲である。

諸国行脚の僧が二人の従僧を連れて登場
白州の部分も狭いので目の前でワキが名告りを。

相模の国、称名寺に着いた僧は
一面の紅葉のなか
一本だけ青々としている樹をみて不審に思った。
そこへ現れた里の女は
「昔、貴人に褒められた楓の木は
“功成り名遂げた後は身退かん”と
それからは秋になっても紅くならなかったのです」
と語る。
そして、
「夜になったら真の姿を現しましょう。
どうぞ目を覚ましていてくださいませ」と言って消える。
その夜、読経する僧たちの前に
楓の精が…。

前シテは可愛い里女。
小面なのだろうか、あどけない感じがする。
沈んだ銀と橙に染め分けられた小袖を着けている。
模様はいちめんの秋の草づくし。

おだやかにさらりとこの紅葉のいわれを語る。
声の余韻が長く残る。
この能楽堂の特徴だろう。

中入りの前に
「夢ばし覚ましたもうな」とシテは僧に言う
少し面を傾けていっしんに頼みこむその姿
すっと背を向けて去ろうとするときに
一瞬、彼女はためらう。
こころをよぎったのはなんだったのだろう。
つつましやかなおとめは
夢の中でこそ生き生きと
自らを語り、舞うことができるからか

中入りでお囃子もクツロぎ
アイ狂言は細やかに
むかしの事情を説き明かす。

ごく短いお能なので
観ていて疲れは感じない。

一声で登場の後シテは
緑の長絹に紅葉の紋様
裾には流水が。

大口はやわらかな卵色
木の肌の色である

さわさわとおとなしやか登場して
ゆっくりと舞いはじめる。
久しぶりの序の舞

笛は松田さん
触れるような音色である。
音に体温があるのだ。
綺麗な音も
ドラマチックな音も 
寂び枯れた音もあるけと

これだけ
肩をつかんで
身ゆさぶるような音は滅多にない

真面目な小鼓
洒脱な大鼓
他のお囃子が後景で奏でられている中から

笛の音がするすると抜け出して
楓の精を包み込んでいるようだ。

あたたかな音色に乗せて
女がひとり舞う
その舞は、嬉しげだ。
かつて都人より褒められたそのことが
彼女の一生の宝ものとなったことを
ゆっくりとかみしめながら舞い継ぐ。

暁近くに
舞い終えると
佇む姿がすうっと薄れていき
女はひともとの樹になった。

それにしても
なんと、しおらしくも
つつましやかな幸せだろう。

“功成り名遂げたあとだから
この後は紅葉するまい”とは。
そういいながら
緑の装束で舞う乙女の
愛らしくも可憐な斜め横顔がいい。

友枝さんの美しさは
間近くでもまったく変わらない。
お話が静かでシンプルだから
ところどころ謡についていけなくても
まったく問題がない。

神でもなく天女でもなく
きらきらしくはないけれど
あどけなくもいちずな
あずまおとめのお話である。

地頭は粟谷能夫さん
地謡が六人と少ないが
音響がよくてとてもよく聞こえる。

もともと鉄筋の建物だから
よく響くことはいうまでもない。
でも響きかたが洋風で
音の感じはホール能に似ているのが
やや物足りないような気もする。

ここしばらくの友枝さんの舞台では
劇的なお能ばかりを拝見していた。
このたびは
しみじみとシンプルな曲で
ほんとによかった。
体力的にもちょうどの長さだった。

平成19年9月1日 (土)
於 川崎能楽堂

能「六浦」

シテ 友枝 昭世
ワキ 工藤 和哉
ワキツレ 高井 松男
    井藤 鉄男

アイ  山下 浩一郎

笛   松田 弘之
小鼓 森澤 勇司
大鼓 國川 純
太鼓 金春 国和

地頭 粟谷 能夫

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2007.09.14

ここちよい夢(なんとも珍しかったので)

明け方、うつらうつらしている間に
じつにくっきりした夢をみた。
夢をみていると分かっているのに
目が覚めるところまではいかない。

その夢が
苦しいのならもがいても起きるのだが
こころがやわらかになるような
優しい夢だった。

『コの字型の建物のなか
お芝居を見に来たわたし。
この劇は観客も参加のものらしく
しかも舞台はなくて
建物の部屋全体が劇場であり舞台である。

部屋から部屋をめぐる。
扉は四方八方にあって、小さな部屋の次に
どかんと大広間があったりする。
誰もいない部屋もあり
たくさんの人が座っていたり
賑やかになにかが演じられていたりする。

路を間違えると外に出てしまい
ひろい庭から建物を見上げると
翼の片方はチョコレート色で
もう一方はコンクリートの打ちっぱなしだ。
両翼とも同じ高さである。

気を取り直して中に戻る。
西洋風の部屋だけではなく
日本庭園と畳の間の一画もあって
長い廊下が綺麗に光っている。

「能舞台」もあるのだ、と歩いているひとが
言い合っている。
それなら大好きな
○○さんがいらっしゃらないかな、と
思いながら歩いていくと
まったく人の気配がなくなって
戻らないとまた外へ出そうだ。

小さな扉(まるでアリスがくぐったような)から
よっこらさと出るとすっと目の前を影がよぎる。
ついていけば
催し物のあるひろいスペースに出られるだろうと
急ぎ足になる。
角を曲がると、影はまた次の角に居る。
そんな追い掛け合いを繰り返し
最後に着いたのは

十四五人も居ようか、という会議室のような部屋。
飾りも何もないけど
ここでは目の前でお芝居が見られるそうで
反対の隅に、
テレビで見たことがある太った俳優が
座っている。

わたしの座っている席から
通路をはさんだ向こう側は
確かに見覚えがあるひとで
大好きなアイドル本人にちがいない。

青みがかったラベンダーの色のシャツ
ごく普通でフリルも何もない。
いつもはもっと派手なのにな。
下は黒っぽいボトムである。
こんな近くに、と思うと嬉しくてほんわりとした
気分になる。
近くのひとと話しているのだが
内容も声も聞こえない。

でも、わたしが話してもいいらしい
だってこれもお芝居のうちなのだから。
ほのかな気配を感じながら座っている。

そうしているうちに周りがすこしづつ明るくなった』

色つきの夢はたまに見る。
映画やテレビの影響あり、という夢も
しばしば見る。
でも覚えていることは少ないし
楽しいばかりのものもあまり無い。
どちらかというと
追われていたり、困っていたり。
あんまり素敵な夢なので
しばらく覚えておきたくてメモした。
(2007年9月14日早朝)

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「魔笛」

団塊の世代がリタイア時期に入り
生き生きしているのはもっぱら
四十代のような気がしている。

演劇でも映画でも小説でも
演出や監督や作家はいったいいくつなんだろうと
調べてみるとこの年代が多い。

私からは一回りより少し下
うなずきながら世界を共有できるひともあれば
わかるんだけどちょっと難しいじゃないか、と
思うこともしばしばだ。

わが町には、“芸術的な映画”専門の
ミニシネコンがあって
長い伝統を標榜している。
このシネマでは、座席は予約できず
売り場で買ったチケットに番号がついていて
上映十五分前にその順番に入室するしくみである。

映画館の周辺はオフィス街なので
早めに購入して時間待ち、をするにはやや不向きだ
十五分もあるけば繁華街なのだが
また戻ってこなければいけないのは面倒
シネマのあるビルは
高くてファッショナブルな店ばかりで
中年以上の我々がちょっとひとやすみ、とはいかない。

客層は、かなりの「映画通」や、
割引があるので見に来ました、と
はっきりわかる夫婦連れだったりする。

前おきが長くなったが
オペラ映画「魔笛」を見たのはこの映画館の
一番小さい会場だった。
一時間半前に購入して一ケタの番号を確保
集合時間に会場前に行くと
売り場からのアナウンスが
「満席ですのでこれからの方は
立ち見になります」と叫んでいた。

こんな地味な映画が「満席」とは、と
びっくりして首を捻った。
たぶん、一日に二回しか上映しないからだろう。
あとは夏休みのため、一般のシネコンに
かかっている映画がほとんど子供向け、というのが
主な理由かもしれない。

一番前は遠慮して
四列目に座る。
二時間半以上なので、そうっと出られるように
通路側の席にする。
みるみる内に席は埋まりきっちり満員。
隣と腕がふれあいそうなこの感覚は
あきらかに何十年も前の記憶だ。


常連らしいひとが
始まる前から映画評を話し合っている。
見る前から評判を聞いてしまうと
ちょっと引きずられて困る気がするので
なるたけ聞かないように、する。


監督はケネス・ブラナー
娘に尋ねてみたら知っていた
まだ四十代で、役者もやれば監督もする
演劇出身の才人だとか。

モーツァルトの有名なこのオペラ
と言って名前を覚えていただけだけど…。


オペラなんてほとんど見たことはない。
(後にも先にも一度だけ)
第一次世界大戦の兵士の服装で
主役のタミーノが登場する。

広々とした野原を俯瞰したカメラが寄ると
入り組んだ塹壕の中。
これがどのように「魔笛」に繋がるのだろうか。

心配することはなかった。
音楽がなり出したとたんに
不安は吹っ飛んで、画面にちゃんと集中できた。

寓話のようなお話だから
つじつまが合わなくても平気
むっちりと胸を強調した看護婦たちは
もともとは“女王”の侍女だし
その女王は戦車に乗ってどうみても戦いの女神
びしっとしてて怖い。
堂々と劇的なソプラノである。

女王が反発しているのが
帝王ザラストロ
でもこのふたり、もとは夫婦だったみたい。

場面は突然お城に移り
これはまあ、
ここはまた別の世界
戦いなどどこに行ったか、と首をかしげるほど
暮らしの雰囲気に満ちている。

その頂点に居るこの男は
撫で肩で生真面目な風采
それほど貫禄はないのに
声がすごいのなんの
聞いたとたんにひとめぼれしてしまう。

若い人より中年に
最近は親近感を覚えるわたし。
彼ザラストロはまるで
キリストのようにも見えるから
怖い顔している女王よりも
ずっと惹かれてしまうのだ。

歌詞は難しいし抽象的だしするけれど
音楽の軽やかさと
歌手の存在感と
若々しい恋人たちの愛らしさで
楽しいと言ってもいいくらいだった。

実際に舞台をみれば
また違った感想になるかもしれないが
生のオペラを見たいな、と思ったので
映画としてはよかったんだと思う。


延々と続く戦いの中
立ち並ぶ墓標をずっと映していく場面が
たいそう印象的だった
駆け抜ける迷彩服の戦士たちと
嘆く家族の大写し
いまでもこういう光景をよく見る。
見るたびに、つらい。

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