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2008.05.16

花の鏡となる水は…「桜川」

花見時に花が見られず
残念な思いをした

とくにわが町は観光地であるので
春に出歩くのはとても体力がいる
それならいっそよそへ行こう、と
この間は山あいのさくらを訪ねた

そして今度は舞台の上のさくらを見ようと
西に向いて汽車に乗った。
意外に、神戸より西に行くことは少ない。
(わたしはほとんど旅をしないので)
新幹線ひかりも大阪からはひかりレールスターとなる

海沿いを行くといいのに
効率のせいかトンネルばかり
時々左手に光るものが見えるけれど

一度来たことがあるので
おおまかに駅からの道はわかるが
念のためタクシーに乗る。

開場してかなりたつのに
門前も受付も人が多かった。
まず座席確保に二階へ上る。
脇正面に座ってみたが
まわりに人が座ると動きにくいかな、と
中正面に移動する。
席の数が少ないのでどこからでも
間近に見られるのがありがたい。

きょうの目当ては「桜川」
シテは大島衣恵さん
輝久さんのシテか衣恵さんのシテを見たかったのだ。
外からの明かりが柔らかく入ってくるこの能楽堂、
舞台の床は磨き抜かれて
ひとの姿が映る
舞台の高さが低めなのも見やすい仕掛けのひとつだ

解説が珍しいことに笛方の帆足さんだった。
お話を聞くのははじめてである。

笛を奏でながら見る舞台は、
わたしたちとはまったく違うことがわかる。
なにせ、舞の背中を見ているのだから。


前場がたいそう短い。
橋がかりに出たシテは、
我が子の手紙を読むとすぐ
悲嘆にくれつつ
後を追って旅に出る。
鬱金と緑の装束で
若さが匂い立つような母である。
低めな声が聞きやすい。

次に見るのは広々とした境内で
可愛い子供を連れた僧がゆっくりと歩いてくる。
咲き誇る桜を愛でながら、
ゆったりと花の下に座をしめる。
子供はつっととその傍に座る。
お人形のように愛らしい。

里人にいざなわれて登場する後シテ
網を持ち、小走りに舞台に走り込み
ワキの僧と問答をする。
きりっとして洗練された受け答え。

クセの舞はひたすらに美しい。
川に散りこむ花びらを掬うすがた、
ひたむきなその横顔は
やつれてはいてもやっぱり若さがにじむ。
一面の花に囲まれて舞っていても、
我が子恋しや、とふと覚める
しんみりとかき口説くさまに風情がある。


大島能楽堂は響きがとてもよい。
笛は散り舞う花のように鳴り、
やわらかな小鼓の音色、すっきりと通る大鼓、
お囃子がひとつになって
目からも耳からもたっぷりお能に浸る。

舞台では、母と子が出会い、抱き合い
喜びのうちに故郷に帰る。
うれしいハッピーエンドだ。

観ているこちらもほっと息を吐く。
世知辛くて悲惨なことのほうが多い昨今、
せめて舞台のうえでは
不思議な時空のなかで、夢をみたいから。

ここの雰囲気は暖かくて行き届いていて大好きだ。
休憩時間はギャラリーへ。
後でゆっくり見たかったが、終演時刻が延びて
あわただしく駅まで小走り。


いつか「鞆の浦」にも行けますように。

※狂言は「清水」
茂山千五郎家の兄弟が出演
能楽堂の外まで聞こえそうな声、
呼吸はぴったり合っていてさすがなものだった。
つい、ひいきの茂さんのほうを多めにみてしまう。

平成20年 第二回大島能楽堂定期公演
      4月20日(日)12:30始

能「桜川」

シテ(桜子の母)   大島 衣恵
ワキ(磯辺寺の住職) 森本 幸治
ワキツレ(里人)     広谷 和夫
ワキツレ(人商人)   江崎 敬三

笛            帆足 正規
小鼓           竹村 英雄
大鼓           守家 由訓

狂言「清水」
太郎冠者        茂山 正邦
主人           茂山 茂

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2008.05.14

「どん底」…罪なのは、うそ?まこと?

出演者だけではなく
演出がケラさんだから、見たかったこの芝居。
ゴーリキーの「どん底」、文学史で名前だけは知っているが。
なんとなく暗そうだけど
脚本もケラさんだから大丈夫だろう、と。

真ん中よりやや後ろより、
でも全体を見渡せる利点がある。
通路にも近くてありがたい。

ケラさんの舞台のしつらえはいつもそうだが
かなり複雑なつくりになっている。
とある安宿。
中央のドアは外への通路、
その横の小部屋は泥棒ペーペルの部屋。
さらにその下手の寝台に男爵、帽子屋や靴屋は床に毛布を引いている。
のちに登場する巡礼の老人、ルカもその辺りに寝ていたっけ。
上手を見ると、すぐのベッドに若い娼婦
その横は瀕死の病人アンナの寝台。
いちばん端っこ、
押し入れのような二つに分かれた部屋の上段には
アル中の役者が住んでいる。
その前に錠前屋(アンナの亭主である)が座り、
ひがな一日鍵を磨いでいる。
その耳障りなきしみ音が一種のBGMだ。

まん中には大きなテープルがどかんとあって
そこに住人たちが集まって酒を飲んだり話をしたり。

はじめのうちは
誰が誰やらわからず、
小一時間は「この人誰だっけ?」の状態が続く。

脚本は原作とは随分変わっているそうだ。
それぞれのひとの物語とお互いの関係が
薄紙を剥ぐようにあきらかにされていく。
その絡みあいが「ケラワールド」だとわたしは思う。


ルカ老人が宿屋に入ってくるまでには
みんなの名前や日常はあきらかになっている。
いかさまばくちで稼いでいる男、サーチン、
酒飲みの男爵、その子分格でつきまとう役者、
娼婦のナスチャ(男爵の酒のでどころは彼女だ)

「こんなところに堕ちてきて」と繰り言ばかりの錠前屋は
無愛想でいつも怒っている。
妻のアンナはひどく咳き込み続け、死を目の前にして
生きることを呪っている。

彼らに比べると、
揚げ足とりの帽子屋や、すっとぼけた靴屋は
すかんぴんでも楽しそうにふらふら生きている。
また饅頭売りの女は、この中ではいちばん明るくてしたたか。

彼女の「饅頭を食って腹を壊した」と言いつのる兄弟が
「賠償しろ」と脅しに来るところが幕開けである。
ほかには、若くて生きのいいぺーペル(泥棒だけど)、
不気味な大家、
毒々しいその妻と、清楚な妻の妹。
なんとまあ、たくさん人が居ることだろう。

プログラムより
“とある木賃宿、
ここには人生への諦めしか持ち合わせていない住人たちが
巣くっている………。
誰もが訳ありげでアヤシい。
彼らは強欲な宿の大家夫妻に悪態をつきながら
互いにいがみ合い、それでもそれなりの平穏を
保ちながら生活している。

だが…不穏な空気が漂いだす。
周知の事実だった泥棒と大家の妻との不倫が、破綻しそうだと。
泥棒は…妻の妹に惹かれはじめたのだ。
さらに「謎の老人」が宿に現れる。
老人は…おしゃべりの中で
「希望」や「未来」の話をはじめる。
「何もかも失ったってねえおまえさん、未来だけは、
まだ残っているのさ」と。
老人の言葉は住人たちの心に波紋を起こし
宿の日常はバランスを崩しはじめ…。

(※…は略した部分)

筋書きを追っての感想は書けないから
思いついた順に記してみる。

まずは役者
極めつけのアル中で、むかしの舞台の自慢をするが
記憶はもうぐずぐずに崩れている。
シェークスピアの名も忘れ果てているくらいに。
ただのらくらと誰彼となく酒をたかるだけの毎日だ。

ところがそこへルカ老人がやって来て
彼の傷んだ“五臓六腑”を“無料”で治してくれる病院が
遠いどこかの街にある、と言う。
その言葉が酒にふやけた頭に衝撃を与えた。
酒を控え小遣い稼ぎをし、その小銭を持って
旅に出ようとするのだ。
まわりのみなはそんな役者を嗤う。

ある夜彼は絶頂のころに演じた芝居を思い出す。
見る人は誰もいない夜の宿屋の汚いテーブルに上って、
朗々と主役の台詞を語る彼。
過去を、引きずり出してしまったけれど
真実と向き合うのは辛い。
ルカの話も嘘だと悟って絶望した彼は
末期の酒を一気のみして、広場で首を括る。

役者の末路は、ルカがみなに語った小話と対応している。
「心高潔なひとが住む“真実の国”を求めて
貧しい暮らしに耐えていた男が、
その国の有る土地を知りたいと望み、
そんなところは無い、のだと悟った夜に首を吊る」
哀しいが残酷な挿話である。

彼の最後を目撃していたのは若い娼婦だ。
安物の恋愛小説をネタに悲恋の主人公になることで
日ごろの憂さを耐えていた彼女。
しかし彼女は「本の世界」はフィクションである事を知っていた。
だからこそ荒れ狂い、
持っていた本を踏みにじり外に飛び出した。
彼女が死ななかったのは
「嘘」をつっかえ棒にしていると知っていたからである。

インパクトが強いのは
極貧の人びとから金を巻き上げる大家、
死人のように青白い顔つき、。
もったいをつけた言い方もいやらしく、
あこぎな取り立てで住人たちに忌み嫌われている。
最後にははずみで死んでしまうのだが
だれ一人惜しむものはいない。

巡礼のルカ老人を演じるのは段田良則、
「薮原検校」でその芸達者ぶりは知ってはいたが
声やしぐさのすばらしさ。

物わかりのよいこの老人、ある時は神父のように
住人の愚痴を聞くやさしい無害な男にみえる。
しかし、こんな侘びしい木賃宿に来る流れ者であるから
ひょっとすると犯罪者かもしれない。
それを匂わせる会話が、家主とのあいだにかわされる。

でも肝腎なのは
彼が来たために、人びとの運命が変わってしまったことだ。

たとえば、泥棒のぺーペル。
若い彼にルカが「こんなところから出てどこかで
人生をやりなおしたらどうだね」とさえ言わなければ、
彼はナターシャにプロポーズしなかったろう。
彼女を得るためにぺーペルは律儀に
不倫相手のナターシャの姉、ワシリーサに別れ話を持ち出すのだ。

清純なナターシャも同じようにルカの言葉を聞く。
ぺーペルを愛しているのに
どうしても信じられなかったナターシャ。
彼女はぺーペルが姉と共謀して義兄を殺した、と思いこみ、
警察にぺーペルの罪を告発する。

確かに突き飛ばしたのはぺーペルだが、
なぐりかかったのは大家のほうだったのだ。
嫉妬したばかりにナターシャは
恋人も姉も自分も失う。
町外れの沼のほとりで、奇妙な笑いを浮かべていたのを
目撃されたのが最後の姿だった。

いっぽうしょっ引かれたぺーペルは
“うなだれたまま一言も口を聞かず
背中はむち打たれて傷だらけになっていた”と字幕が語る。
江口洋介が颯爽として演じただけに
見えないその姿が哀れである。

サーチン、このイカサマ師は
ある夜ルカに自分の過去を語る。
大学生のとき、飲みすぎて調子に乗り
組合事務所にカンテラを投げ込んだと。
そこに居た人びとは焼け死に、彼だけなぜか捕まって
23年という長い月日を監獄の中で過ごした。
死者の中にはサーチンの父が含まれており、
刑は勤めあげたものの
彼は父に対する罪の意識を持ち続けていた。

口に出したことで幾分気が晴れたのか、
以後の彼の話し方は
どこかルカを思わせるようになった。
穏やかなやさしげなところが。

そしてアンナ
日がな愚痴を言い続け激しく咳き込み
それでも夫の言うことには逆らわないあわれな女。
このみじめな木賃宿に来るまでは
どんな夫婦だったのだろう。
今は、何を愚痴ってもみな右から左で
死ぬことへの恐れを必死に訴えても
だれも耳を貸さない。
ルカだけが、繰り返し繰り返し
天国の安らかさを、説き聞かせる。
憐れみに満ちたその言葉のおかげで、
だんだん彼女は落ち着いてくる。

なのに、吐息をついたその後に彼女は言うのだ。
「(天国が)そんなにいいとこだはよくと分かったけど
もう少しだけ生きていたいねぇ」と。
なぐさめのない人生でも、もう少しの時間が欲しいと
ひとは思いながら終焉を迎えるのだろうか。
またその声は愛らしく美しく、
嘆きの時さえ音楽のような抑揚をもっている。


一方に元気いっぱいな万頭屋が居る。
ここの暮らしにへこたれず、あり得ぬ夢もみず、
過去に苦労をしたけれど、忘れて見ないふりもせず、
ただ、市場で饅頭を売って生活の糧とする。
現実と確かに折り合いがついているのだ。
彼女が登場すると、漂っていた悲哀が薄れ、
喜劇的なやりとりに、住人たちですらやんやと喝采する。
最後の場面では大家の親戚である元警官と結婚し、
「大家夫人」として姿を見せる。
たった一度、彼女がかなしい声を出したのは
ぺーペルが縄をかけられて連れ去られるときだった。
明るさの底にある翳をかいま見せた瞬間である。


テーマソングが「カチューシャの歌」
歌詞は昔のそれとは微妙に違うが、
哀調のなかにも希望を感じさせる歌である。
四人の楽隊が(トランペット、サックス、太鼓、アコーディオン)
辻音楽師の扮装をして演奏する。

三時間半の芝居の最終場面

嫌な訪問者をみんなで追い出し、
気持が通い合った住人たちが楽しげに歌う。
行進曲のように勇ましい「カチューシャの歌」を。
リフレインが続いて盛り上がったところにドアが開き
暖かい空気を裂いて娼婦の絶叫が響きわたる。

「役者が首を括っちゃった」


夢みるだけではひとは傷つかない
嘘はしばしばひとを傷つけるが
真実はもっとひどくひとを傷つける

人と人の関係が奏でる響きを彩るのは
風や雨や雪だ。
痛い音をたてて吹き
激しく戸を叩いてひとを気落ちさせる。

ただ雪は、雪だけは
惜しみなくきらきらといつまでも降る。
凍えないためには、もう一度歌わなければ。

2008年4月15日(火)13:30
シアターコクーン
「どん底」 脚本・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

CAST
ルカー(巡礼)       段田 安則
ぺーペル(泥棒)     江口 洋介
ワシリーサ         荻野目慶子
ナターシャ(その妹)   緒川 たまき
大家             若松 武史
サーチン          大森 博史
錠前屋           大鷹 明良
アンナ(錠前屋の妻)   池谷 のぶえ
帽子屋           マギー
男爵             三上 市朗
娼婦(ナースチャ)     松永 玲子
万頭(クワシニャー)    犬山 イヌコ
メドヴェージェフ       皆川 猿時
役者             山崎 一

兄と呼ばれる男      あさひ7オユキ
弟と呼ばれる男      黒田 大輔
靴屋             富川 一人
衛生局の男        大河内 浩

浮浪者(ミュージシャン)
   トランペット      鈴木光介
   サックス        日高和子
   アコーディオン    高橋牧
   パーカッション    関根真理、石川浩司 
  
   他

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