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2008.01.26

生きることのせつなさは…「わが闇」

その土地に生まれたものは
そこで見るのが一番いいのかしら
下北沢の駅におりると
いままで知っていた東京と
まったく違う街があった。

ごく普通の商店街
ちょっとしたスーパーに
喫茶店に居酒屋、
道行く人はたいてい若い。

でもこの風景は
学生が多いわたしの街と
さほど違ってはいない。

道は狭くて曲がっている。

こんな風景を数十年前に
古い映画館の近くで確かに見た。
任侠映画が流行していたころだ。

前日に睨んだ地図では
ずいぶん離れていると思った店が、
右向いたらあったりして
ここでは緊張しなくてすんだ。

本多劇場は駅から徒歩5分ほど。
当日券を求める人が
階段の下まで並んでいる。

忙しいはずの師走に
なんでこんな場所にいるかというと
ナイロン100℃の公演を観に来たからだ。
大阪公演はあるけれど
土日しかステージが無いので
仕事を休むのはとても難しい。

2007年はケラさんの芝居に凝っていた。
これまで見たのはプロデュース公演と
脚本潤色のものだったので
いちど「オリジナル」を見たかった。
一年の終わりに願いが叶ったことはさいわいだった。

客層は圧倒的に若く
なんとなく居場所にこまって苦笑する。
また男性が多い。
トイレはこの規模の劇場のわりには
数が多く、きれいなので安心した。

ナビゲーターの役回りは岡田義徳、
口もとに皺が見られ、もう決して若くはない。
「イグアナの娘」をテレビで見たのは
何年前のことだったろう。
しかし彼の声も話し方も感じがよく
すなおに話に入っていける。

三十年ばかり前
とある田舎に引っ越してきた
作家柏木伸彦と妻と三人の姉妹

舞台は次のようにしつらえられている。
中央はいろりのある部屋で、
下手には応接セット
その裏には台所(があるらしい)
部屋の奥、階段の前には飾り棚がある。
上手の後がわに部屋(箒や掃除道具)
右手は上がりがまち、一番下手には物置。

「場」に奥行きと高さがあるのが
KERAの舞台の特徴のように思う。
表で演じられることがらと
裏(みえない場所)で起こっているできごとが
おたがいに繋がっていくのである。

舞台中央、階段の前に
降りてくるスクリーン
そこに映し出される作家の父(伸彦)
立子が求める…父
彼女は父に愛して欲しかったのだ。
だから作家になったのに、
父は娘の才能に嫉妬して、愛情を艶子に向けた。
向けられた艶子は自分を抑えて
父の思いにこたえたが、
無理は続くものではない。
彼女の反乱は、つまらない男と結婚することで終わり
彼と共に実家に帰ってくる。
(この夫の嫌味と屈折はすごい、としか
言いようがない)

艶子の仕草はうつくしい。
太り気味の鈍重にさえみえる姿なのに、だ。
おだやかでゆっくりしたしゃべりかたが
静かに諦めた生き方をあらわしているようだ。
こがらでおしゃまな三女類子は女優になった。
すっきりきれいな足を持ち
スカートを翻して元気に歩く。
家を出て飛び込んだ芸能界で
妻子持ちの男とのスキャンダルが発覚して失踪、
やっぱり行き場をなくして実家に帰ってきたのだ。

三人の母、基子は
きれいなひとだが心を病み、
覆い被さるように夫と娘たちに対する。
その激しさとしつようさに
うんざりした夫は彼女を捨て、
妻とは正反対の能天気な女と恋をする。
作家という職業をまったく尊敬していない女と。

離婚に抗って、包丁で自死する基子は無惨だ。
血まみれで妻を抱き起こす伸彦。
だが、弔いが終わってすぐに
彼は再婚し、
三人の娘は継母に育てられる。

ここまでがお話の導入部で
簡潔に、登場人物ひとりひとりの紹介が
やりとりの間になされる。

それからの家族の物語は、
春の部と
夏の部、
おのおの一時間づつで語られる。

その物語のあらすじを、わたしは書けない。
せりふにも登場の仕方にも
あらゆる細部に意味があるようなこの劇の
ストーリーを追っても
身にしみた数々の場面を語り尽くせはしないからだ。

そして三時間半の後

カーテンコールが終わる。
劇のの流れに任せて
積み上がっていく
姉妹やまたそれをとりまく人々の
日々の生活を眺め、感じ、
茫然としているうちに終わってしまった。
さやさやとふるえるこころが、
しっとりと潤ったのを
帰りの電車の中でたしかめている。

どの人物も
存分に自分の生を生きている。
ふとした仕草や視線に
こちらの気持が寄りそって
話の中へわたしも参加し、傍でじっと見つめている。

長い長い導入部
すこしづつ解かれる謎
登場したひとたちの心のありようが
一瞬に結晶するクライマックス
その時間は、短い。

思い返していてふと気づく。
この舞台はお能に似ていると。
お能ではシテはひとりだが
「まことのすがた」に至るまでの
長い問答と静かな序の舞
キリの高揚と
はたと止まる時間
それらをあてはめても少しもおかしくない。

お能の物語は、キリでとめ拍子が踏まれた後も
わたしたちの心の中で続くのだ、と思う。

「わが闇」のひとたちの話も
ある年の夏の午後の一瞬、
笑いさざめいて昔の写真を眺めているラストで
終わりではない。

ひとまず、ささやかに「生きていること」を
確かめ合ったその後で

立子はたぶん盲いるのだろうし
艶子と夫は別れるだろう
未完はここに居つづけるはずだが
若くない彼が倒れてもおかしくない
類子は、彼女はどうするのだろう
芸能活動はやめるかもしれない


義徳は売れない映像作家で居つづけるだろう
なべちゃんの突拍子もなさは治らないだろう


こんなにも「アカルイミライ」は思い描けないのに
観た後の幸福感は限りない。

小さな劇場の小さな舞台で演じられた小さな話
それがわたしに
小さくても、確かに信じられるものがあるのだと
感じさせてくれる。
日々を穏やかに、暮らしていけばいいのだ、と。

※ わたしが一番好きな登場人物は
  一家のすべてを共に「居た」
  三好みかん君かもしれない。
  四月に発売されるDVDがたのしみである。

2007年 12月26日
下北沢 本多劇場 PM2:00開場

脚本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ

キャスト
柏木立子(たつこ) 犬山イヌコ
守口艶子(つやこ) 峯村リエ
柏木類子(るいこ) 坂井真紀

滝本 悟      岡田義徳
大鍋あたる     大倉孝二

皆藤竜一郎     長谷川朝晴

三好未完(みかん) 三宅弘城
守口寅夫      みのすけ
柏木伸彦      廣川三憲
柏木基子・飛石花  松永玲子

志田潤       長田奈麻
潤のの再婚相手
・カメラマン    吉増裕士
田村・編集ライター 喜安浩平
皆藤の妹
・雑誌編集者    皆戸麻衣

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