2007.09.14

ここちよい夢(なんとも珍しかったので)

明け方、うつらうつらしている間に
じつにくっきりした夢をみた。
夢をみていると分かっているのに
目が覚めるところまではいかない。

その夢が
苦しいのならもがいても起きるのだが
こころがやわらかになるような
優しい夢だった。

『コの字型の建物のなか
お芝居を見に来たわたし。
この劇は観客も参加のものらしく
しかも舞台はなくて
建物の部屋全体が劇場であり舞台である。

部屋から部屋をめぐる。
扉は四方八方にあって、小さな部屋の次に
どかんと大広間があったりする。
誰もいない部屋もあり
たくさんの人が座っていたり
賑やかになにかが演じられていたりする。

路を間違えると外に出てしまい
ひろい庭から建物を見上げると
翼の片方はチョコレート色で
もう一方はコンクリートの打ちっぱなしだ。
両翼とも同じ高さである。

気を取り直して中に戻る。
西洋風の部屋だけではなく
日本庭園と畳の間の一画もあって
長い廊下が綺麗に光っている。

「能舞台」もあるのだ、と歩いているひとが
言い合っている。
それなら大好きな
○○さんがいらっしゃらないかな、と
思いながら歩いていくと
まったく人の気配がなくなって
戻らないとまた外へ出そうだ。

小さな扉(まるでアリスがくぐったような)から
よっこらさと出るとすっと目の前を影がよぎる。
ついていけば
催し物のあるひろいスペースに出られるだろうと
急ぎ足になる。
角を曲がると、影はまた次の角に居る。
そんな追い掛け合いを繰り返し
最後に着いたのは

十四五人も居ようか、という会議室のような部屋。
飾りも何もないけど
ここでは目の前でお芝居が見られるそうで
反対の隅に、
テレビで見たことがある太った俳優が
座っている。

わたしの座っている席から
通路をはさんだ向こう側は
確かに見覚えがあるひとで
大好きなアイドル本人にちがいない。

青みがかったラベンダーの色のシャツ
ごく普通でフリルも何もない。
いつもはもっと派手なのにな。
下は黒っぽいボトムである。
こんな近くに、と思うと嬉しくてほんわりとした
気分になる。
近くのひとと話しているのだが
内容も声も聞こえない。

でも、わたしが話してもいいらしい
だってこれもお芝居のうちなのだから。
ほのかな気配を感じながら座っている。

そうしているうちに周りがすこしづつ明るくなった』

色つきの夢はたまに見る。
映画やテレビの影響あり、という夢も
しばしば見る。
でも覚えていることは少ないし
楽しいばかりのものもあまり無い。
どちらかというと
追われていたり、困っていたり。
あんまり素敵な夢なので
しばらく覚えておきたくてメモした。
(2007年9月14日早朝)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.08.25

予告編

千円DAYでなかったら映画に行かなかったろうけど。

予定が急に変わったので、ぽっかりひまになってしまい、
「妖怪大戦争」をみてきた。
もうひとつ、「皇帝ペンギン」も候補だったが、
神木くんに敬意を表することにした。
なにぶん、大河ドラマの義経のこども時代が、可愛いかったからね。

夏休みで映画館は子供で満員だった。
最近は前売りにえらく力が入っているようで、
たまに行ってもいい席は空いてない。
ネット会員になろうか、と思うが
一年に見る映画は3本がいいとこなので、
無駄なような気もする。

端っこの席で、ひざ掛けも用意してあるので、
くつろぎながら予告編を見る。
これらがなかなか面白い。
(この映画館は松竹系なので「蝉しぐれ」は無かった、残念)

ディズニーものと、
ハリ・ポタ
(ハリーが青年になっちゃった。顔がずいぶん変わっている。)
SHINOBI
(昔の映画のように鮮やかな色彩で、思い切り悲恋ものの予感)
これは来年の目玉
「ナルニア国物語・第一章・ライオンと魔女」
活字で読み、挿絵に親しんだものにとって、
すべて映像に直してみせてくれる「映画」は、
イメージと違うことも多くて、おそるおそる、という
感じで見に行くことが多い。

最近だと「指輪物語」

CGでどんな不思議なシーンもつくれてしまうのだから、
いつかは「ナルニア」も映画になると思ってはいたが。

“アスラン”(ライオン)をどうするんだろう。

すぐに答えが出た。
山頂で吠えるライオンが居た。
CGだ、などと思いながら
見て楽しいかな、と自問自答する。

でも結局見に行くだろう。
自分の頭の中にあるイメージを確かめるために。
想像できない部分を補うために。

以前はわりに好きだったディズニーの特撮だが、
特殊メイクでできあがる、ゴブリンだの、魔物だのが
親しみにくくなっている。
アニメでも然り。

どうせ見るなら宮崎作品、になってしまう。
世界に入っていけるからで、「ハウルの動く城」で
舞台があきらかに“西洋”であっても、
主人公ハウルの部屋には、どことなく日本の少年ぽい部分があって、
抵抗なく彼に同化できるからだ。

「ナルニア」では、
私の好きな末っ子ルーシーが、
『衣装たんす』を開ける場面が映った。
扉の中は別世界。
吊り下げられたコートの間から雪景色が見え、
街灯がともっている。
初めて読んだときに感動した景色がそのままだ。

心配なのはこれから登場する「ものいうけもの」や
「こびと」や「魔女」たち。
すぐに「フォーン」が登場するはずだ。
もし彼の顔立ちが、想像とは違っていたら、
いくらストーリーに忠実でも、
私の感動は半減するに違いない。

映画化されると原作がどっと売れるから、
それはそれでよいのだけれど。
こんなに素敵なファンタジーはたくさんのひと、
特に子供に読んでほしいから。


東宝系の「蝉しぐれ」、
こちらは市川染五郎主演だ。
最近、縁があるなあ。

でも、藤沢周平作品の精華であるこの話の映画化で
見たいものは「海坂藩」なのだ。

風景が見たいと思うようになったのは少し前からで、
旅をしたいと切に思う。
かなわなければ、映画でいいから、
昔の鶴岡のまちをみたい。

そのためには、せめて映画館まで行く努力は
必要だろうな。
大きな画面で見れば、ピントの合わない老眼にでも、
生き生きと長屋の裏の川べりや、
神社や、道場が迫ってくるだろうから。

家のテレビでは、サイズが小さすぎ、
日常の物音に囲まれていては、
タイムスリップできない…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.08.09

舞楽と夕陽

きっかり七時から、講堂の前庭で舞楽が始まる。
まったくはじめてなので
退屈かもと心配になる。
075-bugakukaijou-irikuti

低い舞台の両脇に客席があり、
奏者は講堂の正面にずらりと居並ぶ。
まんなかに「太皷」
(「富士大鼓」や「天鼓」で観たのと同じ)
040-taiko

挨拶と振鉾(えんぶ)のあとは献灯献茶。
浴衣姿の女性が舞台を通り抜けて宝前に茶、菓、花、を
供える。

そのときに奏でられるのが「越殿楽」(えてんらく)=盤渉調=
だった。
迫力がすごい。音が空から湧き出てなだれ落ちてくるようだ。
笙、篳篥、鞨鼓、竜笛、それに太皷に鉦鼓。
西洋音楽のハーモニーとは違って音の幅がある。

お能のお囃子を聞いたり、東儀さんのコンサートに行ったりして、
和の音階に慣れていたせいか、
メロディーが無くても音のシャワーを浴びているだけでなごむ。

「舞」は、ゆっくりと足をあげたり、ぐるりと回ったり、
眠くなるようなおおらかさに満ちている。
華麗なのはその装束で、振鉾(えんぶ)では、朱の舞人と
黄緑の舞人が、承和楽では、全員朱色の人たちが、
064-syouwaraku2
071-karyoubin-yokonaga

「迦陵頻」(かりょうびん)では子供たちが、
作り物のの羽根をつけ尾を引いて、舞う。

源氏物語の場面を思い出す。
よく舞った舞人には褒美が授けられるのだったっけ。
緩やかで物憂げな旋律が続く。繰り返しと見えて、僅かに
手や足の位置が違ったりする。

カメラ許可なので、客席横に三脚を置いたり、
望遠レンズを構える人たちがたくさん立っている。
舞楽協会はプロではないから撮ってもいいということだ。

もう少し時間があれば全部みられたのに。
(源博雅作曲の舞もあったのだ)
半分を残して席を立つ。


この日、もう一ヶ所尋ねた場所があった。
「家隆塚」である。
彼が庵を結んだのは四天王寺前の道路を挟んだむかい側(南側)
ちょっとした樹木と石碑があるだけの場所。
“波の入日を拝”むために、ここにやってきた家隆卿。
彼は世渡りが下手で、後鳥羽上皇に忠誠をつくしすぎたため、
昇進もしなかったと何かで読んだ。
008-sekihi

塚の場所を知ったのは、司馬遼太郎の「燃えよ剣」にあったからで。
<土方歳三が恋人お雪と別れを惜しむのが、
ほどちかい「くちなわ坂」の宿>とある。
くちなわ坂は天王寺七坂のひとつ、と案内板に書かれてあり、
坂の上からのぞき込むと急な石段がうねうねと下っている。
009-kutinawa-saka

このあたりがかなりの高台だと、坂をみてよくわかった。
その続きの四天王寺の境内で入日をみて観想することは
とても自然なことにおもえた。
007-tuka-ookinaki

“ちぎりあれば難波の里にやどり来て浪の入日を拝みつるかな”

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四天王寺へ

四天王寺に参ろうと思った。
「弱法師」を観たから。
014-torii-bonji

現地に行ってみたかった。
暑さの盛りではあったが、石の鳥居が見たかった。

地下鉄の「四天王寺前夕陽ケ丘」駅、地上に出てたったの5分。
たまたまこの日は
「篝舞楽」という催しの当日で、

かいわいにはお定まりの提灯が軒々に、
大阪にしては地味な商店街の道の切れ目をのぞきこむと、
そこが西門、石の鳥居。
015toriikara-minamiwonozomu
016torii-ooutusi

境内に入ると、広やかで、空がすっぱり高い。
弘法大師像も親鸞像もあっちとこっちにあって、
ここはなんでもありなのか、不思議なことだ。

五重塔がすっくりと色彩を残して建っている。
この明るさは奈良の寺々に似ている。
そうだった。ここは聖徳太子が建立した本邦最古の寺。
すべての寺のおおもと。
021-gojuunotou

石の鳥居は大きい。
行けば何かの催しがあるこの寺に、
杖をつきつつ「弱法師」もお参りに来たのだろう。
本堂に入る門はそれほど大きくも威圧的でもなく、
薄れた赤が似合っている。
030-keidai-hirobiro

かっても、扉が開いたときに、喜捨や施行が行われたのだろう。
門前の広場のあちらこちらに、
あきない人や芸人が客を引きつつ集っただろう。
そんなことを思いながら夕暮れる空をみていた。

夕陽はやや北側に落ちていったが、
春分のころはあやまたずに鳥居の向こうに沈むだろう。
ひろい寺のどこからでも、
夜に紛れて、弱法師の一行は南へ旅立てたことだろう。
029-nisioomon-zankou

風が吹き抜けて少し暑さも和らぐなかで、
「舞楽」見物の列に並んだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.08.08

空色の塔

東京に行くときはいつも緊張する。
まちに圧倒されてしまうのだ。

渋谷の駅から見上げた、円い塔のようなビルは、
砦のようだった。
002-tawa-2

セルリアンタワーはホテル。
その地下に能楽堂がある。
エスカレーターで、下へまた下へ。
010-esukare-ta-

地下2階だったか3階だったか、はるばる下りたそこは、
絨毯が敷き詰められ、照明も穏やかな地底空間。
いつも通っている能楽堂と比べると見所はこじんまり、
コンサートホールのように残響がいい。

どの席からもよく舞台が見える。
難を言えば傾斜が緩いことくらい。

そんなに設備がいいのに、
お能は素晴らしかったのに、
来年もここで友枝さんのお能が観たいのに…

この能楽堂は苦手。
何故だろう。
外の空気が入らないからか。
余分な雑音はないが、
風も空も樹木も、「野外」にあるものがまったくない。

いやそれだったら、普通の会館の能楽堂だってそうなのだ。
でもにここには、「借景」が無い。
外に出たら山が見えたり、お城があったり、
中庭があったり、

どこもそれぞれに、お能を観る雰囲気に入っていける要素があった。
でもここは、いまふう過ぎて。
鏡板の松も鮮やかな緑。
照明も電球色に統一され、演者の装束、鬘帯の模様もくっきり。
005-butai-matu

なのに、橋掛りの板がぎしぎしいって、
照明が暗くて椅子もよくない、いつもの能楽堂が恋しかった。

公演を重ねれば舞台の板に観客の気持がつみ重なって、
優しい能楽堂になってくれるかもしれない、
それを期待しよう。
017winesabaku
020nomimono2-madoari

と思いつつひと休みした40階ののBAR兼TEAROOM。
下をみおろすと、テレビでみたまんまの風景があった。
記念に、薄青色のスカッシュを飲む。
来年も来れますようにと念じて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.26

昔をいまに

今年の祇園祭で、
「放下鉾」の提灯のあかりに
発光ダイオードが使われた、と読んだ。

ゆらゆら揺れるろうそくのあかりによく似たゆらぎがあるらしい。

先日、ネットで買った「電子風鈴」
「花鳥風月」シリーズのうちの“風”なのだそうだ。

五種類の音(風鈴、せせらぎ、水琴窟)が選べる。
この風鈴の特色は
風に反応して鳴ること。

もちろん機械的に鳴らすこともできる。
その場合は、ゆらぎのリズムで鳴るそうな。

昔のあかりや昔のおと。
なくしてしまったあれこれをいま呼び戻そうとして、
ハイテクが使われつつある。

なくなってはじめて感じるものさびしさ。
自然と切れてしまうことに、私たちは無意識に怖さを感じているのかもしれない。

かくして、すすも出さないろうそく風あかり、扇風機の風程度で反応してくれる、
やかましすぎない風鈴が売れるわけだ。

もともと自然は過剰なものをいっぱい持っているはずなのだが、
それを知っている世代は消えつつある。

私とて
子供のころはザリガニ取りも、栗拾いも、およそ野外で遊ぶこと自体が
苦手だった。
学校の行事、だから「飯盒炊爨」に参加した程度だ。
それがいまは、できるだけからだで感じたいと思っている。
探せばまだ風の音が聞こえる谷川や、
観光客が少ない古寺がある間に。

先日の「ろうそく能」は、本物のろうそくで、
何人ものひとが、灯をのぞきこんでいた。
ふるふると蝋の匂いがする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.17

訂正(祇園祭)

「祇園祭」についておおきな思い違いをしていた。
山鉾の巡行に至る一連の行事はいつもメディアで取り上げられるので、
それが祭りの全体だと思ってしまっていた。
ato006-gunnsyuu

実は、お神輿も出るのだった。
まちなか生まれの人の話を聞き、
仕事帰りに八坂神社へ。

かろうじて歩けるがそれでもかなりみっちりの人出で、
すり抜けて交差点に着くと、
三基のお神輿が並んでいた。
どれもぴかぴか金色で新しげで綺麗。
ato018-mikosi-tyuu


ハッピ姿の男の人がずらずらーー。
子供神輿も一基あり、小さい子たちも大人と同じ身支度をして
おとなしく待っている。

祭神はスサノヲのミコト、櫛稲田ヒメ、八柱のミコガミ、の三体。
“よそ”のお祭りをテレビで見ていて
なぜ自分のまちのお祭りは悠長なのだろう?と
思っていたが、
なんとまあ、掛け声も華やかに
お神輿は神社の前でぐるぐる「差しまわ」り、錺の鈴の音も
じゃらりんしゃんと賑やかに、
大きな通りから外れて細い路地を入って行く。
ato019-semaimiti-no-mikosi

疏水の流れにかかる橋を渡るもの
南の祇園町の真ん中をとおるもの
三方向に分かれて、ぐるりと繁華街の外側を回って
「御旅所」に落ち着く。
そこの地名は「寺町」といい、御所のあたりからずーっと
お寺が北から南へ並んでいて、
昔はまちはずれだったようだ。

七日間とどまったのち、再び神社へ還る祭りがある。
さらにそののち、賀茂川でお神輿を洗う
「神輿洗い」の儀があって、
七月が終わるとき、祭りも終わる。
丸一ヶ月、京都は祇園祭に明け暮れるのである。
056-naginata-maekake

じゃあ、山鉾巡行はなんだったの、と仔細に神社の
HPを読んでみる。
あれは、神様たちが通る道すじのお祓い、魂静めの役割と
書いてあった。
祭りの昼の顔(巡行)と夜の顔(神輿渡禦)
さしずめ宵山は本番前の衣装見せ?

はじめて祇園祭がわたしのなかで像を結んだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.07.07

草花たち

植物園はおおまかに五つの領域に分かれている。
わたしが尋ねたのはそのひとつ
「宿根草・有用植物園」コーナーである。

「ノコギリソウ」の花があった。
ファンタジー「ゲド戦記」の第1巻で、
主人公のゲドが、ほのかに思いを寄せる少女の名前だ。

「ノコギリソウ」は通称。
ほんとうの名前はめったにひとには明かされない。
生き生きとした愛らしいひとだと語られている。
037nokogirisou-hukusuu


花の「ノコギリソウ」は太陽の色で、
びっしりと小さな花が集まっているのが、
想像とは違っていた。
(ささやかで可憐な花だとおもっていた)
丈も高くてコスモスくらい。
風が吹くとゆうらりと揺れる。


もうひとつ出会ったのが「蓮」の花。
「大賀蓮」と名札があった。
お話の本で読んだことがあるなあ。
千年以上前の地層の中から発掘された実を栽培して、
見事花が咲いたそうな。まるで花咲爺さんのようなひとが
大賀博士で、蓮にその名がついている。
(この鉢は咲いていなかった)
047ooga-hasu

池にも蓮や睡蓮。

048hasuike


そのかたわらにアマリリス。

052amaririsu-aka

顔見知りの花は
親しみやすく
新しいものは珍しく、

カメラに収めて帰れば覚えていられる。

いいことずくめなのだが、ひとつだけ問題がある。
体力が要るのだ。
ここのように歩きやすく、行きやすくても疲れるのに、
これが、郊外や山すそだと(つまりお寺や祭りや名所なら)
どれほどの疲労が溜まることやら。

急にあれもこれもと無理せず
歩きやすい季節にほんのちょっと足を伸ばし、
カメラを片手に散歩ができるようになりたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.07.05

さくらの苑

桜をたっぷり見ようと思ったら、
名所に行くより植物園のほうがいい。

賀茂川べりで空気はいいし、
観光客相手の店も無い。(ちゃんとお弁当を用意すべし)
008irikuti

新聞でみた今のお薦めは「時計草」だそうだ。
カメラおばさんに変身中のわたし、
交通の便もいいものだから、それっと出かける。
曇り日のほうがむしろ写真にはいいと聞いたので。

誤算は、
晴れ間が出たことである。
言葉もないほどの暑さ。汗が噴きだして腕を舐めると塩辛いほど。

園内を歩いている間に思い出したことがある。
母は仕事を持っていたので、こどものころは
一緒に連れ立って遊びに行った記憶はほとんどない。
021onsituike

ただ、とある春、
わたしは中学生だったか、高校生だったか判然としないが、
桜咲く植物園に来たことがあった。

そのころ母はいつも気分が悪く、疲れやすくなっていて、
ぼんやりしたわたしにも、
「どうしたのだろう」と気がかりだったものだ。

桜はみっしりと満開で
どの枝もゆらゆらと重たげに花をのせていた。
歩き回ると疲れると言って、ベンチに座りっぱなしで、
珍しく母が自分のことをしみじみ語った、という記憶がある。
024sakuranomori

しばらくして、健康診断で見つかった結核の再発。
母の気落ちは言うまでもなく、
家族は息詰まる日々を送った。
(この写真は今の季節の桜の森)

だるそうに桜を見ていた母の姿を、
ここに来てふと思い出した。
(母さん、いくつになっても気が利かない娘でごめん)

さてと、
一画だけでも被写体(花)だらけ。
061tokeisou-doappu

滞在時間は僅か一時間だった。
思いがけない花との出会いもあったがそれはまた別の日にしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.06.29

あじさい寺

梅雨の花“あじさい”
せっかく近くに名所があるのに、と思い。
mimurodo-sekihi

幹線道路を横切って、
山手がわに少しのぼっていくと、
目当ての「三室戸寺」でバスプールに観光バスがてんこもり。
そうそう、「西国三十三ヶ所」の札所だったんだ、ここ。

山はまろやかで低いが、緑はいっぱい。
なかなか急な坂道と石段をぎこぎこと
手すりにつかまって本堂に到着。
朱印を押す窓口は満員なり。

池の代わりか、はすの鉢がたくさん置いてある。
珍しい種類のものもあるとかだが、
開いているのが少なかった。
時期が早すぎたようだ。
mimurodo-hasu

目玉の「あじさい庭園」(夜にはライトアップ)は
傾斜を利用してぐるぐると行ったり来たりになっており、
見物客の頭が丈高いあじさいに遮られて、
人の多さが目立たないようになっている。

がくあじさいがとても綺麗だった。
いろとりどりなのは、丹精の成果のようで、
(土の質によって花の色が違うんだったっけ)
風が吹くとざわざわじゃなくがさがさと揺れる。
mimurodo-ajisai-yokokara

ゆるゆると下りてきて、
回転ドアから外に出ると、そこは駐車場で、土産物屋がずらり。
観光バス待ちの客が鈴なり。
聞いたことのない名物漬物があり、
宇治に近いからか「茶」だんごや「抹茶」ういろうなど、
「茶」ものがたくさん。

庭もよかったが、このちゃっかりが楽しかった。
呼び声もまるで市場

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧