ひともとの桜に惹かれ

「根尾の薄墨桜」名前は聞いたことがあったが
どこにあるのか、どのように行くのか、は知らなかった。

今年はその桜を見よう、と決めたのは
職場での雑談で
“青春18切符”の話が出たから。
楽々往復できる、と聞いたから。

インターネットで調べてみると
満開予想は、18切符の期限である4月10日頃だった。
本巣市のホームページで
毎日の開花状況を見ることができるし、
経路も時刻表も検索できる。

なのに、やっぱり活字のほうがいい。
三月改訂の大型時刻表を買い
ページを繰ってメモ書きする。
すでにその時から旅が始まっているのだ。

あまり満開近い時に行っても、
人出が多くて、写真が撮りにくかろう、と予想して
早めに樹の下に立ちたいと思った。
決心したのは急に暖かくなって開花が早まったとき。

とにかく行ってしまおう、と
仕事に行く日よりも早起きして、
最寄りのJRから新快速電車に乗り込んだ。

東海道線を新幹線以外の列車で「上る」事は少ない。
ゆったりと草津、野洲、彦根、と過ぎる。
左手の琵琶湖と、高みに見える伊吹山がうつくしい。

終点は米原。
ここから大垣までは、列車の本数が非常に少ない。
一列車乗り遅れると、後まで響く。
18切符組の高齢者がひとかたまりになって
移動している後をついてゆく。
山歩き用の格好のひとばかりだ。
第三セクターの樽見鉄道の乗り場は
改札を出なくてもよかった。
いちばん端っこのホームだったのである。


たった一両で走る。
桜のある樽見駅まで一時間、
ゴトンゴトンと昔懐かしい音をたてて
ゆっくりゆっくり走る。
むろん単線で、途中の駅で時間待ちをする。

ひとり旅なので、乗り合わせた人の話を聞くのも面白かった。
行きの電車では各務原のお寺にある藤の花のことを聞いた。
白と紫と薄紅色、いちどきに咲くと
それはみごとだそうである。
帰りにはヒマラヤの近くからやってきた桜の話。
その樹は伊豆の伊東にあって
咲くのは冬のはじめとか。


終点の樽見駅は真新しくログハウス風だ。
電車はカラフルな色合いでかわいらしく、
降りて早速カメラに収める。
メインストリートというほどのものはなく
貰った地図には
農協と郵便局と喫茶店、クリーニング屋と信用金庫、が
駅の近くに集まっている。

ここでは川幅も広くゆったり流れる根尾川を渡り、
近道のコンクリート造りの階段を上って
屋台の横を抜けるとま正面に桜があった。


樹はどっしりと、根元近くには
こぶがたくさんできていてふつうに見る桜の幹の
何倍もの太さがある。
そこからふとぶととした枝が出、
枝はたくさんの支柱でささえられている。
ほとんどがつぼみではあるけれど
枝の先にほんのちらほら、開いた花がみえる。

まわりは流れや池をしつらえて
きれいな公園になっている。
予想通り人出は少ない。
だから思う存分、桜を近くで見ていられる。

まわりは人が踏まないように
ひろく円形にロープが張ってある。
桜が疲れないように。

樹齢が千五百年、と説明書にある。
「継体天皇お手植え」と。
お能に「花がたみ」という曲がある。
このあたりはそれに登場する
「おおどの皇子」(後の継体天皇)に所縁があるらしい。


ヤマトに迎えられて天子になった皇子が
形見として置いていった
「花かご」を持って後を追った女のものがたりである。
彼女=照日はめでたく帝となった皇子に出会い
舞を舞うことで目に留まり
宮に迎えられたのだ。

天皇が急な召しによって旅立つ前に、
身代わりに植えた桜が
いままで命永らえているかと思うと
気が遠くなるような話である。

敷地の隅に「さくら資料館」が建っていた。
気軽に入れる料金(三百円)だったので
ちょっと入って風で冷えたからだを温める。

一時は枯れかけていた薄墨桜を再生するための努力が
パネルで示されている。
作家の宇野千代氏のことや
老衰していた桜に、若い樹を継いだひとなど。
何よりもここまで桜を世話してきた
地元の人びとの苦労が偲ばれる。

土産ものは桜づくし
(桜饅頭、桜羊羹、桜茶…)
それと山菜や椎茸などの山里のもの
食堂ではうどんやぜんざいが売れ、
たこ焼き屋に列ができていた。
桜の季節はみじかい。
ほんの半月ばかりの名所だろうが
陶器の店、染め物の店などが軒を並べているが
所々、シャッターの降りた店があった。
満開のときには全部の店が開くのだろう。


帰りは道を間違えて別の橋を渡ってしまった。
道を聞こうにも人通りはなく、
駐車場の案内をしているガードマンに問うても
「わたしは“ここらあたりの者”ではないので」と
首をかしげられる。
なんだか狂言ぽくて、慌てているのに笑ってしまった。

橋を渡ったところで
自転車に乗った地元の人を見つけ
ようやく見覚えのある通りにたどり着き、
見上げると駅に止まっている列車が見えた。


帰り道、渓谷の景色を眺めているうちに
資料館で見たパネルを思い出した。
幕末の“水戸天狗党”事件、
京都へ請願に行くべし、と立った人たちは
幕府側につく大小名の軍と諍いを起こさぬため
根尾の谷から険しい山を越えて
越前に出るコースを選んだという。


桜のかたわらから見ると、遠くに
四月なのにまだ真白く輝く白山の峰がみえた。
この川沿いを彼らが歩いたのか、と思うと
桜はそれを知っているのだと思うと、感慨深い。
歳を取るのも悪くないな、と感じるのは
こんな瞬間である。

よい花見ができた。


桜の満開のさまは市のホームページで見た。
ゆきのように白い花が「こぼれんばかり」で
格別に花が多く、綺麗だとあった。

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大原散策

高野川に沿って走る京都バスの
乗客はほとんど最終の大原まで。
春のシーズン直前、平日を選んでよかった。、
なんとか座れたもの。

ターミナルから三十分、
思っていたより近いのだ。
途中八瀬から大原の里に入る手前で
しばらく人家がなくなり
バスは山と山の間を縫って走る。
比叡から続くやまなみが
おおい被さってくるようである。


小綺麗なバスプールで地図を貰い
まず三千院方面をめざす。
ずっと昔に一度きたはずだがすっかり忘れている。

右手に流れる渓流に沿ってずっとゆるい上り坂である。
左側には土産物屋が並ぶ。
このパターンは貴船でもそうだった、と
ちらちらと見ながら歩く。
ほとんどの店が「柴漬け」を置いている。
さすが大原…。

少し開けた場所に立て札、
三千院方面、へ石段を上がると
門前にずらりと土産物店が並ぶ。
柴漬け屋だけではない。
甘味屋、八つ橋店などなど、食事もお土産も
一通りここで全部間に合う。

三千院は後回しにして
まずいちばん遠い勝林院へ。(と言っても徒歩五分)
朱塗りの橋がかかった小さな川を渡るとすぐ。
拝観料は三百円、事務所には誰もいなくて
入り口に置いてある鉢に入れる。

境内は静かで広々。
本殿は古いが均整がとれていて、
階の下にスリッパ入れが…。
何でもセルフなのが微笑ましい。
ほとけさまは耳が長くて大きく笑っているようにみえた。

ここはあと池の横に鐘楼があるだけ。
だからかな、観光客も少なくて貸し切り状態。
ボタンを押すと“声明”のテープが流れる仕組み。
終わるまで段に腰掛けてひとりでゆっくりと聴く。

次に訪れたのは実光院。
ちょうど勝林院と三千院の間にある。
玄関に銅鑼があって、
「拝観の方は敲いてください」と書いてある。
こちらは拝観料六百円也、おうすとお菓子付き。


お寺のひとがやさしげで丁寧である。
こじんまりと整って
手入れが行き届いたお庭である。


南側にあるもうひとつの庭は庭用の履物で下りる。
こちらは茶花がたくさん植えられていて
写真好きには嬉しいことだ。

実光院の向いには
後鳥羽天皇と、順徳天皇の御陵があった。
流離の地からこの大原へと没後に戻ってみえたのか。
しかしここも都からは隔たったさびれた場所であるが。


最後に本命の三千院。
昔来たときには、すてきなお寺だと思ったのだけれど、
年取ったいまはそれほどの感動は無かった。

ほかのお寺より一段高いところに門がある。
建物は広くて立派、展示など行き届いている。
お庭は、まっすぐ伸びた樹々の作る
縦のラインがみごとだ。
ご本尊はふくよかで、脇侍のみほとけが二体とも
正座なさっているのが珍しいそうな。
庭もひろびろで観光の人も格段に多い。

花の季節にはすこしだけ早いせいで
お庭はあっさりとしていた。
小さな石仏が庭の隅にあったり、
小高い丘に弁財天が祀ってあったり
見どころがたくさんすぎて
三分の二回ったところでくたびれ
奥の院はパスする。
こういうところで普段の体力が物を言うのだな、と
先に立たない後悔をしながら道をくだる。

バス停に戻って時刻を見る。
寂光院へ往復しても小一時間、とパンフレットにあったので
気を取り直し、水分も補給して
先ほどとは反対側へ歩き出す。

川を渡ってしばらくは平地である。
日はうららかでいつか日本画で見た風景のようだ。
見晴るかすと山が段々に重なっていて
遠くなるに従って少しづつ色合いが薄くなる。

田や畑で土起こしが始められ、
道は舗装されているが、土の匂いがする。
懐かしい匂いだ。
都会では当たり前な“マンション”は
目の届く辺りには、ない。
代わりに昔の農家風の作りの家が目立つ。


道は丘の裾を巻いてうねって上へと続いている。
寂光院に近づくと、
小綺麗な土産物店や温泉や料理屋が、
三千院付近と同じく並び始めるが、
ずっと規模は小さい。

そうして着いたお寺はとても小さい。
裏にはまた別の山がすぐ傍まで迫っている。

先年、火災で本堂が焼け、
いま建つのは再建されたものできらきらと真新しい。
中に鎮座しておられる仏さまも
煙に燻されていずに色白である。


本堂の前の池も小さく、
みぎわの桜(何代目だろう)も若い。
ひときわ目立つのが立ち枯れた樹。
どのくらいの樹齢なのだろう。


建礼門院の御陵はお寺のすぐ脇で長い石段が。
お寺を通り過ぎて山道を行けば、鞍馬に通じるとか。
後白河法皇はその道をたどり、
ここ寂光院に御幸なったそうな、とは
寺のひとの話である。
しばらくは、「大原御幸」を思いつつ池の周りを巡る。

庵の跡はお寺の後がわを
少し山側に踏み込んだ道沿いにある。
石碑が静かに立っている。
観光客はここまで来ず
日は裏山の向こうがわに入り
あたりはひっそりと湿っていた。

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こま猪のある神社

ことしはいのしし年である。
年末から、この神社をよくテレビで見た。
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「護王神社」という。
場所は烏丸通りを挟んで御所の隣…である。
やっぱりこぶりな神社である。
ここには「こま猪」が居るのだ。
「こま鹿」は春日大社や、大原野神社でおなじみになったが
イノシシとは面白い。それにわたしの干支でもある。
交通機関も街の真ん中だから
すいっと行ける。

別に行くぞ、と気合いを入れなくても
三十分で、最寄りの地下鉄の駅に着いた。
二つの駅のどちらからも等分距離。

北側の駅(今出川)で降りて、ゆるいくだりを歩く。
左に御所の木々を見ながらほんの数分と、
東西の通りと交わる角に、
赤っぽい塀が見えてくる。
近寄ると、縁起の物語が塀に貼ってある。
他の社寺でも見たことがあるなあ。
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ここは「和気清麻呂」をお祀りしている神社で、
祭神が守っているのは「みかど」のようだ。
(無論そんなこと、書いてないけど)
そして、神獣が猪なのである。
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絵馬から何から、みんな猪。
手水にはよく龍が水を吐いているが、
ここではそれは猪の役目だ。
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本殿もそこそこに新しく立派で、
奉納のための舞台が、境内のまんなかにある。

最近テレビ放映されて
有名になったからか、若いひとたちのお詣りも多い。
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拝観料はいらないが、絵馬や御守り、グッズのたぐいが
とても豊富である。
今年稼がなくてどうする、とばかりの意気込みを感じる。
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清麻呂公のブロンズ像は、北門のすぐ傍に
立っている。
その近くに五摂家の社があり、
ここの神社は上級公家が氏子だったと思われる。

場所もよく、まとまりもあり、
樹の勢いもいいのだけれど、
「清らかさ」という点では、上下の賀茂の社のほうが
勝る。
かといって、土地神の風情もそれほどない。
御所の一部に建っていると考えた方が
よいようだ。
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鄙びぶりでは、少し下って、平安女学院高校の南にある
「菅原天満宮」のほうが
ひっそりとして街中の隠れた神社の雰囲気がある。
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お参りしてふと屋根を見上げると、
十字架を立てた高校の建物が見える。
(平安女学院は聖アグネス・ガールズ・スクール)
煉瓦ふうの建物群は、同志社と双璧の西洋風で
御所の緑によく似合っている。
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神社には天神さんにはつきものの
「牛」の像が小さいながら「梅の紋」をつけて
ゆっくりと寝そべっていた。
こういうぽかんとした空間をみつけるのが好きだ。
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それでも「護王神社」で買い求めたお守りを
帰ってから大切に机にしまう。
幸運を願うというよりも、厄を逃れますように、
というささやかな願かけである。

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冬に名所へ

疏水べりから南禅寺、永観堂へのコースと言えば
春は桜、秋は紅葉、
観光シーズンにはいつ出かけても超満員である。

予定より早く出かけすぎて時間が余った。
まあ、そのつもりでカメラを持って来たのだけど。
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地下鉄の「蹴上」駅から、トンネルを通って南禅寺への
近道に出る。
金地院は以前に拝観したことがあるのできょうは割愛して
まっすぐ山門に向かう。
とても京都とは思えないくらい大きい門だ。
東山がころあいの借景である。

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拝観の人が少ない間に、と言うことだろうか
苔や木々が手入れ中だ。
空気が濃くて涼しい感じがする。
多分、春には人でいっぱいの山門にも
いまは二、三人しか登っていない。
それが点景になって、門の大きさがさらに映える。

寺々の塀も白い。
ところどころ土塀を修復している場所がある。
土壁に水をかけ、これは土を引き締めているのだろうか、
などと考えながら歩く。
疏水の分流が勢いよく流れている。
「雨が降らんとこれも涸れますなあ」と
のんびりふたりの女性が立ち話をしている。

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その先に永観堂の屋根がみえる。
いかにも「京都」らしい、観光寺院だ。
実に小綺麗で、それだけに素朴さは少ない。
境内がこじんまりしているのも特徴がもしれない。
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しかしそれぞれの寺に歴史があり、
戦火に遭わなかったから残った絵や仏像も多数ある。
この永観堂も、庭の一角は幼稚園になっていて、
「お帰り」の呼び出しの放送がきこえる。
目をあげると、小高いところに、美しい多宝塔が見える。
必死にならなくても登れる高さと距離である。
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樹々の骨組みがわずかに煙る春とも思えぬ夕暮れ
木の間がくれの塔は美しい。
秋はみっしり紅葉だろう。
池の面は常緑の樹木だけしか映していないが、
それはそれでとてもシンプルな風景だ。

池の中に弁天さまが祀られていて
それにかかる橋のカーブがとてもよい。
橋はひとつだけではなく、
どれも小さく弓形で、
あちらからもこちらからも見えるのがいい。
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建物の拝観料は六百円也で、
京都ではこれが普通の値だ。
お堂はどれもそこそこ広くてのびやか。
もともと真言宗だったのが、途中から浄土宗になり、
「永観」のときに大いに興隆したという。
拝観のパンフレットに、寺宝の
「みかえり阿弥陀」についての話が載っている。
何度も聞いた話なのに、実際に阿弥陀さまを見ると、
「こんな仏さまに振り返られたら嬉しいだろうなあ」と
思うほど、静かで優しい姿をしておられる。

釈迦堂も、阿弥陀堂もたまたま無人。
わたしがひとりで座っていても
だあれも入ってこない。
天井の高い、ひろい座敷で、ひとりほとけさまと向き合っている。
すると素直に手を合わせている
自分がとても不思議だ。
眼鏡を忘れて来たのでお顔は仄かにしかみえないが。
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中庭は特にこれといった感じではないが、
水がそこにあるだけで風情が。
御影堂のふすま絵がすごかった。
最近の画家のものだが
「二河白道」を描いていて
左手は氷煙があがる白
右手は紅蓮の炎の赤、
畳の薄縁がすっと真ん中を通っていて、
この仏教用語の意味が目のあたりに
納得できる素晴らしさだった。
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建物の古びとは似合わないのだが、
そういうことをちょっとしてしまうのが
京都のお寺らしい。

華々しい春や秋もよいが、
夏や冬、季節外れのこの時期にも、
静かで豊かな空間があるありがたさを
あらためて感じた。

そこから約束の場所までは徒歩十分、
時間通りに着けるのも、土地鑑があるおかげ。

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江戸の蕎麦

さてその次の日は天気も回復し
もよりの浜松町まで送迎バスで行く。

鶯谷まで行き子規庵を探す。
地図を見ながら着いたが、まだ開館時間の前だった。
向いに中村不折の作品を集めた「書道博物館」が
あったので見に入る。
ここがよかった。
絵も装丁も新聞の一枚絵も書(篆書のような)も
どれもいい。

じっくり見ていたらとうに子規庵は開いていた。
ごく普通のしもたやで、古い。
あがってすぐが客間である。
後に有名になった彼の弟子たちが見舞いにきて
座っていた部屋だ。
彼が床についていたその隣の部屋は、狭い。

ガラス戸の向こうにヘチマ棚があり
季節とてヘチマがぶら下がっていた。
庭は草がけっこうぼうぼうで、鶏頭が赤かった。
狭さも草の種類も昔ふうの庭だ。
部屋には子規の書も絵も展示してあった。
司馬さんの「坂の上の雲」で読んだ光景を思い出す。

お客もぼつぼつ増えてきて、
小さな家は満員だった。
部屋の中も庭も写真禁止だが、
出口のあたりに記念写真を撮っても良い場所があって
数組待っている人たちがいた。

駅に戻って山手線で次の目的地、根津権現へ。
増上寺でもそこそこ写真を撮ったが
来たかったのはむしろここ。
境内はひろく木々は古く、緑は多い。
社殿の朱の色は黒っぽく、
関西で見る鳥居や本殿の色とは違う。
土地によって「あか」の色合いは違うのだろうか。
神社は「権現造」なのだろう。
華やかでかつ豪奢、
赤の色が地味であっても、
飾りや細工がすごいのである。
お稲荷さんの鳥居さえも朱色は鈍く落ち着いている。

静かな境内には鳩がたくさん居て
ゆっくりお詣りしたあと、帰りは表門(南)に出る。
門の手前に小さな橋と流れと、見事なつつじの群れがあった。

門をでたところに都バスのバス停があった。
上野方面だったので、待って乗る。
とろとろと走ったが
根津から上野は近いのだな。
不忍池に着く。
池はひろびろとして、なめらかで
折からの快晴、ボートがちらほらと出ていた。
形があまりにも今ふうなので
最初はボートだと気づかなかったくらいだ。

ついそこに鴨がいる。
雄も雌も、またつがいで泳いでいるのもいる。
どうも目当てと違う側に出たようで、池をぐるっと
半周した。

昼は江戸の名店でお蕎麦を食べよう、と
調べてきた地図を頼りに
「池之端藪蕎麦」をさがしてはいる。
つゆはやや辛いめだけどとても美味しい。
天ぷら蕎麦の天ぷらはエビだけのかき揚げで
それもめずらしい。
ざるをひっくり返して、その上に蕎麦が乗ってい、
一枚はあっという間に食べきってしまったので
太っ腹にお代わりを頼んだ。

東京駅で時間待ち。
行くあてがないのでデパートの特売場をうろうろし、
帯あげと帯締めを買う。
べつにここで買わなくてもいいものだけど、
旅をすると気が大きくなるのだ。
ゆったり眠れて「よい旅」だったから
帰りの列車でも元気だった。

機会があれば、また江戸の風物と歴史を
目と足で確かめにゆきたい.。

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江戸の夜

「東京地下鉄全図」を片手に、
美術館のすぐ隣にあるエレベーターで地下に降りる。
私も連れも、「尋ねること」が苦手ではないので、
あちらでもこちらでも、
聞いて聞いて聞きまくって地下鉄で移動する。

平日のホームは静かで、
ゆっくり座れた、と思ったらたった二駅。
「御成門」で下車。

宿泊予定は「パークタワーホテル」。
写真では高くそびえていた建物が、見あたらない。
東京にはビルばかり、ということを忘れていた。

後で周辺の地図を調べてみると、
「芝公園」の中にホテルがあるのだ。
降りた駅のちょうど対角線あたりなので木々に隠れて
見えなかったのだ。

ビルだらけの街の昼下がりには歩いている人も少ない。
「プリンスホテル」に着いたと思ったら
そこじゃなく「タワーホテル」だし。
小一時間歩いて
増上寺の門前にたどりつき、
大目印の東京タワーを見た。
高級シティホテルに泊まるのは、初めてだ。
自宅以外の場所で寝ると確実に眠れないも
旅に縁がなかった原因のひとつである。

ぴかぴかの、近代的なホテル、
エレベーターの床は素通しで、
フロント受付の人たちはとてもセンスが良くみえる。
高層階の特別ツインに案内される。
どうやら先着○○名の枠に入れたらしい。

お台場側とタワー側、どちらがよろしいか、と聞かれて
連れは迷わず「○○テレビのほう」と叫ぶ。
レインボーブリッジ、六本木ヒルズが遠景で
真下には芝公園と増上寺。
実に華麗な眺めである。
夜はライトアップされるのでもっと綺麗だそう。

全面ガラス戸でベランダへも出られる。
戸を開けると高層なので風が強い。
この部屋の広さって、うちの家が
すっぽりはいるなあ、と苦笑する。

「まだ明るいし観光しよ」と
カメラかかえて二人で飛び出す。
「古墳の跡をさがそ」彼女はそれが目的なのだ。
昔々このあたりが海との境だったころ、
「芝円山古墳」が作られたのだそうだ。

ホテルの玄関から一歩出れば、そこが公園。
午前中まで降り続いた雨で、
土はぐじゅっと水気を帯び、スニーカーが沈む。
あまりひとけのない道を、滑らないように登る。
自然石の石段は濡れていて
段差が不規則で、あぶない。

このまるっこさと小ささはもしかして、と
反対側に降りてみると
立て札さえも地味に、古墳は
小さな開口部を見せていた。
夕ぐれと湿気で、冷え冷えしている。

歩道へ出るとすぐそこに増上寺、
立派で大きな大きなお寺である。
赤の色が関西とは違う。
夕かげのなかで黒っぽくさえみえる。
門をくぐると、まだ観光の人が歩いている。

石段を下りていくと鐘が鳴る。
時計を見ると六時である。
音は聞こえるが、どこに鐘楼があるのかがわからない。
木々の隙間からちらっと撞木が見えたので
急いで下りて見たが
すでに鐘はつき終えた後だった。

暗くなってきた大通りを歩いて行くと、
会社があり、焼鳥屋があり、
ドトールコーヒーがある。
ごく普通の街並みだった。

夕食はかんたんに外食ですませ、
33階の展望ラウンジにお茶を飲もうと出かける。
落ち着いた暗めの照明で、
すぐ目の前にライトアップされた東京タワーが。
まるでテレビドラマのようだ。

雰囲気だけ、とアルコール抜きのカクテルを
啜りながら、黙ってタワーを見る。
カクテルの名前はシンデレラ、
魔法は今夜限り、というみたい。

ぴかぴかと綺麗に鉄骨が光り、
赤と白とに染め分けられたタワーの中を
おもちゃみたいに小さいエレベーターが動く。

なんといってもエグゼティブルーム。
お風呂にはジャクジーがついているし、
シャワー室はガラス張り。
液晶テレビは横長の大画面。
ガウンなんて、「ぜったい肩凝る」と
いいたいくらい重くてサイズたっぷりだ。

窓から六本木ヒルズが見える。
灯りが詰まった、太いろうそくのようなビルだった。

わたしたちは、ふるいものを探しにきたのだけれど、
レインボーブリッジや観覧車、ヒルズの光の濃さは、
「今」の流行はここだと、主張しているようだった。

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江戸の秋

午前中は雨の予報、
そのとおりで、新幹線から見える景色はくすんで
ちらちらと小雨がちだった。

急に話がまとまって、
「お得」な旅へ知人と出てみた。
目的地が東京だから、
よくよく知っているつもりだったが、
広いだけに焦点が絞りにくい。
一泊二日の最初の空き時間、
ホテルにチェックイン前の僅かな時間は
「風神雷神図展」鑑賞とあいなった。

天気が悪くても室内だから大丈夫、
また東京駅から至近距離。
ビルの高層階にある出光美術館は、
思った通り、こじんまりとしているが、
優雅でお洒落なところだった。

館内にお茶室があるんだもんなあ。
驚いた。
大きなガラス窓の向こうはお濠である。
東京には時々くるけれど、
まだ皇居を見たことはなかった。

まだ靄がかかっていて、深い緑の樹木とお濠が
しんと静まっている。
真正面に見えるのが、桜田門。
少し右手に目を向けると、ちっちゃくだけど二重橋。

これだけでも、おのぼりさんした甲斐がある、と
ゆっくりしようと席を探すが、
皆おもいは同じか、くつろいでいる人ばかりで空かない。
平日だが、人出は多く、夫婦連れや男性が目立つ。

「風塵雷神図」が三点
俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一。
屏風三点だけでも見応え充分である。
展示が工夫してあって、部分を拡大してくらべてりあり
ふつうに見ただけでは気づかない箇所に気づく工夫が。
また解説も丁寧で、感心しながら会場を回る。

それぞれ、そっくりだけど、違うんだ。
模写ですら、原画とは違う。
よく見知っている絵だけに、
しっかり腑に落ちる。
光琳のは、宗達に比べ、穏やかに見える。
抱一になるともっと二次元に明るくなる。

気を惹かれたのは鈴木其一の「襖絵」の
“風神雷神”
やはり写しには違いないのだが、
ささっ、さあーっ、と雲が速く流れていて、
地味な印象なのが、好みである。

みているとそのエネルギーに、ふるふると
気持ちがふるえるのが宗達の絵たちだ。
「扇面貼り交ぜ屏風」というものもある。

色が濃く沈んでいて迫力がある。
また、金地に秋草(萩だろうか)の屏風、
月が出ている。
この月が銀色なのだが、長い間に色褪めて
いまは黒く輝いている。
それがすごくいい。

花鳥画も掛けられていて、
気に入ったのが其一の銀の地に梅の模様の
さて、襖だったか屏風だったか。
華やかでいて主張してない梅がすてきだった。
金地の梅がもう一方にあって対なのだけど。
どちら、と言われれば迷わず銀の梅を取る。

「杜若屏風」は光琳のが、ファンタジックで
可愛い。
花が水に浮いているようで、それがどうみても
この世のものとは思われない。

本や映像で見るより、こうして目の前で
本物を見るのが何よりいい。
抱一の花鳥図は、優しくて美しくて、
絵はがきがあったので土産にもとめた。

完成したものではないが
抱一の秋草屏風の下書きを、
屏風に貼ったものがあった。
とりどりの秋の草。
彼の描く花や草は、静穏で美しい。
溢れるような熱気はやや薄いけれど
まじめな優しさを感じさせる画風が好きだ。

好きさ加減では、其一のほうが気に入ったかも
しれない。
だが、抱一に出会ったのは小説「虞美人草」の中で、
主人公のなきがらの枕元に
逆さに立てられた屏風が「抱一」だと書かれ、
その時にはじめて、彼の名を知ったのだ。

やっと、武蔵野の秋草をふんだんに描いた
この屏風にであって、
長い間の思い人にであったように嬉しかった。

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奈良一日(ひとひ)

在原寺を探して不退寺に行きついた。
業平を祀るお寺である。
本で読んだり、お能がらみの場所に行って
写真を撮るのがいまの楽しみ。
これからの季節は体力が不可欠で、ちょっと心配だけど。

夏が来る前に、奈良には一度行きたいと思っていた。
博物館や正倉院展以外に長らく訪れたことがなかったから。

丸一日外出するのはわりに珍しいことなのだ。
休暇を取った家族が留守番してくれるというので
出かける。

「奈良1dayチケット」を買う。
これまた私鉄(近鉄)とバスが乗り放題の切符だ。
かなり割安になるのが、“家計に優しく”とても助かる。

乗り継ぎがうまく行ったので、予定より早く奈良に着く。
せっかくの空き時間を無駄にすまい、と
循環路線で予備の予定だった春日大社へ。

奈良公園は広いなあ。
お寺がたくさんあるなあ、と
あらためて感じ入る。

「春日大社前」で降りて参道を
十分ばかり歩く。どうも裏参道らしかった
石灯籠も樹たちも広い空も
私が思う奈良のイメージどおりだ。
意外に人通りが少なく(裏だからだね)
すぐに「神苑」に着く。
以前は「万葉植物園」という名だったそうだ。
みっしりと万葉集ゆかりの植物が植わっていて、
古代好きにはこたえられない。

藤の苑もあって、なるほどここは藤原家の神社だったんだ、
なにしろ一区画全部が藤とは豪勢だなあと思う。
盛りのときに来たいけれど、ちょうど
大型連休のあたりが満開の時期だから
またものすごい人出だろう。
池に張り出している遙拝所は、
端午の節句に、舞が奉納される舞台である。
いま、誰もいないそこは、鯉の天下で、
やや濁った水面がとろりとして静かだった。

本殿にも急いでお参りし、
摂社を見つける度に、祀られているのはどなただろう、と
説明を読みつつ道を急ぐ。
石灯籠も数多く、朱塗りの回廊はぴかぴかで、鹿もあちこちに、
これぞ奈良の風景としかいいようのない立派な神社だ。
こんなに長い間栄えているのに、手垢がついた、感じにならないのが
不思議な」気がする。
宝物殿は割愛。
迷っているそのときに、一団の修学旅行生だちが到着して
あっという間に前庭は
社会科の教室に早替わりしたからだ。

バスを乗り継いで西大寺方面へ。
道路は広くて綺麗だけれど、かなり郊外に来たな、
と思われるころあいに
不退寺前に到着する。

案内にしたがって、やや狭い道に入ると
JRがのんびり通り、急に緑が多くなる。
小さいけれど田んぼだってあって、
田植えが終わっていて苗がそよぐ。
とても懐かしい風景である。

そんな中にお寺はあった。
境内は狭い。でもいっぱいの緑が眼にまぶしい。
本堂も古びのついており
木の格子が相当色あせている。

業平忌には特別に公開されるものもあるらしいが
拝観料をはらってお堂にあがる。
私のほかには一組のご夫婦だけ。
年代もあまりかわらないようだ。
初老のお坊さまが、たんたんと慣れた調子で
お寺の由緒、仏さまの来歴を語られる。
節がついていてそれが面白い。

本尊は観音さまで「業平公が手ずから刻まれ」たのだそう。
ああ、そういうことになっているのだな、と
近くに寄って、目を見開いてしかと見つめる。
彩色は剥げているが薄く文様が描かれた跡が残っている。
立派で力強い仏さまだ。
こんどお寺に行くときはやっぱりオペラグラスを持ってこよう。
日差しは強く、ほの明るい中だったから、
目鼻だちまで見えたけれど、
どこのお寺も奥まって祀られているご本尊は、
私の視力では、ぼんやりとしか捉えられない。
それがいつもあとで悔やまれるから。

業平の父、阿保親王の像や、近隣出土の瓦など
展示物をさらっと見終え
お礼を言って外へ出る。
お坊さまは正面の格子戸をから出てきっちりと鍵をかけられる。
そうか、拝観の客が来るたびごとに、
案内をしてくださるのか。


ここが「井筒」の舞台かしら。
そう思ってみると、この寺に花を供えに来る女は、
緑の庭のどこにでも、すうっと消えてしまえるようだ。

変にこぎれいに作り込まれていない庭は、
一隅にあるお堂に突き当たり、
蝶がどこからともなくひらひら舞って来、
蜘蛛の巣が陽に輝いている。

陽に炙られすぎて、喉は渇くし汗まみれだし、
それでももう一カ所、予定していた
尼門跡寺の法華寺へ。
バスで一駅の距離だったので。

結果を言ってしまうと、
お寺は立派だったが、拝観料も高かった。
お庭は二カ所あって、御所写しのお庭は型としては
とても美しいが、
見る場所がひとところに限られている。
庭の中を横切ったり、池にかかる橋を
渡ったりはできない。
正面顔だけで「美人」と思え、と言われているようで
ちょっといただけなかった。

ただ、偶然にも、十一面観音さまご開帳の日で、
普段は頼んでも拝めないそのお姿を
拝見することができた。(その分料金が上乗せされたが)
広い本殿に立たれたお姿は、肌の色合いさえも
あでやかで優艶だった。
ゆっくり拝めたらよかったのになあ。
ひきもきらずに観光客が出入りし、
説明はテープでエンドレスに流れる。

ほとけさまを拝んだり、昔のさまを偲んだりするには、
静かな時間がとても必要だ。
次回の奈良行きはもう少し足を伸ばして
秋篠寺方面へも行きたい。
池と古墳の佐保の里、似合うのはやはり春だろうな。

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高野詣で

乗り放題チケットの最後の一枚
せっかくだから、うんと遠いとこ、と
高野山に行くことにした。
時は五月三日、連休の初日である。

小学生のとき、毎夏、「りんかん学校」と「りんかい学校」が
あった。
海はたいてい丹後半島(天橋立)、山は高野山。
いまから思うと贅沢な場所に行っていたものだ。
ただ、私はひどくバス酔いしたので、
「りんかん」には参加たことがない。

ついこの間、書写山に登り、すんなり行けたので
高野山の大きさと遠さを甘く見積もってしまっていた。

朝七時に家を出て、着いたのが十二時前。
南海電車に乗り換えてからがひたすら長い。

人出はすごく多く、電車もケーブルも満員だった。
トレッキングスタイルや、カメラ片手の人、親子連れ。
電車だけが混んでいるのかと思ったら何の何の、
高野山の「繁華街」は車がいっぱいだった。
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駅からバスで二十数分、終点から歩いてお大師さんの御廟へ
参るのが事前に聞いていたお薦めのコースだが
歩くだけの体力も時間も不足。
といあえず喫茶店に入って休憩した。
山の上だというのに、そこは都会で
消防署も郵便局も、銀行なんぞ二軒もある。

ここに来るまで、山の間をぎこぎこはあはあと
音を立てて登る電車からは、
山と山の間にあるこぶりな集落しか、見えなかったし。
ケーブルを登った所のバスプールも広くてちょっと
驚いたが山内の車の渋滞にはもっとびっくりした。

京都に住んでいるからお寺は見慣れている。
だが、ここのスケールは想像を超えた。
並んでいる宿坊のひとつひとつが、立派に観光寺院なみの
立派さである。
門からのぞいてみると、綺麗に行き届いた前庭が見える。

バス路線の分岐点“千寿院前”で下りて、
大通りをほんの数十歩で金剛峯寺の前に出る。
向い側は大駐車場。
着く車と出て行く車、繁華街なみの混雑と空気の悪さ。
ここって「お寺の境内だよなあ」、と
なんとも落ち着かない気分で地図を見る。
ここから五分の距離に、塔や金堂、御影堂がある。
写真も撮りたいので、そちらに向かう。

舗装された道は車が多いので避けて
土の道を行く。
じゃりじゃりと音がして、埃が舞い上がる。
人は相変わらず多い。
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金堂では「結縁灌頂」が行われてい、行列ができている。
並ぶと時間がかかりそうなので内部の拝観はあきらめた。
写真を撮ろうと思っても、
どこもひとだかりだらけ。

それに、建物が全部おおづくりで、
ひとつひとつは立派なのだが、
どーん、と建っているだけ、な感じがする。

お堂の数は多く、きちんと教義に則って建っている。
上空からみたなら、その配置は星座のように
美しい均衡を保っているのだろうが、
その中に入り込んでしまっているから、
まるで、巨人の国にきたこびとのような気がする。
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それでもお堂をみっつよっつ撮り、
色鮮やかな(朱塗りで瓦屋根と白壁が華やかだ)大塔を見、
急いで金剛峯寺に引き返す。
ここは人の“住まい”という感じがして落ち着く。
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豊臣秀次切腹の間がある。
この広大な敷地の、そしてまた立派に広いこの寺の
なんと狭い一部屋で切腹したもんだ、と
へんな感心の仕方をする。
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枯山水のお庭があったが、
やはりなんとなく大味だ。
石も大きく庭も広いが、置いただけ、というと
失礼だが、細やかさが足りないのだ。

ただこういう部分も
天から巨大な仏さまがごらんになればさぞや
小さくて可愛いものであろう、と思われる。
わたしが気に入ったのは
、二代目の御廟(静かな場所にあった)と
台所だった。
いまでも使われているから、釜も鍋も生き生きしている。
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帰りもラッシュではからだが保たないので、
急ぎ下界に下りることにする。
さいわい電車は座れたので、景色をながめる余裕が出た。
山を抜ければまた山で、その山裾が少しだけひろがったところに
「橋本」の集落がある。
離合待ちの間に写真を撮ってみたが
どれが高野の山にあたるのかわからなかった。
外からは見ることができない不可思議なまちだ。
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河内長野までくるとここは「大都会」。
ここで近鉄電車に乗り換える。

これはおまけ。
生駒の麓を西から東へ走る路線が、
当麻寺を通ることに気がついたのだ。
わたしが見たかったのは、二上山と夕日である。

ちょうど、その麓をぐるりと回るころに日が山に迫り、
念願の光景に逢えた。
この山を墓所とする大津の皇子は、
多分お大師さんよりわたしには近しい。

帰ってから、なんだか申し訳ない気がして
図書館で、本を借りてみた。
行く前に読んだほうがよかったようだ。
「空海」と「最澄」を借りる。
仏教用語がたくさんでてきてたいへん難しい。


本の半分以上はむにゃむにゃとよみとばしてしまったが、
司馬遼太郎の「空海の風景」は
仏教用語を使わずに、エッセイ風に書いてあるので
抵抗無なく読めた。

ひょっとして前に読んだかな、と奥付をみると
三十年前に初版が発行されている。
そのころ私は彼のファンだったから、この本も読んだようだ。

長い月日の後でこうしてであえるというのは
嬉しいことだ。
そのときは目的などなかったから、
すぐに忘れてしまったのだ。
この年になって、自分の目でみたいものがどんどん増え、
「本に引かれて…お参り」するのもまた一興。

小説の中の、したたかな空海像は、あまりわたしの気に入らなかった。
身びいきかも知れないが(比叡山は馴染みだもの)
最澄のほうが、世渡り下手なところが
“人間的”だと思えたからだ。

しかし、都から遠く離れたところに、
特大サイズのお堂たちを、それも民間の喜捨によって、
建立したところに彼の意地のようなものを感じる。
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「話の通じるひとが居ないのは淋しい」と、
司馬さんが書いたのは、あるいは彼自身のことを
投影していたのかもしれないけど。
誰からも掣肘されない山の中、
この寺々こそが彼の心休まる場所だったような、
いまはそんな気がしている。

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西国札所(書写山圓教寺)

いま出かけたいところは、お能にゆかりの地、
また神社やお寺。
写真が撮りたいので、
花を求めて植物園にも行ってみる。
たしかに綺麗な景色だけど、思いめぐらす歴史が
そこにはないので、物足りない気がする。
とにかく外に出ると、体調が良くなるのが
経験上わかっているので、
疲れ具合を見計らいながら予定を立ててみる。

今回は姫路の、書写山圓教寺まで旅をした。。
スルット関西から三日間乗り放題で五千円のチケットが
発売されている。
電車にに乗って、窓から風景を見ていると心が和む。

知人が「目」として同行してくれたので、
快適な旅だった。
片道三時間、電車に乗りっぱなし。
着いたら、簡単な昼食以外は歩きっぱなしだった。
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圓教寺は、九百六十六年に開かれた寺で、姫路からバスで三十分、
郊外の緩やかな山上にある。
麓からはロープウェイで簡単に上れる。
足に自信のない私にはありがたい。
駅舎はきれいに整備されていて、
見下ろす山は緑の色がとりどりだ。

「志納所」(入り口)から、本道の摩尼殿まで
ゆっくり歩いて二十分の道のりである。
途中にある仁王門、ここが山の真の入り口である。
登っては降る道を、せいせいと
息を切らして歩いていくと、道なりに
次々と観音像が。
近寄ってみると、どれも新しい。
西国三十三カ所の観音さまの模刻が、
この参道に集められているようだ。
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おりから、開基性空上人の千年忌で、
旗がずらりと並んでいる。
ちょっと大売り出しのようで、写真が撮りづらかった。
和泉式部も、この上人に帰依していたので、
その「一生」が、絵物語になっていて、
志納所の前に飾られている。

平日だからか、空いていて、前にも後ろにも人影がない。
とてもとても静かだ。
樹木は多いが、時々ぱっと明るい場所があり、
そこが塔頭だったり、見晴らしのよいポイントだったり
なかなか変化があって飽きなかった。
懐石料理を出す塔頭で飛び込みの可否を尋ねてみたが、
予約のみ、であきらめ、
本堂(摩尼殿)下の茶店でひとやすみする。
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年忌にちなみ秘仏が公開されていて、とても運がいい。
何百年ぶりに厨子から取り出された如意輪観音を拝む。
本堂は薄暗く、お顔はよく見えなかったが
可愛らしい小さなほとけさまで、「胎内仏」であったそうだ。
台座と光背は江戸期のものだとかで
やけにきんぴかだったが、もとの彩色は
仏さまの衣の裾に残っていて
鮮やかなあおいろが、昔はきっと
華やかな色合いであったろう名残としてある。

鎌倉時代の四天王もガラスケースに入っていて、
こちらは堂々として力強い。
ひろい堂内にはお土産がたくさん置かれていて
数珠や根付け、ストラップの類など
あまりあちこちにあるので、ちょっと可笑しくなる。
そこそこ有名なお寺のはずだが、三十三カ所を参るひとには
知られていても、これという目玉がないので
観光地という感じではないようだ。
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茶店の人の話によると、
映画「ラスト・サムライ」でここがロケ地になり、
そのおかげで、最近観光客が増えたそうだ。
渡辺謙やトム・クルーズの写真が額に入って飾られていた。
映画のセットやロケ地が話題になるのは珍しくないが、
そのためにわざわざ、来る人がいるのだな。
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せっかく来ておいて見ない手はない、と
二人で、その場所に急ぐ。
どちらも映画は見ていないけれど。
本堂の裏の道を五分ほど歩くと、広場に出、
そこに三つの建物が、コの字型に建っている。
大講堂、食堂(じきどう)、常行堂である。
どれも、古びかたがよい。
これほどにどっしりしたものなら、
映画の中でも存在感のある建物として映るだろう。
食堂は階下も階上も展示室になっている。
鬼瓦をはじめ、十二神将、文殊菩薩など、
仏たちも古びぐあいが美しい。

元々あったものは火災で焼失し、どの建物も
後の復刻であると案内にあったが、
花山法皇や後白河法皇の勅願であるそうな。
比叡の山よりもはるかに明るいこの山は、
瀬戸の海まで見える位置にある。
この駘蕩とした伸びやかさが、都びとに人気があったのも
道々の風物が都ではみられないものだからかしら。
源氏物語の須磨明石の巻や、
能「松風」にみられる行平伝説など、
このあたりは、都からはちょうどよい距離の田舎だったのだろう。
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そんなことを思いながら食堂の二階を歩く。
裏は青葉の盛りで、正面からは大講堂と常行堂を
門扉のようにして、本多家の墓所の屋根が見える。
その連なりが実にリズミカルで快い。
旅の前に想像していたよりも、
堂伽藍の間が近かったので、
限られた時間でたくさん見ることができて嬉しかった。
もう少し近ければ、もし運転ができたらと、
思い残しはあるけれど。
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和泉式部が歌を送った性空上人が居ました山。
いかめしくなく親しみやすい
その山の端から昇る月は、温かな色であったろう。
迷いを持つ誰のうえにも。

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春のはじめの「梅の宮」

八坂神社の正面が四条通り。
それをまっすぐまっすぐずうっと西へ西へ進む。

大宮通りも西大路通りも過ぎて、
この橋を渡ると酒の神で有名な「松尾大社」
橋のすぐ手前に、ごくこじんまりとある神社。
それが梅の宮神社である。

バス停の名前を知っていただけで
たずねたことは無かったが、知人がむかし近くに住んでいたので
賀状を書くたび、「へんぴなとこやさかい、ちっちゃい
お宮さんやろ」と想像していた。

訪ねた日はちらちら雪が降っていた。
この冬は厳しくて春は遅く、「梅の宮」の「梅」は
まだ咲き初めの予報だったが
そのぶん人は少なくて、ゆっくり見られると思った。

予想は当たって参拝客はぱらりぱらり、
ただ残念だが梅の花もほんの少し。

門は工事中だし、社務所脇の鉢植えの梅を撮る。
これでは来た甲斐がない。
せっかくだから、とお庭を拝観する。

少しだけつぼみをつけた梅の古木を横目で見ながら門をくぐる。

そこにあったのは、広々とした“池”とあずまやだった。

塀のすぐ向こうには車が通る音がするがここは別の世界だ。

水ぎわで、鳥が一羽、羽づくろいをしている。
ここのすべてを所有しているかのように。
ゆっくりと脇に頭を埋めたり、
羽をひろげたり、を繰り返している。

あずまやには石の橋を渡って行ける。
あいにく丸木橋も
飛び石も苦手なのであきらめる。
こういうときは連れが欲しいと思う。

順路は池に沿って続き、その奥の梅林や勾玉池に続く。
菖蒲の季節になれば、小ぶりな池のほとりは
青い花でいっぱいだろう。

庭が作り込まれすぎていないところがすてきだ。
機材が積んであったりする横に立つ木、
サザンカのようだが、花盛りだった。
それが気取ってなくていい感じだ。

ひとまわりして小さな門をくぐって拝殿のある庭にもどる。
背後に広がっていた庭を思うと、入ってきたときより
全体に深みがある気がするから不思議なものだ。

神社は酒の神をまつっている。
同時に橘嘉智子の作った寺だという。
嵯峨天皇の皇后、最後の橘の末の女人の
面影にぴったりの社であった。

お能で梅と言えば「東北」の梅。
梅の精が登場する「梅」というのもある。

ほのかな香りが慎ましい女人に通じるようだ。
満開のたよりを聞いて
観に行った二条城の梅園で
花はいっぱいに開いているのに
若木と古木、幹のうねり方などに
樹ごとの貌が感じられた。

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美術館で梅を見る

毎年、花見に行こう行こうと思っていて行けない。
季節が変わるときに必ず体調を崩すからなのだ。
都に花の名所は数々あるので、
「花便り」を新聞で確かめて、「さあ」というときに限って、
花粉症がひどくなったりする。
また、桜の見ごろは短いので、一度機会を逃すと、もう
その年の花見は諦めねばならない。

そこで、今年は「梅」見にゆこうともくろんでいる。
なのに、異常な冬の寒さで、
例年、二月の後半になれば、たいていの梅林および神社で、
ほぼ花盛りの予想が出るのに、
「梅花祭」を二日後に控えた今日になっても、
まだ予想は「つぼみ」というありさまだ。

ふと手に取ったチラシに「梅」の文字。
場所は、といえば、これがまたそこそこ遠くて
ちょっとした旅気分に最適。
落語では「いのしし」の産地だったっけ。
池田の里の逸翁美術館である。
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子供のときに「暮らしの手帖」が家にあった。
花森安治というひとが、
ある号に小林一三について書いており、
私の知識はそれ以上に出るものではない。
その記事の中で印象に残っているのは

ひどい不況のとき、デパートの食堂で食事するサラリーマンの間で
「ソーライス」が流行ったそうだ。
「ライス」だけを注文して、それにソースをたっぷりぶっかけて食べる。
ふところの苦しいサラリーマンの苦肉の策。
担当者は「ライスの注文お断り」と札を出そうとしたそうだ。
それを止めたのが、社長の一三氏。
「大事なお客の注文だから」と
ライスのみの客には、大盛にしてあげた、そうだ。

この美談は伝説になっている、らしい。
ただ、貧乏電鉄を沿線の分譲住宅販売で黒字にし、
田舎の温泉宝塚を、少女歌劇を創ることで
観客を惹きつけたひとであることは疑いもない事実である。

長くなったが、逸翁美術館はその小林一三の自宅を
コレクションともどもしつらえなおしたものである。
名づけて“雅俗山荘”という。
早春展「小林一三と梅」、花が見られないなら、ここで梅尽くしを見よう。

自宅からほぼ二時間、曇り空で、傘を持ってでたが、
着いたときにはすっかり晴れた。
駅前に市役所があり、道は広すぎず狭すぎず、
手ごろな広さのまちだった。
大阪梅田から急行で二十分、交通の便もよい。
チラシの地図が丁寧なのと、「至る美術館」の
矢印があちこちにあるおかげで迷わず美術館に着いた。
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駅からずっとにのぼり坂が続き、
気温が四月並みの高さだったのでかなり汗ばむ。
たいして大きなお屋敷でもない。
庭もそこそこの広さである。
住居の部分が展示室になっていて、
二階部分も含めて部屋は五つ、休憩室まである。
(そこには自販機も)
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木造建築なので、床の感覚がやわらかい。
地味なシャンデリアがあり、カーテンは花模様(たぶんビロード)
縦長の窓も古風である。
庭は、凝ってないのがいい。
時期的に花はなく
緑の木々を穏やかに刈り込んで、灯篭もおとなしい形だ。
スリッパのままで庭の散策もできるし、
部屋ものぞける。
二つある茶室のうち、ひとつは規格どおりだが、
もうひとつが変わっていて、
客は椅子に腰掛けてお点前をいただくのである。
気楽で、足もしびれなくて、これはたいそう合理的だと思った。
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021yukubai

展示物はすべて「梅」にちなんだもので、
和歌に俳句に絵に茶道具、
お椀に扇子に屏風に箪笥。

一室の片隅に茶室の室礼(しつらい)がしてあった。
(お茶を習っていたら、もっともっと面白かったのにな)

『公任筆の掛け軸。遠州作の花入。仁清の茶碗。昭乗の茶杓』…

室(へや)から室への間の壁に、主の一三氏の肖像画があった。
ごく穏やかな小柄なひとで
いかめしい感じはまったくなかった。
描いた画家は小磯良平。

並んでいた作品のうちで印象に残ったのは、
まず子規の書、力強くて驚いた。もうひとつ、松平定信、悠々とした筆遣い。
それと陶器の美しさ。
愛らしい一輪の梅の模様の入った「楽」茶碗がとくによかった。
また、青地の水指は清のもの、白梅の描かれたおっとりした藍地の皿は
なんと西洋のもの(セーブル窯と記してある)
こだわりのない多彩な品揃えだ。

陶磁器展示の部屋の壁の一面を占めて、
白梅図屏風(六曲一双…呉春作)
やや暗めの地、これは織物の上に描かれたしら梅である。
夜明けを思わせるほのかな藍色のうえに
いちめんに花が咲いていて、香りが漂ってくるような絵だった。

ひとりのひとが集めたものを、
そのひとが住んでいた場所でみると、
とても身近な感じがする。

ほんの十分のところに城跡公園があると聞いて、
たずねてみた。
池田の地名は、あの大藩の「池田氏」ではなかった。
信長に滅ぼされた荒木村重の「家来」だったそうだ。
いまは跡は絶えてしまっている。
小さなやぐらのような建物が復元されている公園には、
あずまやがひとつ。
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木々はまだ若く、、西から南に広く開けた眺めが清々しい。
母子連れの格好の散歩の場所のようだ。
早咲きの桜がほころびていた。

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隙間たいむ

お能を観に行くときはいつも、
点から点への往復で、余分の時間なとない。
ところが、この冬の時ならぬ大雪のせいで、
“東京”で四時間ばかり、時間をつぶさなければ
ならなくなってしまった。
これは大変、ボーっとした頭で考える。
まず、地図が要る。

駅の本屋で見比べて、お手ごろの観光案内本を買う。
今風のしゃれたレストランやブティックの紹介や
やたらに高いホテルの案内も載っていたが。

まず閃いたのは、山手線で行ける範囲の場所。
その次に、長く居られて安い場所。
ビルが少なくて、歴史がちょっびりあるとなお良い。

選んだのが「上野動物園」
あの“ぱんだ”が居るところだ。
わたしはまだ“ぱんだ”をじかに見たことがない。
こういうときこそチャンスだ。

上野の駅は威圧感のないところだった。
聳えるビルがないからだ。
風はとても冷たいが、公園に向かって歩いている人の
あとをぼちぼちついてゆく。
駅を出てすぐのところに、ちょっと古風な建物があった。

その入り口に「ピアノコンサート」のポスターが。
時間が短くて一時間。
ピアノわりと好きだし、何よりたったの五百円で、
暖かい室内にすわっていられる。
すばやく決心して当日券を買う。
入ってみると、
天井が高く、空間にゆとりがあって
ロビーの見晴らしもいい。
東京文化会館というそうだ。

若い若い女性ピアニスト。
うちの子供と同い年くらいかしら。
肩剥き出しの華やかなステージドレスで、
最初に弾かれたのはバッハの
「主よ 人の望みのよろこびよ」だった。
バッハは好きだったので気持ちよくリズムに乗る。

次の「展覧会の絵」は、全曲聞いたのが初めてだ。
これは若さと力で、がんがん鳴るところがすごくいい。
ロシアっぽい味もちらっと感じさせて、
最後まで飽きなかった。
締めくくりの曲は(シューマン作曲「献呈」)
これはお得意らしく、手慣れていて実に楽しそうだ。
ホールは後から入って来る人もあってもう満員で、
わたしは荷物を膝に乗せてしっかり聞き入っていた。

心地よく温まって、いよいよ動物園に出発。
ホールからはたった五分だった。
美術館も途中にあったが、
展覧会見るのって意外に気力と体力を消耗するから、
お能までに気がくたびれてしまったのでは
元も子のないからと、素通りする。

まずパンダの檻を尋ねると、
入口のほんの右手。
“リンリン”ちゃん(嬢かな、様かな、嫗かな)
が、どたっ、とうつぶせに寝ていた。
「死んでるっ」などと小さい子たちが騒いでいたが、
なんのなんの、目はきょろりと動いている。
ゆったりと横になっているだけだった。
テレビで見るよりおおきいし薄汚れてるし、
園内にあるヌイグルミのほうがよっぽどきれいだ。

まず食事しようと、レストランへ。
「けんちんうどん」を頼んだら売り切れだった。
うどんは他には「カレーうどん」だけ。
二日前から風邪ひいて胃とお腹と両方調子が悪い。
カレーは避けたほうが無難だろう。
さんざん悩んで「ホットケーキ」を頼む。
それをお茶で流し込んで…よくよく噛んで
エネルギー補給をし、いよいよスタート。

象にサイ、そっくりの泥色。
風が強く、象の一団が歩くとほこりが舞い上がる。
寒い。
ぷるぷる震えながらキリンにオカピ、
フラミンゴに、ハシビロコウを見る。
ハシビロコウは何だか人間みたいに横目づかいで
こちらを見ていた。
鳥の集団は迫力があって、フラミンゴはせっせと喧嘩していた。
ぎゃあぎゃあとやかましく首がにゅるにゅるしていて変。

モノレールがある。
東園から西園に、一分半走る。
寒くて歩くのがいやだったから往復お世話になる。
途中でエミューの檻の横をとおり、たくさんのエミューに
しっかり睨まれる。きょろ目が迫力。

西園に行ったのは
不忍池が見たかったので。
「上野不忍池」、小説でもお馴染み。
しかしいまは、
蓮の枯葉が風に吹かれているだけ。

鳥に餌をやっている人が居る。
なかなか人馴れした鳥たちで、手から餌を食べている。
鳥の名を聞いてみると
「ウミネコ」でしょう、との答えだ。

羽は白くてくちばしはちょっと鉤型に曲がっていて
赤みがさしている。
目はぱちくりと愛らしく、かなり近づいても平気で
なまじっかな珍鳥より愛想がある。

そろそろ体が寒さでこわばってきたので、
同じコースで正門に戻る。
上野駅から宿泊地の新宿まで、
山手線の続きを辿る。

年に何回か新宿のホテルに泊まるのだが
不思議なことに新宿南口に出るととてもほっとする。
そこからホテルまではほとんど一本道で、
日が暮れても迷わず行けるからだ。

今日の目的地は「宝生能楽堂」
この前行ったのは一年前。
記憶も曖昧でとても危うい。
そこで、チェックインして三十分も経たないうちに
また総武線に乗って水道橋へ。
降りて見回してみても、さてどの側だったか思い出せない。
思いあぐねて能楽堂にSOSして
やっとたどり着いた。
自分の席を確かめて、
これからの二時間のためにとのど飴を舐めて
待つうちに。

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「義仲寺」…粟津のみぎわ

「義仲寺」を訪ねたのは、11月の終わり。
選んだわけは、ふたつある。
お稽古で「巴」を習っていたから、
(かなしい恋の話だ)
と街中にあるお寺だから。
(石段を登らなくていいから)

最初は蝉丸神社に行ってみようと思ったのだが、
駅から距離があり、時間が足りないので、諦めた。

ローカル線だから、電車は二両連結。
逢坂山の裾をぐるっと回って、浜大津に着き、
そこで乗り換えて膳所駅でまで行く。
念のため、駅員さんに場所を確かめて、
駅前商店街を抜け、住宅地をほたほた歩く。

小さいお寺だとは思っていたが、
このあたり、と思った所に着いても
なんの目じるしもない。
適当な店もないので、目に付いた「保育所」のひとに
聞いた。
「その横の路地を入って、次の道に出たところで右向くと、
おおきな提灯がぶら下がっててそこ。」
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地域のひとが守っているお寺で、
受付けと展示室、庵室のような建物がひとつと
可愛らしい池がひとつ、
大きなお寺に比べたら、てのひらほどしかない広さだ。
そのぎゅっと凝縮して作られたお庭の
いたるところに石碑が建っている。

句碑と歌碑、あわせて19個も。
有名なのが芭蕉の墓だ。
彼は近江のこのあたりを気に入っていたらしく、
しばらく「ここ」に住んでいたそうだし、
近くには「幻住庵」跡もある。
遺言で義仲と同じお寺に埋めてほしいと言ったそうな。
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」…又玄
という句碑も建っている。
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芭蕉翁の隣に義仲の墓、
なかなか立派な五輪塔。
それよりすこし離れて、大きさは義仲の半分もない、
ちいさな自然石を置いただけのが「巴」の墓。
もとはここから一駅ほど離れた場所にあったのを、
せっかくだから、と義仲の近くに
持ってきたそうだ。
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あまり手入れは行き届いていないが、
小さな池には亀が居た。
池があると、水があるとなんだかほっとする。
床机に腰掛けてしばらく義仲や巴の墓をみまもる。

お寺の前はあまり車も通らないので、
結界が張られているように静かな光景である。
もちろん紅葉もちゃんとあって、たった二、三本だが、
ほどよく色づいているのも嬉しい。
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昔の義仲寺は
絵図でみると
はるかにおおきなお寺だった。
焼かれて荒れ果て、
今あるのは、奇特な人たちのおかげである。

確かにここは「粟津の浜」、
今でも三分でなぎさに行ける。
大通りを横切り
建物をぐるりと回って、だが。
そのころ、砂浜はずっとひろかったし、
松が生えているだけで、
見通しはよくて、兵が少ない木曽方は
圧倒的に不利だったに違いない。

義仲はここで討たれ、
巴は落ちのびる、と
平家物語にはある。
粟津の「戦さ」などなかったのだと。
それほど一方的に敗れたのだ。

が、巴と義仲を一緒にさせてやりたいと
後の人たちは思ったのだろう。
かくして、石山のあたりに、
巴の墓ができたものと思われる。

能「巴」は、主人公が女だが「修羅もの」に属し、
薙刀姿も凛々しく、
義仲を守って敵を打ち払う。

傷を負った義仲は自害するが、
その前に固く
「後を追うな」と巴に言い聞かせる。
「女だから、すがるたよりもあるにちがいない」と。

せめて死ぬときは一緒に、と巴は思っていたのだけれど
主人の言葉には逆らえず、
泣く泣く後ろ髪を引かれる思いで、
「粟津の汀にたちより。上帯切り。物具心しづかに脱ぎ置き。
…涙と巴は唯一人」落ちていった。

しみじみとかなしいお能である。
わたしが観たのは半能(後場のみ)で
生国魂神社(いくたまさん)の薪能のときだ。
シテは上野雄三さん。
義仲の死骸の傍に手をつき、
泣く泣く形見を賜るところが、
かなしくてかなしくてたまらなかった。
まだ日のあるうちで、汗を拭きながら観ていたが、
烏帽子も上の衣も脱いで、下のころもすがたのシテが
橋掛りを去って行く背中が辛そうだった。

お寺から出て、ふと、目を上げると
銀色のオブジェが正面にみえる。
見覚えのあるそれは西武パルコのだ。
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こんなに近いとは、と驚く。
大通りへ出ると、すぐ向こうに琵琶湖ホールも見える。
昔をしのぶよすがなんて全くなくて、
ただ思いの中で
波うちぎわの戦を想像するより他に方法はないようだ。
変わらぬものは
みずうみと比叡、比良のやまなみくらいか。

あまりにすぐに、今と繋がってしまったことが
残念に思われて、
「紅葉案内」のポスターを見ながら、
“人の少なそうなところ”を探し、
決めたのが、近江神宮。
思ったとおり、というか、
観光客はほとんど皆無だった。

神域は、真っ直ぐにそびえる杉の林から、
石段を登っての参道で、
そこここに紅葉している樹はあるけれど、
緑の分量が多いので目立たない。
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それほど大きくない規模だが、背後の山と一体となっていて、
社殿まで登ってから見下ろすと、
さあっと視界が、開かれるような気がする。
ここからは琵琶湖が見えないのが残念だ。
暮れてゆく日に柱の朱が映える。
近くに居るからこそ立ち寄れる、
身近さをありがたいと思った。

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救済の笑み~渡岸寺十一面観音

今年の冬は厳しい。
日中の気温が10度そこそこの日が続く。
なんとなく気分がすぐれなくて、
こういうときには気を霽らしに出かけるに限る、と思い
ぱっと浮かんだ「渡岸寺」(どうがんじ)めざしてでかける。

これまた白洲正子さんの
「十一面観音巡礼」に触発されてのことだけれど、
近すぎて知らないところであり仏さまである。

幸運なことに朝からの晴天がそのまま続き、
琵琶湖の東を快速電車でひたすら走る。
長浜まで北上すると、琵琶湖の透明度が増す。
風景もずいぶんひなびる。

渡岸寺のある高月(たかつき)は長浜から三つめで
あと少しで敦賀という山の中のまちである。
「むらおこし(まちおこし)」なのか駅舎は真新しい。
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県境の山か、雪を被って立っているのがすぐ近くに見える。
案内の矢印にしたがって、家並みの間の私道をとおっていくと、
突然開けた場所に出て、そこが観音さまの祀られているお堂である。
木々がほどよく繁り、門の左右に
こぶりな二つの仁王像(阿像と吽像)がある。
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別棟の受付けは男性、ふたりのうち一人が、
お堂に案内してくださる。
畳敷きの堂内で間近に
観音さまをおがむことができた。

「腰をゆるく捻ってたつ姿の美しさ」を“文字で”読んだが、
目に映ったのはいまひらいた花のような姿だった。
観音さまは女性でも男性でもない、ということだが、
どうみても、天女にみえる。

金箔は所々しか残っていなかった。
頭上にあるべき顔のうち、ふたつのはなぜか耳の後に彫られていて
遠目でみると(わたしの目からは)髪がふくらんでいるようだ。
耳にまるくおおきな耳飾りをつけておられ、
腕はすらりとながい。
足はよく見えなかったのだけれど、どちらかのつま先がすこし
あがっていて、今にも踏み出そうとしているところ、と
説明を受ける。
悩みをかかえたひとのところに
急いでいこうとしておられるからだそうだ。

動く前の一瞬の美。
お能をみていて時々感じる。
大きな動きの前にゆらりとからだが捻られ、
手がすっと横にあがり、
左右の型にが始まる。
その瞬間を捉えて像にすればこうなるのかしら。
観音さまがお持ちの蓮の蕾が開いてゆくのを
見守っているような美しさ。


照明のスイッチが入ると、お顔がすこしはっきりみえる。
斜めからみると、頬のあたりが意外にゆたかでふっくらしている。

お堂は大正の建築だというが、ひろびろとした高い天井の下に、
すらりとたっている仏さまは、
これをほんとうに“ひと”が彫ったの、と思ってしまう。

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案内してくださったのは地元の「国宝保存委員会」の方。
ここは町が管理しているので、メンバーがかわるがわる
受付けに詰めることになっているそうだ。
Hさんは、愛想よく仏さまの歴史や解説をし、
おおきなガスストーブに火をいれて下さる。


井上靖さんがこの観音さまをお気に入りで、小説に書かれ、
それからお参りのかたがずいぶんと増えたそうだ。
平安時代のはじめにつくられたという仏さまの目に映ってきた
長い時間のことをおもうと、
このかたが戦乱のなか、土地の人たちに護られて
助かってくださってよかったとおもう。

昔のひとがふし拝んだ信仰のしるしを、いまのわたしたちは
ただ「うつくしいもの」としてしか認識できないが、
「ひとを助けよう」と願う菩薩にすなおに祈ることができれば
こころは救われるにちがいない。

帰りは、琵琶湖一周コースを取るべく
敦賀行きに乗って近江塩津で湖西線に乗り換える。
木ノ本を過ぎると道にもところどころ雪が残っていた。
山が何重にも続いているこのあたり、
昔は浅井家の領地であった。
近江今津まできても雪はまだある。
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そこから近江舞子の駅近くで、ゆくて左がわに
琵琶湖が真っ青にひろがっている。
湖東より湖西のほうが湖に近いところを列車は走る。
しばらく光る湖水とともにはしる。
志賀、蓬莱のあたりは右手に山が迫り、
まだ三時なのに、日は南に低く落ちて、
山肌に立つ家は夕暮れている。
その山を迂回して堅田まで来るともうすっかり都会だ。

湖西はしばらくさびれていたが、湖西線の開通で
ベッドタウンとして開発され、
あちこちに高層マンションが建っている。
風景としては、あまり嬉しくない光景だが、
分譲のパンフレットには「絶好の眺望」となっている。
部屋からみる湖はさぞ美しかろう。


現地に行ってみるとわかることが多い。
湖の向こう(湖西線からみると)にひときわ高く
雪にひかった堂々とした山があった。
行きにもみえていたなあ、と山の姿を確かめる。
地図で調べると、なんとそれは“伊吹山”だった。
紅葉の丘と初冬の山、彩色から水墨への変化。

たった半日、電車に乗っていただけで、
風景を感じ、歴史をを思い出し、
日々のくらしにほんのちょっと何かが加わる。
急がず、無理のないようにしよう。

祈るこころを思い出した旅だった。

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高山寺へ

生まれたのは右京区だから、近くには居たのだけど。
高雄まではたびたび行ったが、
高山寺まで足を伸ばしたことはなかった。

お寺めぐりは好きだった。
なんとなく仏像を見に行ったりしていた。
ガイド本片手にぶらぶらと。
むろんまだ若い頃である。

ところが最近、白洲正子さんの本を読んで
「彼女が訪ねた場所を、自分の目でみたい」と思った。

はじめのうちは「いつか時間ができたら」行ってみよう、だった。
近いところから少しづつ始めよう、と。

白洲さんに出会ったのは、
お能をみるようになって知り合った
友人の勧めによるもので、
お恥かしいが、それまで、彼女のことはまったく知らなかった。
はじめはずいぶん読みにくかったのだが、
読んでいくうちにそれも慣れた。

なにより、自分のよく知っている風景やお寺が
彼女の筆にかかるとまったく違ってみえることに驚いた。
一度や二度、訪ねたからといって、
いや、そこで生まれ育ったとしても、
見えないときには何も風景は語ってくれないもののようだ。
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高山寺に行こうと思ったわけはもうひとつ。
心理学者の河合隼雄さん、今では文化庁長官だが、
彼の著書に「明恵…夢を生きる」というのがあって、
その本が気に入っていたからである。

幸い、土地鑑はある。
御室仁和寺の近くに生まれたから、
道順は知っていた。

京都駅正面のJRバス乗り場から、一時間に四本。
栂尾までが二本、あとの二本は周山まで行く。
所要時間は一時間半ばかり。

降りてすぐの場所に、近道があったが、
表参道から真面目に登ってみようと思い、
五分ばかり後戻りする。

「紅葉の季節には、有料です」と駐車場の看板にあったが
まだ全山ほとんど緑一色、停まっている観光バスはない。


いつも勘違いするのだが地図は平面だから、
お寺というものは、たいがい高いところに建っているということを
ついつい忘れてしまうのだ。
現場で坂を見た途端にはっとするが、もう遅い。
だから、いつも必死で坂や石段を登るはめに。

この日も、案内板を見てから息を整え、
時間をかけて石水院までまず登る。
いちばん道路に近いところに建っているが、
樹木に遮られて、車の音ははるかに遠い。
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ここは、明恵上人がすまいにしていた建物を
移築したもの。
鎌倉時代の建築だ。
柱も縁もずいぶん古びているが、
思ったより狭い。
かたちは四角形で、ぐるっと縁側があり、
南がわ正面たかくかかっているのが
「後鳥羽院宸筆」の額。
字のよしあしはわからないが、不思議な気分だ。
歴史で習ったむかしの人が、これを書き、
長い時ののち、自分が目にしている、まるで、
そのひとに出会っているような気がする。
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本で読んだ品々(複製もあるが)が、一部屋にきちんと
おさまっている。
仏師運慶が彫った、犬の像がガラスケースの中に居る。
思ったよりおおきな犬で、目がぱっちりしているのが
面白い。
丈夫な板戸と錆びたかんぬき。蔀戸もいかにも古びている。
庭はこじんまりとした池が西側にあるが、
さほど目を引く花はない。
なにより、木々の緑が美しい。

大きなカメムシが、縁側を這っている。灰色に
擬態しているので、うっかり踏みつけそうになる。
よく見ると、あっちにもこっちにも、カメムシだらけだ。

日本最初の茶畑を見てから、
急な石段を上がって金堂へ。
平日のためか、人が少なく、だれも居ない空間に杉の林が
まっすぐに立ち上がっていて、その間から時々雲から出た
日の光がさあっと縞模様になる。
湧き水が流れ、木の含む水と合わせて湿った空気が漂っている。
都会から来たものには、こころ潤う場所だが、
ずっと居るとなるとどうだろう。
寒さも厳しいが、この湿り気は耐えがたいのではなかろうか。

その金堂のすぐ横に、以前は石水院が建っていたそうな。
五分ばかりの距離なのに、まったく山の中なのは驚くばかりだ。
傾斜も急で山肌にくっつくように建っていたようだ。
あそこの石もこの立派な木も
明恵さんが、「座った」かもしれないので、
歩いていてあれこれ想像すると楽しい。
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しばらくしてくだり坂になり、すぐに「御廟」が見える。
小さいつつましい廟で、
「よかった、小さくて」と思う。
私の中に像を結んだ明恵さんは、いかめしく絢爛としたものは
嫌いだったはずだから、
きっと、小さくていいから、と言い残したに違いない。
中には入れないので外から拝むだけに留める。

ずんずん下るとまた石水院の前に戻ってくる。
途中にあった開山堂に、でっかい観音さまがいらっしゃって、
なにしろ、面倒くさがりだから、傍まで行かずに
失礼したが、何のための像だったのだろう、と
帰ってから気になってしまった。

近道を通って下ると、すぐにバス停に出る。
土産物屋の前の床机でしばらく休む。
名前は知らないが、小学校の遠足でみたはずの山々を眺めつつ。
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子供の頃は毎日、愛宕山を見ていたので、
地続き、というだけで栂尾は懐かしい。
変わらずにそこにあるもの、
家はなくなり、道がひろがり、川が埋め立てられても
山の姿は変わらない。
高山寺がふるさとの風景のひとつに加わったことは、
たいせつな友達がひとり増えたようでうれしい。

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波の上にぞ

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厳島といえば朱塗りの大鳥居。
はじめて見たときはその鮮やかさに目をみはったものだ。

国宝の「平家納経」はどこかに出稼ぎに行っていて
いまはここには無いそうだ。

年々潮位が上がっていて、ちょっとした雨でも
舞台や回廊は波に洗われると言う。
去年は台風が来てかなりの被害が出たので

輝くスターである「納経」は、呼ばれればどこにでも
修理費用を補うためにでかけるのだって。
なんともほのぼのした話だ。

ずいぶん古い時代からある神社だが、
興隆したのはやはり平家がいっしんに信仰したかららしい。
波の上にゆらりと浮かんでいるここは、
遠い中国と貿易を考えていた清盛の意に叶った
地の利であったにちがいない。

この前は秋に行われる観月能(友枝さん)を観にきたのだった。
夜ともなれば、打ち寄せる波に灯りが映えて

「この世のものならぬ」不思議な舞台になる。
演目は「松風」
はじめて眠らずに最後まで観たお能。
それがきっかけで、いまではすっかりとりこ。
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今回は晴天の真昼
能舞台をくっきりと観た。
三人で、ゆるゆると回廊を歩いて行くと、
朱の色がふと消える、そこが舞台。

廊下と舞台の間にも水があり、
橋懸りの向こうはもちろん広々と海で、
あの大鳥居は舞台の右横にやや小さく見える。

楽屋口がまるで異界への入り口のように
しめなわが張られているのも面白い。

「今度は催しがあるときに来ようね」と
口々にいいあう。
行きたいのは4月の「桃花祭」。
喜多流、観世流のお能の奉納、社中会、舞楽などが
行われる。
残念ながら予定が合わなかったので見送ったが、

鹿が日向ぼっこをしている参道を通って、
のんびりと一日、出入り自由で、舞台をみたい。
そのときこの能舞台はどんな顔をみせてくれることだろう。

帰る前に「千畳閣」に上った。
はるかな海に浮かぶ神社の全景。
波の上のみやこ。

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ふたつの能舞台

4月26、27日と1泊2日の旅。

ネットで知り合ったTさんと。
案内人は、○島県人のSさん。
「ナイスミディ3人の旅」としゃれこむ。

    まずは、

福山の「喜多流大島能楽堂」を見学。
私たちの共通の趣味は、「能・狂言」鑑賞なのだ。

福山には2月に来ている。
能楽堂もお能も素敵だった。
こんなに早く2度目の機会が来て、嬉しい。
oshimanogakudo_soto

以前に、日記に書いたのだけれど…

新幹線の福山駅からタクシーで1メーター。
徒歩でも15分少々。

大通りからついっと曲がってすぐ、レンガ風のつくりの建物に、
はめこまれるように入り口が。
あらかじめ、Sさんが見学を頼んでおいてくれたので、
お嬢さんが案内してくださる。
oshima_robi

綺麗であたたかなロビー。
お能や絵画の本が置いてあり、誰でも手に取れる。
装束が展示してあるが、2月のものとはちがう。
こまやかな気配りを感じる。

抹茶とお菓子をいただいて、
奥様のお話をうかがう。

戦後(第二次大戦)一生懸命、この能楽堂及びお能を
守ってこられた先代のことや、
広報誌「能大島草紙」のこと。
奥様が編集長さん。
「子供の手が離れたときに、何か家でできることはないかなあ、と思いましてね…」
とにこやかに話される。

もう6年たったそうで、12ページの小冊子。
第11号をいただく。
茂山千五郎さんの談話が載っている…嬉

お能の体験学習にも力をいれてらっしゃるそうで
どこにでも出向かれるという。
長男の輝久さんは、先日の「清経」のツレで拝見した。
初々しい若妻だった。

     舞台も、と2階にあがる。
oshima_butai

こじんまりしていて、一番後ろの席に居ても、
楽々と舞台の上の装束の模様までみえるだろう。
松が古風で、それが舞台を落ち着いたものに
見せている。

舞台を指して奥様がおっしゃるには、
「拭き掃除をするときに、柱の際まで押し込んで雑巾がけするのじゃなく
必ずその少し手前で止めるんですよ」と。
先代がそう教えられたそうな。
柱の周りは綺麗に木の色が見えていて、
丁寧に埃を拭われつづけてきたのだとわかる。

この居心地のいい能楽堂で
また、楽しくお能を観たいと思った。
明るくて美しい声の奥様とたくさんお話ができて
三人とも大満足。
帰りは楽しく歩いて、しゃべって…駅へ。

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